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完璧侯爵様、恋するとお腹が痛いんです —恋すると腹がキリキリする侯爵様の100連敗—  作者: ヨーヨー
第5章 恋看板娘 マリエ

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第47話 看板娘、夜更けの工房と“おがパン”の約束

お読みいただきありがとうございます!

今回は、昼間の賑やかさから一転して“閉店後のパン屋”が舞台です。

ランプの灯りとオーブンの余熱に包まれた工房で、ライとマリエが二人きりで練習を重ねる……そんな、少し特別な時間を書きました。

コメディな掛け合いはもちろんですが、どこかしんみりと心に残る夜の雰囲気も楽しんでいただければ嬉しいです。


パン屋「麦の月」の扉に「本日閉店」の札がかかると、街はすっかり夜の顔に変わっていた。

店内はオーブンの余熱でほんのり暖かく、ランプの橙色の光が粉煙に揺れている。昼間の賑わいはすっかり消え、工房に残っているのはマリエとライ、そしてライの肩に乗ってうとうとしている小竜モフドラだけだった。


マリエの父は帳場で仕入れの整理をしており、ミーナは帳簿を前に舟をこぎ、ルチアは「兄様の邪魔はしませんわ」と屋敷へ戻っている。

つまり――ここはほぼ二人きり。


妙に静かで、妙に気まずい。

こね台の上で生地を押す音と、壁時計の「コチ、コチ」という音だけが響いていた。


「まずは手順を整理しよう」

ライは袖をまくり、黒板に白いチョークで大きな丸を書き始める。

「一次発酵から焼き上げまでの流れを、わかりやすく絵で示す。丸が膨らむ、ガスを抜く、分ける、形にする、ふくらむ、焼く。——こうだ」


黒板には丸や楕円の簡単な図が並び、まるで落書きのように見える。

けれどパン作り初心者のマリエにはそれがやけに分かりやすかった。


「わ……絵で描いてもらうと、すごくイメージしやすいです!」

「言葉より速いだろう」

ライはさらりと言い、手際よく粉袋を立て直したり、秤のズレを直したりしていく。完璧さがここでも発揮されていた。


マリエはその背を見て、胸の奥が少しざわつく。

(昼の……あの“恋の三角形図”を思い出す……。ち、違う、私はエミルさんのことを……でも、ライさんにこうやって助けられると……)


気づけば頬が熱くなり、手のひらにはうっすら汗。

そのとき、ライが振り返り、真面目な声で言った。


「失敗の原因を三つに分けよう。ひとつ、緊張で手が震える。ふたつ、分量を間違える。みっつ、発酵の見極めが甘い」

「……はい!」

マリエは思わず背筋を伸ばす。まるで授業を受けている気分だった。


「じゃあまず、震えの対策からだ」

ライは生地に手を置き、リズムを刻むように声を出す。

「ぺた・ぎゅっ・くる・すん」

「え……な、何ですかそれ」

「リズムだ。四拍子で動けば余計な力が入らない」

「ぺた・ぎゅっ・くる・すん……? ぷっ、変な掛け声……!」


マリエは思わず笑ってしまう。笑うと肩の力が抜け、震えもおさまっていく。

ライは満足げにうなずいた。

「緊張は悪じゃない。仲間にしてしまえばいい」


次は発酵の見極め。

ライは小さな生地玉をちぎって水に浮かべた。ぷかりと浮かぶ様子を見せながら説明する。

「沈むなら未熟。浮いたら発酵完了だ」

「なるほど! ……って、近いっ」


マリエが覗き込んだ拍子に、肩が触れそうになり、あわてて離れた。

ライは平然を装っていたが、腹の奥がキリッと締め付けられる。懐中時計の針が小さく跳ねた。

モフドラが慌ててライのお腹に移動し、「ぷしゅー」と湯気を吹く。


マリエは最後の課題、分量の練習に取りかかった。

塩の小皿には青い紙、砂糖には白、酵母には金色の札を貼り、間違えにくくしたのはライの工夫だ。

マリエが砂糖を多く入れかけた瞬間、ライが思わず手を伸ばして止めた。

大きな手が、彼女の手の上に重なる。


「っ……!」

「……すまない。次は声だけで合図する」


ライはすぐに手を離し、距離を保った。

マリエは心臓が少し跳ねたが、それが恋の気持ちではないことを自分でわかっている。

(これは……近すぎたから。ドキドキの理由はそれだけ……)

でも、その赤くなった頬は、オーブンの炎よりもずっと温かかった。


砂時計の砂が落ちきるころ、工房には静かな熱気が満ちていた。

木のこね台の上では生地がしっとりと膨らみ、オーブンからはじわじわと温風が漏れている。


ライはハーブ湯をマグに注ぎ、マリエへ差し出した。

「休むのも作業のうちだ。……ほら、ミント入りだ」


マリエは両手で湯気を抱え込み、口を小さく開いた。

「ありがとうございます。……あの、ライさん」

視線はマグの中。けれど、声ははっきりと響いた。

「いつか、自分のパンで……誰かを笑顔にしたいんです。朝、つらい人が一口かんだら“よし、行こ”って思えるような……そんなパンを」


ライは無言で聞いていた。

ランプの明かりに照らされたマリエの瞳は、うるんでいるようで、ただまっすぐだった。

その情熱に胸が少し揺れる。

……ぐぐっと懐中時計の針が跳ねた。

お腹も「キリキリ」と痛む。

「ぷしゅーっ」

モフドラが腹の上で全力加熱。小竜の蒸気でライのシャツがしっとり湿る。


ライは深呼吸をして、声を落ち着けた。

「夢に迷いがないのは強さだ。……大切にしろ」


マリエは一瞬きょとんとして、それから笑った。

「なんだか、先生みたいですね」


そう言って、再びこね台へ向かう。二人は配合を微調整していった。

砂糖と塩の割合をほんの少し。

バターを“背中を押す程度”に増やす。

牛乳の温度は手の甲で測る。緊張してもぶれにくい方法だ。


「ここに切り込みを……」

マリエが小刀で生地にスッと線を入れる。

が、形は見事なナス模様になった。

「……夕飯に出せそうだな」

「やっ……やっぱりヘタですか!?」

 二人の笑い声に、工房の空気が軽くなった。


再びオーブンに火を入れる。

魔法で上下の温度を調整するライの横で、マリエは窓から膨らんでいくパンを見守る。

やがて生地はふっくらと山を作り、切り込みが小さな朝日のように開いた。


焼き上がりを取り出すと、湯気と香りが一気に広がる。

マリエが手で半分に割り、ふわっと上がる甘い香りに目を丸くする。

「……これ、朝に勝てます」

「“朝に勝て”は戦場の合図だな。――“おはよう、がんばれパン”でどうだ」

長いです……。じゃあ“おがパン”!」

顔を見合わせ、同時に「おがパン」と言って笑った。


トレーにパンを並べ、マリエは明日の練習を始める。

「エミルさん、これ……」

言葉が途中で止まる。

「……あれ、出てこない……」

ライは短く助言した。

「言葉は短く、思いは中に。パンが語る」

「……うん」


マリエは深呼吸をして、笑顔を作った。

「ありがとうございます、ライさん」


その瞬間――懐中時計の針が限界手前まで跳ねた。

お腹「キリキリキリ……」

「ぷしゅううう!」

モフドラが全力で湯気を吹き出す。ライは背筋を崩さず耐えたが、額にじんわり汗。


マリエは気づかず、「明日、がんばって渡します!」と拳を握った。

その元気に、ライの胸の痛みは少し和らいだ。


「明朝、店先まで送ろう。人混みは事故のもとだ」

「お願いします」


工房を出る直前、窓に紙がペタリと貼られているのを見つけた。

――ミーナの手書きだった。

『告白は笑顔で!腹痛はミントで!』

端にはバルドの字で小さく『腹巻忘れるなかれ』。


ライとマリエは顔を見合わせ、同時に苦笑した。



二人で戸口の鍵を下ろすと、通りには月の白い明かりが落ちていた。

マリエが胸のかごをぎゅっと抱えて言う。「……明日、ちゃんと渡します」

「大丈夫だ。道は僕が整える」ライは短くうなずく。


彼女が去った方角へ、しばらく視線だけを送る。

懐中時計の針は、さっきより穏やかだ。痛みはまだいるのに、不思議と邪魔ではない。

モフドラが胸元で丸まり、「ぷしゅ」と一度だけ温い息を吐いた。


ライは黒板に残った白い丸を思い出す。ふくらむ、しぼむ、またふくらむ。

心も、きっと同じだ。しぼんでも、誰かの朝のためにまたふくらむ。

「僕は完璧だ。——恋以外はね」

小さくつぶやき、ランプを落とす。薄闇の中、彼はもう一度だけ扉に手を当てた。


——灯りは消さない。明日の“おがパン”が、誰かの一歩になるまで。


閉店後の静かな工房で交わされたやり取りは、パン作りの練習以上のものになった気がします。

「おがパン」という名前は二人だけの合言葉のようで、読んでいる自分まで口にしたくなりました。

ライの胸の痛みと、マリエの夢。その両方が、明日への灯りになっていくのだと思います。


もし少しでも「続きが気になる!」と思っていただけたら、この作品をブックマークしてもらえると本当に励みになります。

感想や応援の一言も、作者の腹痛を和らげる魔法ですので(笑)、ぜひ気軽に残していってくださいね!


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楽しんでいただけましたか?

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