第100話 勇者一行、別れの時!?
朝の王都に風が吹き、旅立つ背中と見送る手が交差します。
ライは「誠実」を胸に、ティナは「風」を指に、レオンは転びがちに——それぞれの道へ。
痛みはもう“役目を終えた針”のように静まり、代わりに心臓がしっかり前を向く。そんな区切りの回です。
この先の“次の幕”もいっしょに見届けてもらえると嬉しいので、ブックマークで旅の同行者になってください。風の向きが変わっても、ページはいつでもここにあります。
王都の空が、ゆっくりと明るくなっていく。
夜露の残る石畳を照らす朝の光は、どこか新しい季節の匂いを運んでいた。
グランツ侯爵邸の前庭では、すでに出発の準備が始まっている。
荷馬車が二台、並んで待機していた。幌の布はきれいに張られ、車輪には油が差してある。
門の外には、見送りに来た町の人たちがちらほら。パン屋のおばちゃん、農夫、子どもたち。
それぞれが手を振り、笑っていた。
ライオネル・フォン・グランツ――通称ライは、今日も朝から完璧だ。
兵士たちに地図を配る手は迷いがなく、声もよく通る。
「休憩地点は三箇所。途中で水の補給ができる井戸が一つ。
雨が降っても、丘の影に小屋があるから、そこを使ってくれ」
彼の描いた地図は、まるで工芸品のように細かい。道の凹凸や橋の幅まで記してある。
兵士のひとりが感心してつぶやいた。
「まるで旅の神様が作った地図みてぇだ……」
「違う」
ライは少し照れたように笑った。
「ただの努力だ」
その横では、ミーナが何やら巨大な布を広げていた。
「さあっ! 旅立ちの空に、希望の横断幕をッ!」
ドンッと広げたそれには、大きくこう書かれていた。
――『卒業おめでとう!』
「……」
「……誰が卒業だ」
ライの目が細くなる。
ミーナは「ち、違うんです!」と慌てて手を振った。
「だって、若様! “旅立つ=新しい門出”ですから! つまり“卒業”です!」
「どこの中学をだ」
「誤解の中学を……!」
バルドがそっとメモを取りながら言う。
「若様、本日の予定……①見送り、②誤解防止、③胃薬でございます」
モフドラが“ぷしゅー”と湯気を吐き、まるで同意するようにお腹の上で丸くなった。
町人たちも集まってくる。
パン屋のおばちゃんが、かごを抱えて駆け寄った。
「ライ様、これ持ってって! あんたたちのおかげで町が平和だもの。
旅先でもちゃんと食べなきゃダメよ!」
かごの中には、丸パンがぎっしり。ほんのり甘い香りが漂う。
子どもたちは「こわい顔のライ様、また来てねー!」と手を振る。
その声に、ライは少しだけ頬をゆるめた。
「顔は……直らないけど、また来るよ」
笑う子どもたちの声に、門の空気が一気に明るくなった。
一方そのころ、レオンはというと、馬車の前で派手に転んでいた。
「おいっ! ロープが! 足に引っかかっ──ぐえっ!」
見事にすっ転び、荷車の下に頭だけ突っ込んでいる。
その様子を見た子どもがぽつりとつぶやいた。
「勇者って……転ぶ人?」
「違う! 偶然だ!!」
怒鳴るレオンの頭に、ミリアが“聖水”をぶっかける。
だがそれは実はミント水だった。全員がスースーしてむせた。
「ミリア、これは清めじゃなくて冷却だ!」
「え? でも爽やかでしょう?」
もう爽やかどころではない。レオンが鼻を押さえてくしゃみを連発。
「ハックション! ハックション! もうやめろぉ!」
門前は、いつの間にか市場のような騒がしさになっていた。
そんな喧騒の中、ひとりの農夫が帽子を胸に当て、静かに歩み出た。
以前、ライが助けた村の者だった。
「ライ様、うちの村じゃ、もう誰も“怖い顔だ”なんて言いません。
“顔は怖いけど、心は温けぇ人”って、そう言ってます」
ライは少し驚き、それから穏やかに頷いた。
「それは……複雑だな」
「いえいえ、最高の褒め言葉ですよ!」と農夫。
そのやり取りに、レオンが思わず横を向く。
「……やっぱり、こういうところで差がつくんだよな」
「何か言ったか?」
「な、なんでもないッ!」
耳がほんのり赤い。だが、見栄っ張りな彼はそれを認めない。
そして、いよいよ出発の準備が整う。
風のない朝、静かに、少しだけ名残惜しい時間。
ライはポケットから、小さな包みを取り出した。
それをティナに差し出す。
「これを。……君に渡しておきたい」
ティナがそっと受け取ると、中には淡い青のリボンが入っていた。
「これは……?」
「風紋のリボン。風の魔法の方向を安定させる簡易付与具だ。
君の魔法は、風の流れが少し強すぎる。これを結べば、風の筋がまっすぐ見える」
ティナはその場でリボンを指に巻いてみせた。
風がふわりと彼女の髪を揺らす。
「……ありがとう。大事にする」
その声に、ライは短く頷く。
懐中時計の針がチリッと音を立てた。
けれど――腹は痛まない。
恋腹の針は静かに下を指したまま、光だけをやさしく放っている。
「おいっ! 俺にも何かあるのか!?」
すぐさまレオンが割り込んできた。
ライは無言で、懐から白い粉を取り出し、レオンの足元にふりかける。
「……な、なんだこれ?」
「滑り止めだ」
「やめろぉ! 優しさで刺してくるなっ!!」
笑いとツッコミが入り混じる門前。
その明るさが、別れの寂しさをほんの少しだけ薄めてくれる。
空はもうすっかり朝になっていた。
風が旗を揺らし、ミーナの「卒業おめでとう!」の文字がはためく。
ライは小さく息をついて、その文字を見上げた。
「……まあ、確かに卒業かもしれないな」
ミーナが首をかしげる。
「え?」
「誤解の、だ」
言葉に、バルドがふっと笑う。
「若様、よろしい卒業式でございます」
モフドラが“ぷしゅ〜”と湯気を吐き、空に小さな輪を描いた。
(――これが、旅立ちか)
風が吹いた。
王都の外れに広がる丘の上で、青い空がどこまでも続いていた。
遠くでは、勇者一行の馬車がゆっくりと進んでいる。
ライは少し遅れて丘に立ち、旅立つ背中を見送っていた。
隣にはティナ。
風の魔法使いである彼女の髪が、陽を受けてきらきらと光っている。
指には、ライが贈った青いリボン。風が吹くたび、まるで小さな光の糸のように揺れていた。
「……静かだね」
ティナがぽつりと言う。
「うん。朝の風は、いつも正直だ」
ライは答えた。
風が正直というのは、彼の癖のような言い回しだ。
ごまかしのないものを、彼はいつも“正直”と呼ぶ。
「この数日、ずっと忙しかったのに……今日は、時間がゆっくりですね」
「たぶん、止まってほしいと思ってるからだよ」
ライは軽く笑ってから、静かに言葉を続けた。
「ティナ。君と出会って、僕はずっと思ってたんだ。
“風を読む”って、魔法のことだけじゃないんだなって」
ティナが顔を上げる。
「風は人の気持ちにも吹く。君はそれに敏感だ。
だから、誰かが悲しい時、ちゃんとその風を感じ取る。
……僕は、そういう君が、好きだった」
その言葉に、風が一度だけ止まったように感じた。
ティナの瞳がわずかに揺れる。
けれどライの声は、穏やかだった。焦りも、悲しみもない。
「僕の“恋腹”も、もう痛くない」
ライは小さく息を吐く。
「ようやくわかったんだ。
痛みは、“伝えられない想い”のかけらだったんだと。
でも今はちゃんと、言葉にできた。
だから……もう、苦しくない」
ティナの手が、胸のリボンを押さえる。
風がふわりと巻きつく。
「ライさん……ごめんなさい」
「謝らなくていい」
ライはやさしく遮るように微笑んだ。
「君には、君の行く風がある。
僕はただ、それを見送れる人でいたい」
少し間があった。
丘の下からは、勇者たちの声が遠く響く。
ミーナが「若様〜っ!」と叫び、バルドの声が続く。
「若様ーッ! 勇者様に昼食を持たせましたが、胃薬を忘れてますーッ!」
ティナが思わず笑ってしまった。
「ふふっ……本当に、あなたたちって騒がしいですね」
「……あれが、僕の日常だ」
ライも笑う。
それから、一歩前に出て空を見上げた。
「君の風が、どうか真っ直ぐ吹きますように」
そう言って、手を伸ばす。
ティナの髪が風に流れ、彼の指先をかすめた。
その瞬間、懐中時計の針がピタリと止まる。
心拍を刻むはずの針が、静止したまま――穏やかな光を放っていた。
「……止まった?」
ティナが驚く。
「うん。多分、壊れたんじゃない。
きっと、“痛みの役目”が終わったんだ」
ライの表情は、不思議なくらい晴れやかだった。
ティナは、胸元の青いリボンを指でなぞりながら、小さく笑った。
「あなたの“誠実”って、ほんとに不器用ですね」
「それは褒め言葉として受け取っておく」
二人の笑い声が、風の音に溶けていった。
馬車のほうからレオンの叫びが飛んでくる。
「おーいティナ! 置いてくぞー!」
「……今行く!」
そう言って、ティナは走り出した。
ライは静かに手を上げて応えた。
風が吹く。
青いリボンが静かに揺れる。
まるで、それぞれの想いが別の空へ旅立つように。
ティナの姿が遠くなる。
その背中を見ながら、ライは呟いた。
「ありがとう。
痛みを、優しさに変える方法を教えてくれた」
懐中時計を胸に戻す。
針は動かないままだが、
その代わりに、ライの心臓が静かに刻んでいた。
丘を下る途中で、バルドが待っていた。
「若様。恋の卒業、おめでとうございます」
「……誰がそんな授業を受けた」
「いえ、立派な単位でございました。失恋実習、優秀評価です」
モフドラがぷしゅ〜と湯気を吐く。
それがまるで「おつかれさま」と言っているようだった。
空が一面の青に染まっていた。ライはそっと呟く。
「きっと、今日も誰かの幸せの余白に、僕の名前は残らない。
でも、それでいい。
誰かが笑っていられるなら、それが僕の“完璧”だ」
風が頬を撫で、青いリボンが遠くで光った。
そして、ライの物語は、静かに次の幕へと歩き出した。
読了ありがとうございます。
「誠実は、攻めない覚悟」——その結論にたどり着くまで、たくさん転んで、たくさん笑って、すこし泣きました。
心に残った場面(青いリボン、止まった針、卒業の横断幕、レオンのくしゃみ…!)や、好きなセリフがあれば、評価(★)と感想で聞かせてください。
一言でも大歓迎です。「ここで泣いた」「ここで吹いた」「バルドの締めが好き」——その声が次の章の背中を押します。
また次回、風の続きで会いましょう。




