第48話 看板娘、雨上がりの市場と静かな応援
今日は“花祭り前日”の朝市が舞台。人混み、雨上がりの石畳、そして――誰かの背中をそっと押す勇気の話です。
コメディは控えめ、でもモフドラは相変わらず「ぷしゅ」。しんみりと、だけど前を向ける回にしました。
「続きも追いかけたい」と思ったら、次に迷わないようにしおり(ブックマーク)をそっと挟んでおいてね。
朝の市場は、どこか曇っていた。
空はうすい灰色で、光はやわらかいけれど、まるで世界全体が息をひそめているようだった。
通りの一角、布を張った屋台の下で、マリエが焼き上げたパンを並べていた。
手のひらにすっぽり収まる「はちみつロール」、表面にひび模様の入った「くるみパン」、それから角のように突き出た形の「小さな角パン」。どれも昨日より少しずつ姿が整っていて、朝の光を受けてほんのりと艶めいていた。
ライは屋台の後ろで縄を締め直していた。風よけの布が外れないように、結び目を固くする。
長身の影が布に映り、道行く客からはやっぱり「ちょっと怖い人がいる」と思われているに違いなかった。彼自身もそれを分かっているから、あえて表には出ないよう控えていた。
肩に乗った小竜モフドラが「ぷしゅ」と小さく鳴き、暖かい湯気を吐く。ライのお腹を温めるための、いつもの習慣だ。
その横で、妹のルチアが布袋を抱えている。中身はミント葉や替えの腹当て、緊急用の薬草が入っていた。屋台の端には、小さな白い花を一輪飾り、ささやかな清楚さを添える。
「兄様、縄はほどけません。でも心は……ほどくときが来ます」
ルチアがぽつりとつぶやく。
「その比喩は、ロープ職人が泣く」
ライは苦笑しながらも、心のどこかで痛みを覚えていた。
マリエはそんな二人の会話を背に、深呼吸をした。
「……今日こそ、ちゃんと“渡せる味”にします」
その声に合わせて、通りを抜けてきた小さな子がパンに手を伸ばした。マリエは慌てて止めようとしたが、すぐに小袋を取り出し、パンを半分にして渡す。子どもは「ありがとう!」と笑い、駆けていった。
――そのときだった。
通りの向こうから、荷台を引く青年が姿を現した。肩や腕に粉の跡をつけ、軽い足取りで進んでくる。エミルだ。王都で配達をしている青年で、マリエにとっては昔からよく知る顔だった。
「おはよう」
エミルは荷を下ろしながら言った。
「はちみつパン、香りがまるくなってて美味しそうだね」
「え、分かりますか?水を少し減らして……」
マリエははにかむように笑い、目線を落とす。
言葉は短いのに、二人のやり取りは自然に続いていく。わずかな変化をすぐに共有できるようになったようだ。
屋台の脚が少しガタついた。エミルはしゃがみ込み、木片をスッと差し込んで揺れを止める。手慣れた動きに、マリエは「わ……」と小さく声を漏らす。
試食皿の並びも人の流れと逆だった。エミルは何も言わず、手のひらでくるりと向きを変え、客が自然に手を伸ばしやすい配置にする。
そして、マリエの指に小さな火傷の跡を見つけると、腰の袋から小瓶を取り出した。中には緑色の薬草クリームが入っている。
「これとてもよく効くよ、薄く塗るとすぐよくなるんだ」
触れずに差し出すだけの距離感。
マリエは素直に「ありがとう」と受け取った。
――ライは後ろで縄を締め直すふりをしながら、その光景を視界の端で見ていた。
内ポケットの懐中時計の針が、静かに黄から橙へと傾く。腹が、じわりと締めつけられる。モフドラが「ぷしゅ……」と湯気を増やした。
(これが自然な恋というものか。僕が入るより、美しい)
心の中でそうつぶやく。
そこへ、紙袋を抱えたミーナが駆け込んできた。
「若様ーっ!応援ポップ作ってきました!“本日、恋の焼き上がり!”――あっ……」
ルチアがすかさず肘で突き、「今日は静かに」と目で合図する。
ミーナは慌ててポップを裏返し、裏面に価格を書き直した。結果的にそれが分かりやすくなり、客が増えるのだから不思議だった。
エミルは小銭皿をマリエの前に滑らせ、受け渡しをしやすくする。マリエの手と触れない距離で、しかし確実に助けていた。
ライはそれを見ながら、胸に小さな痛みを覚える。
(これは、僕が苦手な距離感だな……)
パンは順調に売れていき、残りはわずか。子どもが「もう一つ欲しい」とせがむと、マリエは最後のはちみつロールを迷わず渡した。
エミルも「パン人気だね、次はもっとたくさん焼いてもいいかも」と笑う。
その笑顔を見て、ライは少しだけうつむいた。懐中時計の針は限界手前まで震え、腹の奥で「キリキリ」と痛みが広がる。
小雨が降り出した。
エミルは咄嗟に布を取り、マリエの頭上にかざす。
「濡れちゃうと風邪ひくからね……傘に入って」
さらりとした言葉に、マリエは「……助かります」と小さく微笑んだ。
ライは風の魔法をそっと流し、屋台の足元にできた水たまりを消す。
誰にも気づかれない。けれど、それでよかった。
(僕が好きになったのは、彼女の夢。なら、その夢を守る人を……僕が守ればいい)
ルチアが小声で言う。
「兄様、糸は絡むほど温かい。でも、強く引けば切れます」
「……ほどくのも、手の役目だ」
ライは静かにうなずき、遠くで笑う二人を見守った。
マリエとエミルは、余った小さな角パンを半分こにしようと約束していた。
その姿を眺めながら、ライはつぶやく。
「僕は完璧だ。――恋以外はね」
腹の奥でキュッと締めつけが走り、モフドラが「ぷしゅ」と控えめに湯気を吐いた。
雲の切れ間から、わずかな陽が差す。市場のざわめきが戻り、時間はまた流れ出した。
雨はようやく上がっていた。濡れた石畳には空の明かりが反射して、ところどころ水たまりが小さな鏡のように光っている。
市場の喧噪も落ち着き、あちこちの屋台が片づけに入り始めていた。
エミルは荷台のロープを手早く結び直し、マリエは帳簿を抱えて売り上げを数える。言葉を交わさなくても、視線と小さな合図だけで動きが噛み合っていた。
まるで長いあいだ一緒に働いてきた仲間のように。
少し離れた支柱を直していたライは、二人のやり取りをちらりと横目で見た。
胸の奥がじわりと熱くなり、同時に腹の奥がきりきりと締めつける。懐中時計の針は橙を振り切って、赤へと跳ねあがる。
小竜のモフドラが「ぷしゅ〜」と音を立てながらお腹にしがみつき、必死に温めるが、痛みはごまかせなかった。
「兄様、深呼吸です」
後ろからルチアがそっとミントの葉を差し出す。
「今は出る幕じゃありません。……守るだけです」
ライはうなずき、葉を噛みしめながら呼吸を整えた。
そこへ、黒い外套をまとったバルドが現れる。
肩に残る雨粒をハンカチでぬぐいながら、静かに場を見渡す。
「若、結び目は固いほど、解くときに痛むものですぞ」
それだけ言って、支柱の陰に身を置いた。
ライは思わず小さく苦笑し、背筋を伸ばす。
ちょうどその時、屋台の端に積んでいたパンかごがころりと転がった。明日の試作用にとっておいた分だ。
すぐさまエミルが拾い上げ、袋の口を結び直す。
「落としたよ、これも大事なパンなんでしょ」
「ありがとう」
マリエははにかんで笑い、指先についた水滴をぬぐった。小さな絆創膏がはがれかけているのを見て、エミルは腰の袋から清潔な包帯を差し出した。
「これ、張り替えたほうがいいよ。傷が悪化したら困るからね」
触れない距離を守りながらも、必要なものはきちんと届ける。そんな姿に、マリエは「うん」と素直にうなずいた。
ライは一歩前に出ると、淡々とした声で言った。
「屋台はこちらで片づけよう。あなたたちは先に休んでくれ」
「すみません、助かります」
マリエは深く頭を下げ、エミルも「ありがとうございます、ライ様」と短く礼を言った。そこに恋の色はなく、ただ互いを思いやるまっすぐな距離だけがあった。
バルドが、誰にも聞こえない小声で囁く。
「若、背中が丸まっておりますぞ。誇りは、守るために立てるもの」
ライは腹痛に耐えながらも、ぐっと姿勢を正した。
二人の背中が遠ざかっていく。並んで歩く足取りは自然にそろい、街灯の下で影も重なっていた。
ルチアが小さくつぶやく。
「……やっぱり二人お似合いですわ」
ミーナは横でハンカチをかじりながら「青春……!」と震えている。
丘の上に出たライは、夜の空を仰いだ。
懐中時計の針は限界ぎりぎりで震えている。
腹は痛むのに、胸の奥は妙に温かかった。
「本当に……お似合いだ。僕より、ずっと」
誰に聞かせるでもなく、静かに言葉をこぼす。
彼は続けて、自分に刻みつけるように呟いた。
「あなたの決断を尊重します。僕の好意は、あなたの自由の敵ではない……」
バルドが隣に立ち外套の裾でそっとライの肩を覆う。
「若、恋は剣術と違い、勝ち負けではございません。よい別れ方は、次の誇りになります」
モフドラはお腹の上で小さく丸くなり、「ぷしゅ〜」と湯気を吐いた。
痛みがほんの少しだけ、やわらいでいく。
ルチアが追いついてミント湯を差し出す。
「兄様、ここまでは痛み。ここからは成長。……立ち上がってください」
「ありがとう」
ライは短く答え、湯を口に含んだ。温かさが、喉の奥から広がる。
遠くで鐘の音が響く。街には“花祭り”の準備を知らせる紙飾りが舞い始めていた。
ライは屋台用の木札を取り出し、裏に小さく「応援に回る」と書き記して、そっとポケットにしまった。
その横で、バルドがふっと口元を緩める。
「若、本日のお心は……見事に焼きあがっておりますな。お顔よりも、よほど上出来に」
ルチアとミーナが同時に吹き出し、空気が少しだけ軽くなる。
ライは小さく苦笑しながら、夜空に向けて一言。
「僕は完璧だ。――恋以外はね」
ライはしばらく星のない空を見上げていたが、やがて踵を返した。
帰り道、閉店した「麦のひかり」の前で立ち止まる。戸口の釘には、午前中外したままの細い革ひもが一本だけ残っている。彼はポケットから同じ革ひもを取り出し、そっと二重にして掛け直した。風が出ても外れにくい結び目――騎士団で覚えた、地味で確かな結い方だ。
「これで安心だな……」
小さくつぶやくと、胸の懐中時計が“コツ、コツ”と静かな角度に戻る。痛みはまだいるのに、やけに素直だ。
肩のモフドラが「ぷしゅ……くしゅ」と小さなくしゃみをして、温い湯気が頬に触れた。
通りの先で、紙飾りを片づける少年が脚立から降りそこねる。ライは無言で支え、何事もなかったように離れた。
「ありがとうございます!」
振り返らず片手だけ上げる。礼を受け取るより、落ちないほうが大事だ。
屋敷に戻る坂道、ルチアの言葉が胸の奥でほどけていく。
――並走、か。
ならば明日、僕は列の外側を歩こう。ぶつかりそうな肩を、一度だけそっと押し戻す役でいい。
門をくぐる前に、ライは腹当ての位置を直した。
「誠実は、最短の近道じゃない。でも唯一の道だ」
いつもの口癖を、自分にだけ聞こえる声で繰り返す。懐中時計の針は、赤から橙、そして静かな黄へ。
遠くで、パン窯の余熱が最後の息を吐くように、ふっと音を立てた。
その小さな終わりを合図に、ライは歩き出す。祭りの朝へ続く石畳は、雨上がりの薄い光をまだ胸に抱いたまま、静かに冷えていた。
――きっと明日、誰かの一歩が始まる。
その足もとだけは、僕が照らそう。
ライの痛みは負け印じゃなくて、“守る側の熱”なんだと思います。
雨は上がりました。あとは、それぞれの決意が歩き出すだけ。
この先、花祭りで何が咲くのか――一緒に見届けてくれる人は、ブクマで待機してもらえると、とても心強いです。感想のひと言も、ライのミント湯みたいに効きます。
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