第56話 シスター、と地下運河の救出作戦
修道院から始まった誘拐の手がかりは、ついに地下運河へ――。
暗闇と湿気の中、ライたちの緊張は最高潮に達します。
今回は救出劇の山場!トマの勇気がどんな意味を持つのか、ぜひ読んで確かめてみてください。
物語を追いかけてくださる皆さま、もし「続きが気になる!」と思っていただけたら、ブックマークをぽちっとして応援いただけると励みになります!
川沿いの裏道を抜けると、古びた石段が水辺へと続いていた。
その先に口を開けていたのは、旧水車小屋の地下へつながる通路。もう何十年も前に使われなくなった場所で、今では湿った空気と黴の匂いしか残っていない。
階段の下は闇だ。夕暮れの残光も届かず、まるで地の底へ落ちていくように見える。子どもなら泣き出すほど不気味な光景だった。
しかしライオネルは迷わず一歩を踏み出した。
黒いマントが石段をかすめ、長身の影が闇に吸い込まれていく。その姿は、まるで地下世界の門番のように見えた。
セラフィーナは思わず小声でつぶやく。
「……顔と雰囲気が合っていて、逆に心強いですわ」
ライは返事をしなかったが、バルドが後ろで咳払いをした。
「若のお顔は時に剣よりも頼りになりますな。威圧感だけで魔物も逃げ出しましょう」
モフドラが鼻をひくひくと動かした。小竜の嗅覚は鋭い。魚油の匂いに混じり、かすかな汗のにおいを感じ取っているらしい。
「……やはりここを通っている」ライが短く呟く。
セラフィーナは胸元の小さなベルを強く握った。
階段を下りると、空気はさらに冷たく湿っていた。壁は苔むし、滴る水が小さな流れを作っている。地下運河――石造りのトンネルは思った以上に広く、頭上の天井は高くそびえている。
足元には濡れた板が敷かれていた。通る者が多いのか、ぬかるみを避けるための簡易な足場だ。だが表面はぬるりと滑りやすく、セラフィーナが一瞬バランスを崩す。
「っ!」
倒れそうになったその肩を、ライがすかさず支えた。
その瞬間、ライの懐中時計の針がグッと跳ね、彼の腹に鈍い痛みが走る。
「……ぐ」
ほんの一瞬、苦悶の色が顔に浮かぶ。だがセラフィーナは気づかない。ライはすぐに手を離し、何事もなかったように前を向いた。
進むにつれて、足元に痕跡が増えていった。泥の中には荷車のタイヤ跡が刻まれ、その横には小さな足跡が点々と続いている。
「トマの靴跡だな」ライはしゃがみこみ、指で型をなぞる。
セラフィーナの目に決意の光が宿った。
さらに進むと、壁に白いチョークの矢印が描かれていた。小さな手で急いで残した跡だ。
「助けを求めるサイン……」
セラフィーナが唇を噛む。
その先、空気は再び張り詰めた。
通路の奥に、ぼんやりとした明かりが見える。誰かが持つランタンの灯りだ。
耳を澄ませば、低い声が響いた。
「板橋に回せ」「子どもを濡らすな」――間違いなく犯人たちの声だった。
ライは手を上げ、全員に停止の合図を送る。
全員が壁際に身を寄せ、息を殺す。
その時、天井の隙間から落ちた水滴が、ミーナの頭に直撃した。
「ひゃっ!」
短い声が通路に響き、ランタンの灯りがこちらを照らす。
「誰だ!?」
犯人たちが気配を探るように灯りを振る。緊張が走った。
その瞬間、通路の反対側から「カンッ」と石の音が鳴った。
ロイスが石を投げたのだ。
「ネズミか……」犯人のひとりが吐き捨て、ランタンを下ろす。やがて足音は奥へ遠ざかっていった。
張り詰めた空気が解け、セラフィーナが小さく息を吐く。
ライは腹の痛みを隠しながら、低く囁いた。
「……次は失敗は許されない。奴らの足取りを追うぞ」
懐中時計の針が再び揺れる。
しかしライは顔を上げ、鋭い眼差しで暗闇の奥を見据えていた。
地下水路は、息をひそめた獣の腹の中のように、暗く湿っていた。
壁からは絶え間なく水滴が落ち、冷たい音が石畳に響く。水の流れは濁り、ところどころで簡易の板橋が渡されている。踏み外せば、音を立てるか、あるいは流れにのまれるか。その緊張が、足元からじわじわとせり上がってきた。
その先を、大人二人が小さな荷車を押して進んでいた。荷車は片輪が欠けていて、段差にさしかかるたびにガクンと揺れる。積まれているのは布にくるまれた小さな影――トマだった。布の口からは、かすかに規則正しい呼吸が聞こえる。
ライオネルは壁際に身を伏せ、短く視線を巡らせた。
先頭の犯人はランタンを手にしている。頼りない炎が、ゆらゆらと板橋を照らしていた。後ろの一人は布包みを気にしながら、何度も振り返る。油断は少ない。正面から突っ込めば、トマを盾にされるだろう。
――正面からは行けない。足場と光を奪う。それが一番早い。
ライは胸の内で方針を固め、静かに手信号を送った。
上流側で待機していたロイスが、指先ほどの小石をつまみ、水面へと投げ入れる。パシャッ、パシャッと連打の波紋が広がり、反響が通路全体にこだまする。犯人たちの視線が一斉に上流へ向いた。
その一瞬を逃さず、ミーナが指先に結んでいた細糸を引いた。
カタン、と乾いた音が響き、先頭の板橋の支点が外れる。ギシッと揺れた板に足をかけていた男が、慌ててバランスを崩した。ランタンの炎が大きく泳ぎ、光と影がぐるぐると壁に踊る。
その瞬間、ライは掌を掲げ、小さな術式を展開した。
「屈折障壁」――光をゆがめる薄い膜が板橋の前に立ち、炎の光は犯人の目に白くぼやけて届いた。暗さに慣れていた彼らの視界は、たちまち真昼のように白んで奪われる。
「な、なんだッ!?」
「前が……見えねえ!」
慌てた声が響く。
その隙に、ライは足元へ札を投げつけた。小さな符が石畳に吸い付くように張りつき、犯人の靴底をぴたりと捕らえる。片足が固定された男は、まるで地面に縫いつけられたかのようにもがき、動けない。
もう一人は板橋の端を踏み外し、片膝を水に突っ込んだ。濡れた板がすべり、荷車がガタンと大きく傾く。
「今だ!」
ロイスが上からロープを投げた。バルドはすかさずその端を取り、結び目を作る。その手際は年季が入っており、暴れる犯人の腕を縛り上げるのに一瞬しかかからなかった。
その間に、セラフィーナが布包みをほどく。
中から現れたのは、怯えた表情のトマだった。涙で濡れた頬をセラフィーナがそっとぬぐい、やわらかい声で囁く。
「もう大丈夫よ。怖かったでしょう」
トマは泣きじゃくりながらも、かすかに頷いた。
ライは膝をつき、トマの目線に合わせる。
「君が残した印のおかげで、ここまで来られた。チョークの矢印も、石並べも、全部見た。……よくやったな」
トマの顔に、ほんの少しだけ安堵の色が広がる。だが次の瞬間、口をもごもごさせて、ぽそりと言った。
「……ライ様、ちょっと顔がこわ……いやっ!ありがとうございます!」
その言葉にミーナが「正直~!」と突っ込み、ライは深くため息をついた。
「怖くても、役に立つなら上出来だ」
そう言い返したときの声には、わずかな苦笑が混じっていた。
犯人たちは後ろ手に縛られ、布で口を抑えられている。だが一人がなおもぶつぶつとつぶやいた。
「俺たちは運ぶだけだ……顔のいい奴が、金を置いてったんだ……“整容師ギルド”の紹介状を持ってた……」
ライとロイスは同時に顔を見合わせる。整容師――美を扱う職人たちの組合。その名が、この誘拐にどう絡むのか。
セラフィーナがトマを抱き寄せ、安堵の息をついた。その手が思わずライの袖をつかみ、小さく礼を告げる。
「……ありがとうございます」
近い距離。真剣な瞳。
その瞬間、ライの胸ポケットにある銀の懐中時計が、わずかに針を跳ねさせた。恋腹――。腹の奥がきりきりと訴える。
ライは深呼吸し、表情を崩さず答えた。
「礼ならトマに。君の祈りが、彼を守った」
すぐ横で、ミーナがにやりと笑う。
「今の若様、超かっこよかったです! シスター、ワンチャンあるのでは!?」
「ミーナ!」
セラフィーナが真っ赤になって突っ込み、場の緊張がほんの少しだけ和らぐ。
ライは小さく肩を落とし、誰にも聞こえないように呟いた。
「……僕は完璧だ。——恋以外はね」
水路を抜け、夜風の入る出口へ向かう。
ライは布の底に刻まれた焼印を思い出す。薔薇のようでいて、鏡にも見える幾何学模様。青い麻縄の細片。美にこだわる者たちの影。
「買い手は、必ず夜明け前に動く」
月光に照らされた水面が、揺れる羽根の影で鏡のように見えた。
そのとき、バルドが横でぽつりと呟いた。
「若。鏡は姿を映すだけにございます。中身を磨くのは、積み重ねの日々。……本日も、まずは合格点で」
ライは返事をしなかった。ただ、胸の奥で針がまだ小さく震えているのを感じながら、夜の冷気を吸い込んだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
地下運河の戦い、いかがでしたか?
ライの「顔が役に立った」シーンは、シリアスの中にちょっとした笑いを忍ばせたくて入れました。読んでいて緊張と緩和を感じてもらえたら嬉しいです。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひ評価や感想を残していただけると大きな力になります。
あなたの一言が、この物語をさらに熱くしてくれます!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
楽しんでいただけましたか?
ぜひ☆評価で作者のやる気が上がります!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
まとめサイトはこちら!
https://lit.link/yoyo_hpcom
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆




