第55話 シスター、とトマの失踪
今回は、夕暮れの川辺にある旧水車小屋が舞台です。黒ずんだ壁、割れた屋根、板でふさがれた窓――ただの廃墟に見える場所から、少しずつ手がかりを拾い上げていきます。
ライたちは泥に残った欠けた荷車の跡、青い麻縄の毛羽、そして小石を三つ並べた跡(トマの癖)を見つけます。静かな捜査、短い制圧、そして次の戦いへ向けた配置――この回は、音を立てない緊張が主役です。
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では本編へ。
市場の裏路地を抜けると、夕暮れの光に照らされた川沿いの建物が見えてきた。
それが、かつて水の力を借りて粉を挽くために作られた旧水車小屋だった。
壁は黒ずみ、木の板はあちこちで剥がれ落ち、釘も半ば錆びている。窓はすべて板で打ちつけられ、内部をうかがうことはできない。
屋根には大きな穴があき、そこから鳥が巣を作り出入りしている様子が見えた。
かつて人の営みを支えたはずの建物は、今や誰も近づかない廃墟に成り果てている。
今にも崩れ落ちそうなその姿は、使われなくなった年月の重さを雄弁に語っていた。
ライオネルは黒いマントの裾を整え、目を細めて辺りを静かに観察した。
彼の視線は路地の泥へと向けられる。そこには出入りする荷車の跡がくっきりと刻まれていた。
片方の車輪の跡だけが深くえぐれ、もう片方は浅い。――不均衡な痕跡。
先ほどロイスが指摘した「片輪が欠けた小型荷車」の特徴と一致していた。
「……間違いない。ここが中継地だ」
ライの低い声が空気を震わせる。
セラフィーナが横に立ち、胸元の小さなベルを両手でぎゅっと握りしめた。
彼女の顔には不安の影が浮かんでいたが、その瞳の奥には揺るぎない決意の光が宿っていた。恐怖に押し流されそうになっても、それ以上に守りたいものがある――その強さが表情ににじみ出ていた。
ライは一歩退き、仲間たちを見渡した。
「ロイスは高台から監視にあたれ。奴らが動けば、すぐに合図を送れ」
「承知した」ロイスは短く答え、崩れかけた石段を音もなく登っていく。
夕陽に照らされたその背中は、どんな場所にいても隠しきれない気品をまとっていた。足取りは迷いなく、まるで舞台に上がる役者のように優雅ですらある。
「バルド、ミーナは後方で待機だ。修道院との連絡と救護を頼む」
「若様の背中は私どもが守りますゆえ」
バルドは淡々と答え、肩から下げていた救急箱をきゅっと掛け直す。
その横でミーナが「絶対に目を離しません!」と拳を握りしめ、妙に気合いを入れている。その様子は頼もしいようでいて、少し的外れにも見え、ライは小さくため息をついた。
最後にライはセラフィーナへ視線を向ける。
「君は僕と共に動いてほしい。……ただし、必ず二歩後ろを守ること」
セラフィーナは深くうなずいた。小さなベルを胸に抱え、まるでその音色に祈りを託すように瞼を閉じる。彼女の姿はか弱くも見えるが、その芯は誰よりも固かった。
冷たい風が運河の方角から吹き抜け、魚油の匂いを漂わせる。
ライは懐から地図を取り出し、これまでに集めた証拠を頭の中で一つずつ思い返す。
赤い布切れ、祈りのパンのパンくず、青い麻縄の繊維、そして片輪の荷車。
すべての線が、この旧水車小屋へと収束していた。
そのとき、モフドラが鼻をひくひくさせ、壁際にぴょんと飛び降りる。
小さな口でついばんだのは、青い麻縄の毛羽だった。油が染み込み、強い匂いを放っている。
ライは指でそれをつまみ取り、目を細める。
「やはり港の荷縄だ。……港筋とつながっている」
さらに足元へ視線を落とすと、石を三つ並べた跡が残されていた。
大人なら気にも留めない小さな痕跡。だがライには見覚えがあった。
――トマが遊びでよくやっていた癖。小石を兵士に見立てて「兵隊ごっこ」と呼び、得意げに並べていた姿がよみがえる。
「トマは近くにいる」
ライの確信に満ちた声に、セラフィーナは胸元で小さく祈りを結んだ。
その手はもう震えていなかった。
心に灯ったのは、恐れを押し流す希望の炎だった。
その瞬間、夕暮れの空に赤い光がかすかに瞬いた。
高台に立つロイスが、監視の合図を送っている。荷車が動いたのだ。
ライは深く息を吸い込み、仲間たちへ視線を走らせた。
「……夜を待つ。奴らが子どもを運び出すその時を狙う」
セラフィーナは強くうなずき、小さなベルを握り直した。
夕暮れの鐘が遠くで鳴り響き、旧水車小屋の影は一層濃くなっていく。
その影の奥に潜むものが何であれ、もはや逃がすつもりはなかった。
旧水車小屋の前に立つと、夕暮れの色はすでに薄れ、川沿いの風は冷たく重たかった。
壁は黒ずみ、板は剥がれ落ち、窓はすべて板で打ちつけられている。ここが噂どおり、裏の取引に使われる中継地であることは疑いようがなかった。
ライオネルは泥に残った足跡をしゃがんで確かめた。深くえぐれた片輪の跡、そして反対側は浅い。先ほどの欠けた荷車の跡に違いない。
セラフィーナは二歩後ろに立ち、緊張を隠すように唇をかみしめている。ライが振り返ると、彼女は小さくうなずき、決意を示した。
「……入るぞ」
低く告げ、ライは扉へ近づいた。正面ではなく横の小扉。蝶番の錆びた粉が足元に落ちている。ここが出入り口だと見抜いた。
手をかざすと、靴の底に小さな魔法陣が光を帯びた。足音を吸収する術だ。セラフィーナの靴にも弱い術を施し、「僕の足跡の上だけを踏め」と耳打ちする。彼女は頷き、慎重に従った。
室内は暗かった。ライは光を直接灯さず、床のあたりに淡い光を浮かべる。影を作らないための工夫だ。
そこには、赤い肩掛け布の裂け端、魚油に染みた青い麻縄の毛羽、そして小さなコップの破片が散らばっていた。
壁際には白いチョークで描かれた矢印――トマの「助けてサイン」と同じものだ。しかもそれは水車の基部の奥を指していた。
「……やはり、中継地か」
つぶやいた時だった。外から砂利を踏む音。
ライは指先でセラフィーナに合図を送り、影に下げさせる。上空で小さく光が二度瞬いた。ロイスの合図だ――「二名、接近中」。
扉が開き、男たちが入ってきた。肩に裂けた赤布を下げ、声を潜めている。
「片輪の荷車、今夜まで持たせろ」
「合流は地下運河の“板橋”だ。頭に遅れるなよ」
短いやり取りの中に、大事な情報が詰まっていた。
一人が腰の短棍に手をかけた瞬間、ライは動いた。床のきしむ音と呼吸の間を狙い、低く滑り込む。手首を返し、ひとりを床へ沈めた。もう一人が振り向いた刹那、屋根の上から木屑がぱらりと落ち、視線が逸れる。ロイスの援護だ。
ライは間髪入れず肩へ打ち込み、二人目の動きを止めた。制圧は一瞬。声を出す暇も与えない。
縛りは現場に落ちていた青麻縄で足りた。ライは短く問いかける。
「次の運びはどこだ」
呻いた男は観念し、答える。
「……夜三つ鐘。地下運河の“板橋”だ。子どもはそこで“頭”に渡す。ここは一時置き場にすぎねえ」
セラフィーナの顔が強ばる。しかし声は出さず、拳を握りしめて耐えていた。
男たちの持ち物から、さらに証拠が見つかる。修道院の紋章がかすかに残るパン袋の切れ端、粗末な矢印地図、そして銀貨の詰まった小箱。どれも裏取引の匂いが濃い。
ライは床板の継ぎ目を指先で叩く。低い空洞音が返ってくる。
「……地下の水路につながっているな。」
ロイスが高台から声を落とすように告げた。
「板橋の上流は腐食が進んでいる。荷車の重さで必ず速度が落ちる。そこで合図を送る」
ライは即座に頷き、配置を言語化する。
「ロイスは高台。僕らは下流で確保する。……子どもを救うために」
セラフィーナは小さく息を吸い、はっきりと答える。
「必ず、間に合います」
ライは胸元の懐中時計を開く。針は静かに動いている。まだ焦る時ではない。
「誠実は、最短の近道じゃない。でも唯一の道だ」
男たちを縛ったまま残し、小屋を後にする。背後から「こ、怖え顔……」と情けない声が漏れた。
ライは肩をすくめ、皮肉を混ぜる。
「安心感の言い間違いだろう」
それ以上の笑いはなく、一行は闇に向かった。
川沿いの取水階段が、地下運河への入り口として黒く口を開けている。
次の包囲戦は、もう始まろうとしていた。
今回は、派手な魔法の撃ち合いではなく、観察→判断→一瞬の制圧という流れを大切にしました。ロイスの高台サポート、セラフィーナの静かな決意、バルド&ミーナの後方支援――全員の役割が、次の包囲戦へきれいにつながるはずです。
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