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完璧侯爵様、恋するとお腹が痛いんです —恋すると腹がキリキリする侯爵様の100連敗—  作者: ヨーヨー
第5章 恋看板娘 マリエ

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第48話 看板娘、雨上がりの市場と静かな応援

今日は“花祭り前日”の朝市が舞台。人混み、雨上がりの石畳、そして――誰かの背中をそっと押す勇気の話です。

コメディは控えめ、でもモフドラは相変わらず「ぷしゅ」。しんみりと、だけど前を向ける回にしました。

「続きも追いかけたい」と思ったら、次に迷わないようにしおり(ブックマーク)をそっと挟んでおいてね。


朝の市場は、どこか曇っていた。


空はうすい灰色で、光はやわらかいけれど、まるで世界全体が息をひそめているようだった。


通りの一角、布を張った屋台の下で、マリエが焼き上げたパンを並べていた。

手のひらにすっぽり収まる「はちみつロール」、表面にひび模様の入った「くるみパン」、それから角のように突き出た形の「小さな角パン」。どれも昨日より少しずつ姿が整っていて、朝の光を受けてほんのりと艶めいていた。


ライは屋台の後ろで縄を締め直していた。風よけの布が外れないように、結び目を固くする。

長身の影が布に映り、道行く客からはやっぱり「ちょっと怖い人がいる」と思われているに違いなかった。彼自身もそれを分かっているから、あえて表には出ないよう控えていた。


肩に乗った小竜モフドラが「ぷしゅ」と小さく鳴き、暖かい湯気を吐く。ライのお腹を温めるための、いつもの習慣だ。


その横で、妹のルチアが布袋を抱えている。中身はミント葉や替えの腹当て、緊急用の薬草が入っていた。屋台の端には、小さな白い花を一輪飾り、ささやかな清楚さを添える。


「兄様、縄はほどけません。でも心は……ほどくときが来ます」

ルチアがぽつりとつぶやく。


「その比喩は、ロープ職人が泣く」

ライは苦笑しながらも、心のどこかで痛みを覚えていた。


マリエはそんな二人の会話を背に、深呼吸をした。

「……今日こそ、ちゃんと“渡せる味”にします」


その声に合わせて、通りを抜けてきた小さな子がパンに手を伸ばした。マリエは慌てて止めようとしたが、すぐに小袋を取り出し、パンを半分にして渡す。子どもは「ありがとう!」と笑い、駆けていった。


――そのときだった。


通りの向こうから、荷台を引く青年が姿を現した。肩や腕に粉の跡をつけ、軽い足取りで進んでくる。エミルだ。王都で配達をしている青年で、マリエにとっては昔からよく知る顔だった。


「おはよう」

 エミルは荷を下ろしながら言った。

「はちみつパン、香りがまるくなってて美味しそうだね」


「え、分かりますか?水を少し減らして……」

マリエははにかむように笑い、目線を落とす。


言葉は短いのに、二人のやり取りは自然に続いていく。わずかな変化をすぐに共有できるようになったようだ。


屋台の脚が少しガタついた。エミルはしゃがみ込み、木片をスッと差し込んで揺れを止める。手慣れた動きに、マリエは「わ……」と小さく声を漏らす。


試食皿の並びも人の流れと逆だった。エミルは何も言わず、手のひらでくるりと向きを変え、客が自然に手を伸ばしやすい配置にする。


そして、マリエの指に小さな火傷の跡を見つけると、腰の袋から小瓶を取り出した。中には緑色の薬草クリームが入っている。

「これとてもよく効くよ、薄く塗るとすぐよくなるんだ」

 触れずに差し出すだけの距離感。

マリエは素直に「ありがとう」と受け取った。


――ライは後ろで縄を締め直すふりをしながら、その光景を視界の端で見ていた。


内ポケットの懐中時計の針が、静かに黄から橙へと傾く。腹が、じわりと締めつけられる。モフドラが「ぷしゅ……」と湯気を増やした。


(これが自然な恋というものか。僕が入るより、美しい)

心の中でそうつぶやく。


そこへ、紙袋を抱えたミーナが駆け込んできた。

「若様ーっ!応援ポップ作ってきました!“本日、恋の焼き上がり!”――あっ……」

ルチアがすかさず肘で突き、「今日は静かに」と目で合図する。


ミーナは慌ててポップを裏返し、裏面に価格を書き直した。結果的にそれが分かりやすくなり、客が増えるのだから不思議だった。


エミルは小銭皿をマリエの前に滑らせ、受け渡しをしやすくする。マリエの手と触れない距離で、しかし確実に助けていた。


ライはそれを見ながら、胸に小さな痛みを覚える。

(これは、僕が苦手な距離感だな……)


パンは順調に売れていき、残りはわずか。子どもが「もう一つ欲しい」とせがむと、マリエは最後のはちみつロールを迷わず渡した。

エミルも「パン人気だね、次はもっとたくさん焼いてもいいかも」と笑う。


その笑顔を見て、ライは少しだけうつむいた。懐中時計の針は限界手前まで震え、腹の奥で「キリキリ」と痛みが広がる。


小雨が降り出した。

エミルは咄嗟に布を取り、マリエの頭上にかざす。

「濡れちゃうと風邪ひくからね……傘に入って」

さらりとした言葉に、マリエは「……助かります」と小さく微笑んだ。


ライは風の魔法をそっと流し、屋台の足元にできた水たまりを消す。

誰にも気づかれない。けれど、それでよかった。


(僕が好きになったのは、彼女の夢。なら、その夢を守る人を……僕が守ればいい)


ルチアが小声で言う。

「兄様、糸は絡むほど温かい。でも、強く引けば切れます」

「……ほどくのも、手の役目だ」


ライは静かにうなずき、遠くで笑う二人を見守った。


マリエとエミルは、余った小さな角パンを半分こにしようと約束していた。


その姿を眺めながら、ライはつぶやく。

「僕は完璧だ。――恋以外はね」


腹の奥でキュッと締めつけが走り、モフドラが「ぷしゅ」と控えめに湯気を吐いた。


雲の切れ間から、わずかな陽が差す。市場のざわめきが戻り、時間はまた流れ出した。



雨はようやく上がっていた。濡れた石畳には空の明かりが反射して、ところどころ水たまりが小さな鏡のように光っている。

市場の喧噪も落ち着き、あちこちの屋台が片づけに入り始めていた。


エミルは荷台のロープを手早く結び直し、マリエは帳簿を抱えて売り上げを数える。言葉を交わさなくても、視線と小さな合図だけで動きが噛み合っていた。

まるで長いあいだ一緒に働いてきた仲間のように。


少し離れた支柱を直していたライは、二人のやり取りをちらりと横目で見た。

胸の奥がじわりと熱くなり、同時に腹の奥がきりきりと締めつける。懐中時計の針は橙を振り切って、赤へと跳ねあがる。

小竜のモフドラが「ぷしゅ〜」と音を立てながらお腹にしがみつき、必死に温めるが、痛みはごまかせなかった。


「兄様、深呼吸です」

後ろからルチアがそっとミントの葉を差し出す。

「今は出る幕じゃありません。……守るだけです」


ライはうなずき、葉を噛みしめながら呼吸を整えた。


そこへ、黒い外套をまとったバルドが現れる。

肩に残る雨粒をハンカチでぬぐいながら、静かに場を見渡す。

「若、結び目は固いほど、解くときに痛むものですぞ」

それだけ言って、支柱の陰に身を置いた。

ライは思わず小さく苦笑し、背筋を伸ばす。


ちょうどその時、屋台の端に積んでいたパンかごがころりと転がった。明日の試作用にとっておいた分だ。

すぐさまエミルが拾い上げ、袋の口を結び直す。


「落としたよ、これも大事なパンなんでしょ」

「ありがとう」


マリエははにかんで笑い、指先についた水滴をぬぐった。小さな絆創膏がはがれかけているのを見て、エミルは腰の袋から清潔な包帯を差し出した。

「これ、張り替えたほうがいいよ。傷が悪化したら困るからね」

触れない距離を守りながらも、必要なものはきちんと届ける。そんな姿に、マリエは「うん」と素直にうなずいた。


ライは一歩前に出ると、淡々とした声で言った。

「屋台はこちらで片づけよう。あなたたちは先に休んでくれ」

「すみません、助かります」

マリエは深く頭を下げ、エミルも「ありがとうございます、ライ様」と短く礼を言った。そこに恋の色はなく、ただ互いを思いやるまっすぐな距離だけがあった。


バルドが、誰にも聞こえない小声で囁く。

「若、背中が丸まっておりますぞ。誇りは、守るために立てるもの」

ライは腹痛に耐えながらも、ぐっと姿勢を正した。


二人の背中が遠ざかっていく。並んで歩く足取りは自然にそろい、街灯の下で影も重なっていた。

ルチアが小さくつぶやく。

「……やっぱり二人お似合いですわ」

ミーナは横でハンカチをかじりながら「青春……!」と震えている。


丘の上に出たライは、夜の空を仰いだ。

懐中時計の針は限界ぎりぎりで震えている。

腹は痛むのに、胸の奥は妙に温かかった。

「本当に……お似合いだ。僕より、ずっと」

誰に聞かせるでもなく、静かに言葉をこぼす。


彼は続けて、自分に刻みつけるように呟いた。

「あなたの決断を尊重します。僕の好意は、あなたの自由の敵ではない……」


バルドが隣に立ち外套の裾でそっとライの肩を覆う。

「若、恋は剣術と違い、勝ち負けではございません。よい別れ方は、次の誇りになります」

モフドラはお腹の上で小さく丸くなり、「ぷしゅ〜」と湯気を吐いた。

痛みがほんの少しだけ、やわらいでいく。


ルチアが追いついてミント湯を差し出す。

「兄様、ここまでは痛み。ここからは成長。……立ち上がってください」

「ありがとう」

ライは短く答え、湯を口に含んだ。温かさが、喉の奥から広がる。


遠くで鐘の音が響く。街には“花祭り”の準備を知らせる紙飾りが舞い始めていた。

ライは屋台用の木札を取り出し、裏に小さく「応援に回る」と書き記して、そっとポケットにしまった。


その横で、バルドがふっと口元を緩める。

「若、本日のお心は……見事に焼きあがっておりますな。お顔よりも、よほど上出来に」


ルチアとミーナが同時に吹き出し、空気が少しだけ軽くなる。

ライは小さく苦笑しながら、夜空に向けて一言。

「僕は完璧だ。――恋以外はね」



ライはしばらく星のない空を見上げていたが、やがて踵を返した。

帰り道、閉店した「麦のひかり」の前で立ち止まる。戸口の釘には、午前中外したままの細い革ひもが一本だけ残っている。彼はポケットから同じ革ひもを取り出し、そっと二重にして掛け直した。風が出ても外れにくい結び目――騎士団で覚えた、地味で確かな結い方だ。


「これで安心だな……」

小さくつぶやくと、胸の懐中時計が“コツ、コツ”と静かな角度に戻る。痛みはまだいるのに、やけに素直だ。

肩のモフドラが「ぷしゅ……くしゅ」と小さなくしゃみをして、温い湯気が頬に触れた。


通りの先で、紙飾りを片づける少年が脚立から降りそこねる。ライは無言で支え、何事もなかったように離れた。

「ありがとうございます!」

振り返らず片手だけ上げる。礼を受け取るより、落ちないほうが大事だ。


屋敷に戻る坂道、ルチアの言葉が胸の奥でほどけていく。

――並走、か。

ならば明日、僕は列の外側を歩こう。ぶつかりそうな肩を、一度だけそっと押し戻す役でいい。


門をくぐる前に、ライは腹当ての位置を直した。

「誠実は、最短の近道じゃない。でも唯一の道だ」

いつもの口癖を、自分にだけ聞こえる声で繰り返す。懐中時計の針は、赤から橙、そして静かな黄へ。


遠くで、パン窯の余熱が最後の息を吐くように、ふっと音を立てた。

その小さな終わりを合図に、ライは歩き出す。祭りの朝へ続く石畳は、雨上がりの薄い光をまだ胸に抱いたまま、静かに冷えていた。


――きっと明日、誰かの一歩が始まる。

その足もとだけは、僕が照らそう。


ライの痛みは負け印じゃなくて、“守る側の熱”なんだと思います。

雨は上がりました。あとは、それぞれの決意が歩き出すだけ。

この先、花祭りで何が咲くのか――一緒に見届けてくれる人は、ブクマで待機してもらえると、とても心強いです。感想のひと言も、ライのミント湯みたいに効きます。


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楽しんでいただけましたか?

ぜひ☆評価で作者のやる気が上がります!

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まとめサイトはこちら!

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