第45話 看板娘、人波の中での練習
市場は今日もごった返し。串焼きの煙と太鼓の音、そして——緊張でカチコチのマリエ。
ライは“護衛モード”で人波を割り、パンとかごと気持ちを運ぶ練習に付き合います。鶏は暴れるし、鳩は飛ぶし、腹からは湯気(※モフドラ)まで出るカオス回。
もし「続き、明日もすぐ読みたいな」と思ったら、パンくず代わりにブックマークをひと粒置いていってください。花祭りまで、迷わず一直線です。
王都の大通りは、昼になると戦場のようになる。
肉の串焼きの煙、果物を切る包丁の音、太鼓を叩く大道芸人のリズム。人、人、人でぎゅうぎゅう詰め。
今日は、その人混みの中での“練習”だ。
マリエは肩に小さな布かごを掛けて立っていた。昨夜、ライが補強した持ち手がぴんと張っている。中には彼女が特訓して作った特別なパン。明日、想いを伝えるために渡す大事な一品だった。
「目線はやや上。進路は斜めに切る。歩幅は僕に合わせて」
ライが淡々と説明する。その声はやさしいのに、顔が怖いせいで周囲の客がびくっとして、自然に道を開けていく。
マリエはこくりとうなずき、深呼吸した。
「は、はいっ……!」
先導役を買って出たのはミーナだ。だが手に持っているのは旗とラッパ。
「さぁさぁー!道を開けてー!」
「やめなさい」
バルドが一瞬で没収し、冷静に一言。
「ここは戦場ではなく市場でございます」
人の波が揺れ、空気が押し寄せる。マリエはかごを抱えて歩き出した。
最初の難関は香辛料屋の前だった。粉が舞い、くしゃみをする客が連鎖する。マリエは思わず目をつぶり、体勢を崩しそうになる。
その肩を、ライがさりげなく支えた。
「大丈夫」
短く、それだけ。
マリエは驚いたように彼を見上げ、また前を向く。パンは無事だ。モフドラがライの胸元から顔を出し、「ぷしゅ」と低い湯気を吹いて粉を散らしてくれる。
小さな達成感が胸に広がった。
「い、今の……うまくいきました!」
「うん」ライの返事はぶっきらぼうだが、時計の針はほんの少し揺れていた。
──だが、その直後。
八百屋の見切りタイムが始まり、群衆の流れが一気に荒れる。鶏が荷車から飛び出し、叫び声と笑い声が混ざった。
「わ、わっ……!」
マリエの足元に鶏が突っ込み、体が傾く。かごが斜めになり、パンが今にも飛び出しそうだった。
瞬間、ライの手が伸びた。
マリエの手首をつかみ、彼女の肩を自分の胸側へ入れて守るように抱え込む。
ぐっと距離が近づいた。
マリエの鼓動が速くなる。
(ラ、ライ様、近い……!驚いちゃった……!)
ライはその表情を見て、内心で早合点。
(動揺している……僕が落ち着かせねば)
懐中時計の針が跳ね上がる。次の瞬間、ライの腹を激しい痛みが襲った。
「……っ!」
モフドラが即座に腹へ飛び乗り、「ぷしゅーー!」と蒸気を吹き出す。近くの子どもが指をさして叫んだ。
「ドラゴン蒸し器だー!」
親に頭を軽くはたかれて黙る。
ライは痛みに顔をゆがめながらも、声は一定だった。
「歩幅合わせて。三歩で抜ける」
「は、はい!」
マリエは必死に返事し、二人は人波を切るように進んだ。肩と手首はまだつながれたまま。
野次馬の声がひそひそ聞こえる。
「あの怖い顔の兄ちゃん、動きはすごいな」
「護衛なのか?」
「腹から湯気が出てたけど……」
──最後のは聞かなかったことにする。
ようやく広場に抜けたとき、マリエはパンを確認した。形も香りもそのまま。
「……よかったぁ」
ライはミント水を一口だけ飲み、痛みをごまかす。表情は変えずに言った。
「手首を守る姿勢は良かった。次は、袖口でかごの角を固定するともっと安定する」
マリエは素直にうなずき、笑顔を見せた。
「ライさん、ありがとうございます!これなら……明日、エミルさんにもちゃんと渡せます!」
その名前が出た瞬間、ライの心臓が一拍遅れる。懐中時計の針がわずかに震えて、止まった。
(そうだ。僕は応援に来ただけだ。忘れるな)
ライは小さくうなずき、「ああ……。君ならできる」とだけ答えた。
人混みを抜け、広場に出たときだった。
マリエとライはまだ手をつないだまま立ち止まっていた。
「あっ……」
マリエが気づいて慌てて離そうとする。だが、その瞬間また後ろから人波が押してきて、二人の手は再び絡んでしまった。
周囲の屋台の兄ちゃん達が「おお、息ぴったりだな」「護衛スキル高ぇ」と茶化すようにひそひそ声をあげる。
モフドラまで胸元から顔を出し、「ぷしゅ」と小さく湯気を吹いた。
なぜかそれが合図になったように、屋台の兄ちゃん達が「なんだ今の!?」とさらにざわつく。
「若様」
後ろから、バルドの低い声。
「応援とはスキンシップ競技ではございませんぞ」
「……わかっている」
ライは表情を整えると、マリエに向き直った。
「ここからは“模擬渡し”をやろう。実戦の前に体で覚える」
「も、模擬渡し……?」
マリエが首をかしげると、ミーナが満面の笑みで出てきた。
「任せてください! エミルさん(仮)をご用意しました!」
どこから持ってきたのか、帽子掛けにマントをかけ、紙に描いた笑顔の顔を貼りつけたものを運んでくる。胸には手書きで「エミルさん(仮)」の札。
「……これで練習するんですか」
「はいっ!」
マリエは顔を引きつらせながらも、「た、助かります……」と小声で答えた。
最初の練習。
マリエは距離を詰めようとしてつまずき、パンを差し出す角度が高くなりすぎて――。
「んぐっ!? エミルさん(仮)の鼻に直撃!?」
ミーナが大げさに叫ぶ。
マリエは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ!」
「両手は胸の高さ。相手の視線より少し下だ」
ライが静かに修正を加える。
「言葉はいつものトーンで」
懐中時計の針がわずかに跳ねたが、腹痛は軽い。まだ「エミル」という名を口にしていないからだ。
二度目の練習。
今度は腰が引けすぎて、差し出したパンが遠すぎる。相手は受け取りにくそうだ。
「……ここだ」
ライがマリエの手首に触れて位置を直す。
「ひっ!?」
マリエは反射的に肩をすくめた。顔が赤い。
「す、すみません。ちょっとびっくりしただけで……」
「気にしなくていい。驚かせた」
ライはすぐに手を離した。余計な空気を作らず、練習を続ける。
三度目の練習。
角度も距離も声量も、ほぼ合格。
屋台の兄ちゃんが思わず「おお」と小さく拍手した。
「いけますね!」
ミーナがラッパを取り出しかける。
しかしバルドの冷たい視線に射抜かれ、そっとしまった。
「最後に“目線”だ」
ライが言った。
「相手の目を見すぎると、自分が固まる。眉と口元の間あたりに視線を置くといい」
「なるほど……それなら……できそうです」
マリエの声に自信が少し混ざる。
◇
「ここからは実地ルートの再現だ」
ライは広場から衛兵詰所までの最短ルートを確認する。障害物は多い。樽の段差、子どもが転がすフープ、香辛料の粉、そして鳩の群れ。
「護衛の三つのルールを覚えておけ」
ライが簡潔に伝える。
「片手は荷を守り、もう片手で道を作る。目は進路、耳は人の足音。危なくなったら合図は“今”だ。これで僕が前に出る」
マリエは深呼吸してうなずいた。
「……はい!」
走り出す。段差を越えるとき、マリエの足がもつれた。
ライが即座に手を取って引き上げる。再び“手つなぎ”状態になった。
「っ……」
マリエの頬が赤く染まる。
「……手、離しても大丈夫です」
だが人混みの流れが荒く、離すタイミングを失った。
結局十数秒、そのまま走ることに。妙に長い。鳩が頭上をバサバサと飛び立ち、さらに気まずい雰囲気に。
ライの腹に「キリッ」と痛みが走る。モフドラが腹に乗り、「ぷしゅ」と湯気を吹いて温めた。
「……若様」
バルドが後ろから低声で突っ込む。
「長距離の手つなぎは作戦に含まれておりません」
「了解した。……離すよ」
ライは冷静に言い、そっと手を放した。
「……ありがとうございます」
マリエも小さく頭を下げた。二人のやり取りは必要最小限。雰囲気は落ち着いた。
香辛料ゾーンに入ると、粉が舞い、くしゃみが連鎖する。
モフドラが「ぷしゅー!」と湯気を噴き、粉を散らした。
ライは黒マントの端をマリエのかごにかけ、防護する。
「……ここまで付き合ってくれて、助かります。私、怖がりで」
マリエが小声で漏らす。
「怖がることは悪くない。準備で埋めればいい」
ライの答えは短く、それでいて温かかった。彼が“恋以外は完璧”であることが、そこにはっきり表れていた。
広場の鐘が午後を告げ、人混みのざわめきが少し落ち着きを見せていた。
マリエは胸にかごを抱いたまま、静かに深呼吸をする。パンの香りが、まだしっかりとそこにある。
「……明日、必ず渡します」
その声は、自分に言い聞かせるように小さく、けれど確かな決意がこもっていた。
ライは隣でわずかに目を細め、うなずいた。
だが心の奥では、懐中時計の針がまた小さく震えている。痛みではなく、熱に近いものとして。
モフドラが「ぷしゅ〜」と穏やかな湯気を吐き、空気を和ませた。
まるで「大丈夫」と背中を押すように。
──もうすぐ、花祭り。
パンと花と、そしてそれぞれの想いが交わる日が、もう目の前まで迫っていた。
人混みはミスが出やすい場所。だからこそ、ライの「準備で埋めればいい」の一言が効きましたね。
手首を守る角度、目線の置き方、そして“手を離すタイミング”。どれも明日への布石。マリエの「渡します」という小さな決意が、いちばん大きな前進でした。
次はいよいよ花祭り本番。パンと花と、心の合図。ライの懐中時計は——果たして静かに時を刻めるのか。
「ここで止まりたくない!」と思ったら、本棚の端っこにそっと栞を挟む感じでブックマークしておいてください。あなたの帰り道が、ちゃんと残ります。
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