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完璧侯爵様、恋するとお腹が痛いんです —恋すると腹がキリキリする侯爵様の100連敗—  作者: ヨーヨー
第6章 聖職者 セラフィーナ

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60/100

第60話 シスター、と修道院の夜明け

お読みいただきありがとうございます!

いよいよ物語もクライマックスを迎えます。修道院に帰り着いた子どもたち、そしてライとセラフィーナの関係にもひとつの答えが示される回です。

この先の展開もぜひ一緒に見守っていただければ嬉しいです。

続きが気になるな、と感じていただけたら、ぜひブックマークで応援していただけると励みになります!

まだ夜明け前の空は薄暗く、修道院の高い石の門に朝の光がかすかに差し始めていた。


戦いのあと、疲れ切った一行は救い出した子どもたちを連れて戻ってきた。冷たい夜風の中、門番のシスターがこちらに気づき、驚いたように目を見開いて駆け寄ってくる。


「子どもたちが……! 本当に戻ってきたのね!」


その声を合図に、修道院の中から次々とシスターたちが飛び出してきた。泣き笑いの表情で子どもたちを抱きしめ、名前を呼び、頬を撫でる。


セラフィーナも一歩前に出た。普段は毅然として落ち着いた顔の彼女が、今は年相応の少女のように柔らかく微笑んでいる。両腕を広げ、子どもたちを抱きしめるその姿は、暖炉の火のように周囲を温めていた。


ライは少し離れて、その光景を見守った。

胸の奥がじんわりと温かくなる。懐中時計の針が小さく揺れ、心拍が高まっていくのがわかる。同時に腹の奥に、締めつけられるような痛みが走った。


「……っ」


わずかに顔をゆがめると、隣に立つバルドがひそひそ声でささやいた。


「若、恋腹は勝利の褒美ではなく、どうやら“代償”でございますな」


「黙っていてくれ」


ライは額に浮かんだ汗をぬぐいながら、深呼吸を繰り返した。



---


場所を移し、修道院の食堂。

夜通しの救出のあと、温かいスープと焼きたてのパンが大きな机に並べられていた。

子どもたちは椅子に飛びつき、泣きながらスープをすすり、パンをちぎっては口にほおばる。


「ほらほら、こぼしちゃだめ! あっ、わ、わたしのパンがっ!」


ミーナが子どもたちの世話を焼いていたが、自分のパンを床に落として慌てふためく。

そこにすかさずモフドラが飛びつき、パンくずをくわえてテーブルの下を駆け抜けた。


「きゃははっ! 待ってー!」


子どもたちが一斉にモフドラを追いかけ、食堂は一気に賑やかな混乱へと変わった。

ロイスはぐったりと椅子に腰掛け、疲れた表情のまま天井を見上げていたが、口元には小さな笑みが浮かんでいた。


ライは黙ってスープを口に運んだ。胃を温める味が、ようやく自分を現実に引き戻していく。

今日守れたものがあった——その実感が、確かに胸に残っている。

しかし視線は自然とセラフィーナへと向かい、時計の針はまた大きく揺れ始める。



---


子どもたちが眠りにつき、食堂の喧騒が静まった頃。

ライは廊下を抜け、中庭へと歩いた。月明かりの下、そこにはセラフィーナが立っていた。


「……戻ってこられて、本当に良かった」


彼女は振り返り、まっすぐにライを見つめる。瞳は夜空の星のように澄んでいた。


「あなたがいてくれなかったら、あの子たちは……。ありがとうございます」


セラフィーナの声はいつになく柔らかかった。

ライは答えようとしたが、また腹の奥に痛みが走り、思わず胸を押さえた。


少し離れた廊下の影で、バルドが両手を組んで睨んでいる。

(若、今ここで倒れれば“変人”確定でございますぞ)

と、まるで目だけで訴えかけてくる。


ライは必死に呼吸を整え、なんとか微笑みを返した。

しかしその顔があまりに鋭すぎて、セラフィーナが一瞬「怒っているのでは」と勘違いしてしまう小さなすれ違いも起きた。


それでも彼女はすぐに笑い、二人の間に静かな余韻が流れる。

告白の時は——すぐそこまで迫っている。



修道院の中庭は、昼間のざわめきが嘘のように静かだった。

夜露の匂いが石畳から立ちのぼり、月の光が古びた石のベンチを淡く照らしている。


ライオネルはベンチの前に立ち、胸の奥で大きく息を吐いた。

その手には、旅用薬箱から取り出したミントの葉。かじると、ほのかな清涼感が喉から腹に落ち、少しだけ痛みが和らぐ。

懐中時計を開くと、針がわずかに下がっている。心拍も落ち着いてきた。


やがて、修道女の外衣をまとったセラフィーナが戻ってきた。裾には小さな粉がついている。今日も子どもたちの食事の世話を最後までしてきた証だ。彼女は短く礼をして、近くの石畳に腰を下ろした。


その時、廊下の角からひょいと顔を出す者がいた。

ミーナだ。

「し、シスター! 熱いお茶を……あ、すみません空気!」

顔だけ出して慌てて引っ込み、代わりに湯のみだけを置いて去っていった。

ライは苦笑をこらえる。セラフィーナは少し困った顔をしたが、湯気の立つお茶を前にそっと置いた。


さらに遠く、回廊の影からロイスが親指を立てて見せる。妙に品のある親指だった。すぐに踵を返し、音もなく去っていく。

柱の裏にはバルドが控えていた。無言で“コホン”と咳払いを一つ。

それは「行け」という合図。


ライは黒マントの裾を正し、祖母が縫ってくれた腹当てを軽く叩いて心を落ち着けた。

「誠実は、最短の近道じゃない。でも唯一の道だ」

自分に言い聞かせ、彼女の隣に腰を下ろした。



---


「僕は完璧だ。――恋以外はね」

ライは冗談を交えて口を開いた。

セラフィーナは目を瞬き、次に小さく微笑んだ。その笑みを見て、ライの心臓が一気に跳ね上がる。懐中時計の針もぐんと動き、腹がきりきりと痛む。


それでも言葉を止めなかった。

「君の勇気に救われた。君がいたから、僕は迷わず動けた」

「君を尊敬している。人として、そして……一人の女性としても」

深呼吸。痛みをこらえ、まっすぐ見つめる。

「もし君が許すなら、これからも君と子どもたちを守りたい。僕のそばに……」


セラフィーナは目を伏せ、外衣の裾をそっと握った。

「ありがとう。言葉が温かいわ。でも私は、いまは子どもたちのそばにいる道を選んでいるのですわ」


彼女は顔を上げ、静かに続けた。

「最初から、あなたの顔を怖いと思ったことはありますが、本気で怖がってはいなかったですわ。ずっと“まっすぐな人”だとわかってました。でも、もし恋を受け取ってしまえば、目の前の子どもたちへの気持ちがぶれてしまいます。だから、いまの私は恋より守ることを選ぶのです」


その声には迷いがなかった。謝罪もなかった。

ただ、深い感謝が込められていた。

「救ってくれてありがとう。私を仲間として見てくれて、ありがとう」


ライは目を閉じ、痛みを胸の奥で受け止める。恋腹はさらに強く締めつけてくる。

その瞬間、モフドラがふわりとお腹に乗った。ぷしゅっと温かい湯気。痛みがほんの少し和らぐ。


彼は微笑み、誠実の言葉を口にした。

「あなたの決断を尊重します。僕の好意は、あなたの自由の敵ではない」

「今日、あなたが前を向けたなら、僕の恋はもう役割を果たした」


セラフィーナは静かにうなずき、「ありがとう」と返した。

そして一歩近づき、短く「どうか、無茶はしないで」と言い残す。

握手はほんの一瞬。触れた温もりが消えたあと、懐中時計の針は大きく揺れて、それから落ち着いていった。



---


二人は石畳を並んで歩き、回廊の角で別れた。言葉は少ない。けれど歩調は同じだった。

セラフィーナは最後に笑みを残して去っていく。ライは夜空を仰いだ。星が少しにじんで見える。


柱の影から、バルドがゆっくりと姿を現した。

「若。お顔は鍛えられませんが、痛みの受け方は見事に鍛えられましたな」

ライは小さく吹き出す。「慰めのはずが、筋トレの話に聞こえる」

「事実でございますゆえ」

バルドは肩をすくめ、真顔で言った。

「礼節は筋肉。繰り返すほど、しなやかに強くなるものです」


ライは目を細めて笑い、夜風の中庭に一人残った。

風鈴が鳴る。昨日は不吉に感じた音が、今日は「明日もやることがある」という合図のように聞こえた。


彼は心の中で短くつぶやく。


> きっと、今日も誰かの幸せの余白に、僕の名前は残らない。

それでも——灯りは消さない。




足元ではモフドラがあくびをし、ミーナが毛布を抱えて小走りに近づく。ライの肩にそっとかけると、また慌てて去っていった。


静かな夜。残ったのは、胸の奥の痛みと、ほんのり温かい余韻だけだった。


ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

今回、ライの誠実さとセラフィーナの決意が交わり、切ないけれど温かな幕引きとなりました。モフドラやミーナたちの存在が少しでも読後に笑みを添えていたら幸いです。

もし物語の感想や「ここが好き!」というお気持ちがあれば、評価やコメントで伝えていただけると作者の力になります。

皆さまの一言一言が、次のお話を紡ぐ原動力です。

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