-9- 保身
ファミリーレストラン「ファンズ」〇〇店の店長、細谷栄祐は、週に1回の休日だというのに自宅のソファから動けずにいた。
テレビはつけっぱなしだが、内容はまったく頭に入ってこない。
視線は、膝の上のノートパソコンに固定されていた。
――放置してきた周囲も悪いだろ。
その一文が、何度も頭の中で反芻される。
(……違う)
思わず、声に出しそうになって口を噤んだ。
自分は放置などしていない。
注意したこともある。
やんわりと、角が立たないように、何度も。
だが、その“やんわり”が何も変えなかったことを、細谷自身が一番よく知っていた。
画面では、例のスレッドがさらに加速していた。
――店長も知ってて放置してたんだろ?
――シフト優遇してたって話もあるぞ。
――これ、民事でいけるんじゃね?
心臓が嫌な音を立てた。
(まずい……)
警察の事情聴取が脳裏をよぎる。
まだ「事件」にはなっていない。
だが、もし藤井家が本気で動いたら。
もし“職場でのいじめ”が立証されたら。
損害賠償。
本部からの責任追及。
左遷、最悪の場合は解雇。
細谷の人生は、そこで終わる。
――悪いのは河合だけだろ。
――あんな女、のうのうと生きてる方がおかしい。
そのレスを見た瞬間、細谷の中で何かが切り替わった。
(……そうだ)
悪いのは、河合だ。
全部、あの女が悪い。
だったら――
河合が罰を受ければいい。
彼女さえ痛い目を見れば、
遺族の気も少しは晴れる。
世論も「溜飲を下げた」で終わる。
そうなれば、
「職場の責任」など、誰も深掘りしない。
細谷は、ゆっくりとキーボードに手を置いた。
――内部の人間だけどさ。
指が、自然に動き出す。
――あの女、前から問題あった。
――仕事できないのに長時間シフト入ってた。
――注意すると逆ギレするから、みんな避けてた。
嘘ではない。
だが、真実でもない。
都合のいい部分だけを切り取り、
すべてを河合一人に押し付ける文章。
投稿ボタンを押すと、
すぐに反応が返ってきた。
――やっぱそうか。
――周りも被害者だよな。
――だったら、制裁されても仕方ない。
細谷は、背中をソファに預け、大きく息を吐いた。
(これでいい……)
いや、まだだ。
ネットは盛り上がるだけでは意味がない。
現実で、河合が傷つかなければならない。
そのためには――
自分の手は汚せない。
細谷の頭に、ひとりの顔が浮かんだ。
小松恭子。
パート主婦。
人当たりがよく、
裏で何を考えているのか分からない女。
そして、
“そういう人間”と繋がりを持っている女。
細谷はスマートフォンを手に取った。
少しだけ迷い、
それから、短いメッセージを打ち込む。
「河合に罰を下したい。
君の力を貸してほしい」
送信。
画面を伏せた瞬間、
細谷は初めて、自分が取り返しのつかない場所に足を踏み入れたことを自覚した。
だが、もう引き返すつもりはなかった。
これは正義だ。
いや、少なくとも――
自分が生き延びるために必要なことだ。
そう言い聞かせるように、
細谷は目を閉じた。




