第40話 雪女、触れられない手 ほどけない想い
吹雪が止み、夜と朝のあいだで世界が息をひそめる――そんな一瞬に、ライは自分の言葉でまっすぐに想いを届けます。
ユキノは「触れれば溶ける」という優しくも残酷な運命を抱えたまま、消えずにここに在り続けることを選ぶ。二人は“恋人”ではなく“尊ぶ者どうし”として、きれいに別れます。
雪の花は儚いけれど、胸に残る一輪は消えない。誠実であることがどれだけ痛く、どれだけ強いか――その答えが、静かな朝の光に浮かび上がります。
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吹雪は、ようやく息を止めた。
夜の帳が静かに薄れ、群青の空を金色がかすかに染めはじめる。雪の大地は、まだ眠る星々の残光を抱いていて、踏みしめるたびに「きゅっ」と鳴く雪音が、世界の心臓の鼓動みたいに響いていた。
戦いを終えた雪山は、音がなかった。ただ白と青と、そして淡い朝の兆し。
ライは膝をつき、腹を押さえる。銀の懐中時計は、心を測る魔具。針が高く跳ね、小刻みに揺れ続けていた。
「ぷしゅ〜」
モフドラが、ライのお腹にちょこんと乗る。小さな竜の背からあがる湯気は、朝の光を受けて金色に透けた。冷たい雪の世界で、ひとすじの温もりが浮かびあがる。
「若様っ、あったかいお湯と毛布です!」
ミーナが雪に足を取られ、豪快にすべって「ずさーっ」と転倒。けれどすぐに立ち上がり、毛布を差し出す。余計な大声は出さない。息を切らせながら、それでも笑顔だ。
ユキノは少し離れた場所に立っていた。彼女は雪女。触れれば溶ける運命を抱き、これまで誰かと近づくことを避けてきた。その足が、今は一歩、また一歩と前に出る。けれど三歩目で止まる。記憶が、彼女の足を縛る。
ライは手袋越しに軽く手をあげた。低く落ち着いた声で言う。
「大丈夫だ。……ゆっくりでいい」
その顔は怖い。だが、その目だけは不思議にやさしかった。
ロイスが後ろで短くつぶやく。
「……空が明るい。今が、いちばん綺麗だ」
それきり黙り、視線を空に預ける。
執事バルドが、静かな声で雪面を見つめた。
「夜明けには“雪の花”が目を覚まします。勇気と、冷たい心で咲く花。伝承どおりなら――そろそろ」
その言葉にユキノがはっと顔を上げた。
「……見せたい場所があるの」
声は小さいけれど、迷いはなかった。
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ライは立ち上がる。背の高い影が雪に長くのびる。
「案内してくれ」
表情は相変わらず厳ついが、瞳には迷いがなかった。懐中時計の針がコトリと上がるが、彼は深く息を吸って抑えた。
一行は斜面を登る。ライは風の魔法で雪を固め、転ばないように“道”を作る。足裏から伝わる雪の鳴き声が、仲間の歩調をそろえていった。
やがてたどり着いたのは、風の当たらない小さなくぼ地だった。雪の底からは冷気がやさしく立ちのぼり、霧が白いヴェールのように揺れている。中心には氷の結晶が群れをなし、まるで白い花壇のような舞台が広がっていた。
ユキノは小さな声で説明する。
「“雪の花”はね……雪と魔力と、少しの勇気で咲くの。人の心があたたかいほど、花びらは透きとおる。……でも、欲ばるとすぐ砕けてしまうの」
彼女は両手を胸の前で重ねた。
「ここには、昔……ひとりで来てた。誰にも近づけなくて。けど今日は……みんなと来られて、うれしい」
ライは横顔を向け、淡々と告げる。
「一人で耐えた場所に、二人で立つと、景色は変わる」
顔は怖いまま。けれど言葉がまっすぐすぎて、ユキノの頬は静かに赤く染まった。
ライは手袋を外し、雪面の温度を魔法で整える。指先に淡い光をまとわせ、彼女の手に薄い障壁をかけた。
「これで、花びらを傷つけにくくなる」
間近で見つめる横顔は、職人のように真剣だった。怖いはずなのに、頼もしさに変わる。ユキノの胸は、静かに波を打った。
「感動の鼻水用に、どうぞ」
ミーナがそっとハンカチを差し出す。ユキノは苦笑しながら「……ありがとう。でも鼻水は出てないわ」と答える。
モフドラは「ぷしゅー」と控えめな湯気。空気は壊れなかった。
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ユキノは雪面に両手をそっと置いた。
「こつん」と、低い音が響く。雪の底で氷が目を覚ます。細かな光が雪粒の中で明滅しはじめた。
ライは静かに囁く。
「急がなくていい。花は、焦りを嫌う」
懐中時計の針がまた上がる。モフドラが重さを増し、湯気を強めた。ライはお腹を押さえつつ、小声で「助かる」とだけ言う。
やがて六角の光が集まり、雪の上にひとつの輪郭が浮かんだ。透明な花の、まだ脆い“蕾”だった。
ユキノは息をのむ。
「ライさん……あなたの顔、最初は……ちょっと怖かった。でも今は――」
言葉の続きを、風がさらっていく。残されたのは彼女の赤い頬と、明滅する蕾だけだった。
ライは静かに目を伏せる。
「僕の心も、もう隠せない」
その瞬間、腹がきゅっと鳴り、時計の針がガクンと揺れた。
彼は深呼吸して押しとどめる。
「……だが、言葉は正しい時に」
ユキノの掌に、透明な花びらがひとひら生まれる。朝日の入口を待つ合図のように。
「……咲いてる」ミーナは息を呑む。
ロイスは小さく頷き、「綺麗だな」と呟く。
バルドは目を細める。「花も誠実に咲きますな。欲ばらず、ひとひらずつ」
だが花びらの縁は、かすかに解けて光の霧になっていた。ユキノは気づく。自分の魔力は、もう長くは持たない。
それでも彼女は笑った。
「もうすぐ、朝日が来る」
その笑顔はやさしいのに、遠い。ライはほんの少しだけ眉を寄せた。怖い顔は、その時だけ悲しそうに見えた。
地平が金色に破れ、光の最初のひとすじが花壇に差し込む。雪の花は、次の花びらを開こうとしている。
ライは一歩、ユキノの前に出た。
「ユキノ。朝日が来たら――僕は、君に伝える」
風が止まった。時間が薄くなった。
雪原の静けさは、まるで世界が一度止まったかのようだった。
吹雪はやみ、朝の光が紫から金色に変わっていく。雪はその光を受け、淡くきらめいた。冷たいはずの空気なのに、不思議とやわらかい。
ライオネル・フォン・グランツは黒マントの前を開き、胸の奥で燃える熱を深く吸いこんだ。銀の懐中時計の針は、暴れる鳥のように震えている。
腹の奥がきりきりと痛む。それでも彼は顔を上げる。
「ユキノ」
彼の呼び声に、雪の中の少女が顔を上げた。
白い衣をまとい、透きとおる髪を肩に流すユキノ。雪の精のような存在。朝日に照らされるその姿は、あまりに儚げで、それでいて強く見えた。
ライは雪を踏みしめて一歩前に出る。
「僕は——君が好きだ」
言葉に合わせて腹痛が走る。それでもライは逃げずに続けた。
「僕は完璧だ。……恋以外はね。でも、だからこそ誠実に言う。君が好きだ。君の強さも、雪が鳴るみたいな笑い声も、全部」
ユキノは瞳を揺らし、一歩近づく。だが距離をつめすぎず、彼女は立ち止まった。
そして、そっとライの手に手を当てる。
雪の模様がふっと揺れ、水滴のように溶けかける。
「ね、見て。私、触れられないの。あたたかいものに包まれると、こうやって少しずつ溶けちゃう。……だから、好きだって返すことはできないの」
ライの胸に痛みが広がる。けれど彼女の声は冷たくない。
「もし恋人になったら、きっと触れたいって思う。そのたびに私は削れてしまう。……そんな私を、あなたに見せたくない」
ライは静かに頷き、深い呼吸で痛みをこらえながら答えた。
「あなたの決断を尊重します。僕の好意は、あなたの自由の敵ではない」
ユキノは涙を浮かべ、でも笑った。
「ライ。あなたに会えてよかった。怖がらずに私を“普通の人”みたいに扱ってくれたこと、忘れない」
彼女は両手を広げ、冷気を散らす。白い指先から無数の結晶が舞い、朝日に照らされて雪の花となる。
ライは風を操り、その花を受け止めた。二人の力が重なり、一輪の雪の花が光の中に咲く。
「これが私の気持ち。……たとえ恋人にはなれなくても、あなたと過ごした時間は消えない」
ライはその花を両手で受け取り、胸に抱いた。
「ありがとう。痛いのに、気持ちは温かい。不思議だな……」
ユキノは小さく笑みを返す。
「ねえ、ライ。お願い。私がいなくても……誰かの手を、怖がらないで。あなたの手は、あたたかいから」
ライは深くうなずき、頭を下げた。
「今日、あなたが前を向けたなら、僕の恋はもう役割を果たした」
ユキノは答えず、ただ雪の花々の中に立ち尽くした。光に包まれながらも、消えずにそこにいた。二人の間には触れられない距離が残る。その距離こそが、彼らの答えだった。
ミーナは泣きながら袖で目をこすり、ロイスは目を閉じて静かに一礼した。モフドラはライの腹に乗り、ぷしゅーと湯気を吐いた。
ライは雪の花を胸に抱き、目を閉じる。懐中時計の針はまだ速く揺れていたが、その鼓動はどこか穏やかだった。
老執事バルドが近づき、低くつぶやいた。
「若様。触れられぬ花も、胸に抱けば香ります。……その香りを忘れなければ、別れも贈り物となりましょう」
雪原を包む風がやみ、空は青く澄んでいった。
白い雪は朝日にとけていった。けれど胸に残した一輪の花は、消えずに、永く、永くあたたかかった。
雪原を歩くたび、靴音がしずかに響いた。
その音はすぐに雪に吸いこまれ、跡だけを白に刻んでいく。
ライは一度、足を止めて振り返った。
そこにユキノがいた。
風にほどける白衣、髪に宿る氷のきらめき。
彼女は雪景色と一体となりながらも、確かにそこに立っていた。
触れれば溶けてしまう。
近づけば消えてしまう。
それでも彼女は、消えずに在り続けていた。
ライは胸の奥で言葉を結ぶ。
――愛している。
それは声にならず、息となって空に溶けていった。
雪が舞う。
ひとひら、またひとひら。
彼の肩に落ちた花びらのような雪片は、すぐに溶けるはずなのに、不思議と形を保ったまま残っていた。
それは彼女からの返事のようで、胸に強く抱きしめた。
ミーナは涙声で問う。
「若様……ユキノさんと、それで本当に……」
ライは青白い空を仰ぎ、ゆっくりと答えた。
「彼女の決断を、僕は誇りに思う。触れられなくても、消えなくても――その選択を尊ぶのが、僕の恋だから」
言葉のあとに訪れる沈黙は、痛みではなく、やさしさだった。
モフドラが小さく「ぷしゅ」と鳴き、温かな湯気を吐き出す。
冷えきった胸の奥に、そのぬくもりが灯をともす。
そして、バルドが静かに口を開いた。
「若様。雪の花は散るために咲くのではございません。
咲いたことそのものが、春を待つ者の心を強くいたします」
ライは目を閉じ、深く息を吸った。
吐き出した白い息が、朝の光に透けて揺れた。
――雪は解ける。
けれど胸に落ちた花は、いつまでも残る。
彼は再び歩き出す。
背に雪原を、胸に花を、未来に誠実を抱いて。
「君を好きになれたこの痛みが、僕の春をつれてくる。」
ライは「あなたの決断を尊重します」と言い切り、恋を“相手の自由の味方”にしました。勝ち負けではなく、奪うでも諦めるでもない、誠実の形。痛みは残るのに、どこかあたたかい――そんな別れに立ち会ってくださり、ありがとうございます。
ユキノは消えません。触れられない距離を守りながら、彼女は彼女の場所に咲き続けます。胸に抱いた一輪の雪の花は、次の季節を連れてくるはず。ライの「恋腹」も、ただのギャグではなく、誰かを想う強さの証として響いたなら嬉しいです。
ここまで読んでくださったあなたへ。よければブックマークや感想で、二人の朝に小さな灯りを足してください。次章からは、新しい出会いと、雪の花が残した“香り”の続きへ。これからも一緒に歩いてもらえたら、物語はもっと遠くへ行けます。
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