第10話 若様、祝の落ちる夜
巨大クラッカーの暴発で「祝」だけ天井に残り、顔面講座は“口角二ミリ”指定、ミントとモフドラで恋腹を制御しつつ、目標はただ一言の「ありがとう」。
静かな場で言葉を丁寧に届ける——その設計と緊張を、ほのかなユーモアと一緒に味わってください。
ライの恋を応援するためにも★【ブックマーク】★を忘れずに!
朝、ライは鏡の前に立っていた。
「安心できる顔、角度二十七度……よし」と、真剣な表情で首を少し傾ける。
結果——眉がぎゅっと鋭くなって、自分でビクッ。
「……誰だこの怖い人は。あ、僕か……」
手のひらサイズの小竜モフドラが、いつも通りライのお腹の上にぴょこん。恋の気配でお腹がムズッとした時は、こいつが“温め係”だ。
「プシュー」
温かい湯気が出て、鏡が一気に曇る。
「見えない。モフドラ、加湿器の役目は今いらない」
銀の懐中時計を開く。
これは時刻じゃなく“心拍”を刻む魔具で、針が上がるほど恋が近い証拠。今日の針は、まだ低め。
よし、落ち着いている——はずだ。
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昼前、執事のバルドが、庭の一角を案内した。
「若様、本日の主戦場は、こちらのテラスでございます」
テラスには小さな丸テーブル。湯気の立つお茶、ミントの葉、座り心地の良さそうな椅子が二脚。
そして、モフドラ用の小さな座布団まで。
風よけには、ライが張った簡易障壁。
目に見えない薄い魔法の壁で、風と音を少しだけ弱めるやつだ。
ロマンチックすぎず、静かで落ち着く空間。
「今日は“音量小さめの誠実”で参りましょう」とバルド。
「ああ。僕は完璧だ——恋以外はね」
そこへ侍女のミーナが、やたら長い筒を抱えて突撃してきた。
「ライ様ァ! 巨大クラッカー持ってきました! “祝☆大恋愛”って紙吹雪が——」
このクラッカーは、紐を引くと紙吹雪がドーン!と出るお祝い道具だ。
「やめろ。今日は静かに行くんだ」
ライが止めた瞬間——パァン! 暴発。
天井の梁に「祝」の一文字だけが、ピタッと貼りついた。
「……“祝”だけ残ったな」
「これはこれで縁起がいいのでは!」とミーナ。
いや、気になるから後で取ろう。
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ライは机に地図を広げた。いかにも作戦会議。
「えーと、手順は、A.深呼吸→B.ミント→C.目を合わせる→D.一言“ありがとう”だ」
バルドが横から覗いてツッコむ。
「若様、“E.求婚”と書きかけた跡が見えますぞ」
「書いてない。う…、……書いたけど消した……」
「本日の目標は“ありがとうを言う”だけ。刀は抜かず、礼だけ」とバルド。
「了解。礼節は鍛えられる。顔面は——鍛えられない」
「そこは私でもどうにもなりませんな」
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鏡の前でリハーサル。
「クラリス様、あなたは僕に……光を……」
言い切る前に腹がムズッ。
「す……す……」声が裏返って、窓ガラスがキィィ。
「きょ、今日はありがとうを伝えたい」
これはセーフ。懐中時計の恋心針が、ちょい上がる。いいぞ、上がりすぎはダメだが、ちょい上がりは前進だ。
「表情も見直しましょう」と、バルドの“顔面講座”が始まった。
「眉は“への字”禁止。アルファベットの“C”をイメージして、やわらかく」
「C……C……」
「口角は上げすぎると牙に見えます。二ミリだけ上げる」
「二ミリ……モフドラ、定規」
モフドラがどこからか小さな定規をくわえて運んでくる。便利すぎるドラゴン。
「目線は真正面で睨まない。相手のこめかみ付近を見る。優しげに見えます」
やってみる。……おお、ちょっとマシ!
ミーナが親指を立てた。
「さっきより“ボス感”が減りました!」
そのとき、ふわっと甘い香り。
ミーナが気を利かせ、バニラのキャンドルに火をつけたらしい。
ライの腹が、ムズ……からのキリキリ一歩手前!
「待って、香りは危険! それ恋腹のトリガー!」
火を消す、ミントを噛む、深呼吸、モフドラが“プシュー”。
三段活用でなんとか落ち着く。恋心針も中くらいで安定した。
「香りの火は消えましたが——」
とバルドが見上げる。
「天井の“祝”は、まだ燃え盛る存在感ですな」
「後で取る。今は訓練を続けよう」
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夕方、最終チェック。
テーブルの角度を少し右へ。ティーカップは持ちやすい向きに。椅子の脚はガタつきがないか。
ミリ単位の調整。
モフドラの待機位置も決めた。基本はライの腹の上。非常時はテーブル下。緊急時は“プシュー”で湯気カバー。
ミーナが脚立によじ登って「祝」を外そうとする。
「足元、気をつけて」
グラッ。「きゃっ」
ライは反射で片手キャッチ。
もう片手で脚立も支える。完璧。
「やっぱりライ様、恋以外は完璧です!」
「うん……刺さる言い方だ」
風が少し出て、テラスの簡易障壁がふわっと揺れた。花壇から花びらが一枚、ヒラリ。
それが——なぜかライの眉間に、ペタ。
鏡で見ると、花びらの影が前髪っぽくなって、いつもより柔らかい印象に。
「若様……今の顔、やわらかいです!」
ミーナが慌てて髪留めを持ってくる。
「この角度で固定しましょう!」
「花びら前髪ってアリなのか……?」
「アリです! 本日は“二ミリ口角+花びら前髪”で勝ち筋!」
勝ち筋って言うな。
祖母の腹当てを身につける。手縫いの刺繍と小さな護符が入っていて、不思議と心が落ちつく。旅用薬箱からミントも新しいのに交換。準備、完了。
バルドが黒マントの皺を丁寧にはらう。
「若様、本日の目標は“ありがとうを言う”——ただそれだけですぞ」
「分かってる」
懐中時計の針をもう一度見る。——緊張ゾーンの手前。いい位置だ。
空の色が青から藍へ。庭の影が長く伸び、テラスの灯りが静かにともる。障壁の向こうで、風の音が少し遠い。
砂利道の向こうから、小さな足音。約束の時間だ。
ライは深く息を吸った。
モフドラがテーブルの下から顔を出し、ちいさな前脚で“グッ”と親指(っぽい何か)を立てる。
「行こう」
——
夜の風が、テラスの白いカーテンをすこしだけ揺らした。
丸い小さなテーブルには、あたたかいお茶とミントの葉。ろうそくは匂いのないもの。
ライは、椅子の向きを入り口にまっすぐ合わせた。
バルドが張ってくれた簡易障壁(風よけの薄い魔法の壁)が、炎を守っている。
天井の梁には、なぜか「祝」の大きな布文字が一枚だけ張りついていた。昼間、ミーナが勝手に飾ろうとして止められた残りだ。見上げるたび、ライは心の中で「今は祝う場面じゃない」とつぶやく。
足音。
クラリスが現れた。薄い外套のすそがふわりと揺れる。
「今夜は静かで、いいですね」
「音が小さい場所は、言葉がよく届くから」
言ってから、ライは自分で少し照れた。
お腹の奥がムズっとする。
すぐにミントの葉を口にふくみ、ゆっくり息を吐く。テーブルの下ではモフドラ(手のひらサイズの小竜。腹痛の時にあっためてくれる)が、丸くなって待機していた。
「子犬、どうしてます?」
とクラリス。
「僕の靴はもう噛みません。代わりに、クッションが毎日やられてます」
「それは、それで困りますね」
ふたりで笑う。空気がすこしやわらいだ。
「この前のケーキ、本当においしかったです。あのチョコのとろっと具合」
「実は……モフドラが温めてくれて」
テーブルの下からプシューと小さな湯気。
クラリスが目を丸くし、そしてまた笑った。
ライはティーカップを持つ手の音が鳴らないよう、指の角度まで整える。懐中時計をちらっと見る。
恋心針(心のドキドキを示す針)は、いつもより高いけど、まだ危険色ではない。
呼吸が落ち着いた。——今だ。
「クラリス」
ライは立ち上がり、椅子を静かに引いた。背筋をのばし、短く一礼。
お腹がキリキリの手前まで来る。モフドラが合図もなしに、すばやくライのお腹の場所にぴょんと乗った。温かい。息が戻る。ミント、温湯、深呼吸。三点セットで準備完了。
「まず——ありがとうを言わせてください。あなたのやさしさや、困っても笑う強さに、僕は何度も助けられました」
言葉は短く、まっすぐに。
「……好きです」
懐中時計の針が赤ゾーンぎりぎりまで跳ねる。
ライの服の下、祖母の腹当ての刺繍が、ほんのりと光った。痛みは出たが、暴れない。守られている、そんな感じがした。
クラリスは驚いた顔をして、それからまっすぐライを見つめ、視線を少し落とした。
静かな間。障壁の向こうで、庭の葉がさらさら鳴っている。
「嬉しいです。本当に」
クラリスの声ははっきりしていた。
「ライ様といると、安心します。助かります。……でも、今は“友達でいたい”です」
クラリスは続けた。
「家の手伝いもあって、勉強もあって、恋に全力を出す余裕がまだありません。自分の気持ちも、もう少し時間をかけて知りたいです。ライ様がまっすぐだから、急いで曖昧にしたくない。だから——友達でいてください」
そのときだった。天井の「祝」の布が、ペリ……と音を立ててはがれ、空中でくるくる回り、テーブルの上にふわりと落ちた。
三人(+一匹)は思わず固まる。
「……タイミングが……」
「……完璧ですね……」
小さく笑いがこぼれ、緊張がほどけた。
ライは姿勢を正し、深く一礼した。
「あなたの決断を尊重します。僕の好意は、あなたの自由の敵ではない」
それは、彼が大切にしてきた言葉だ。
そしてもう一言。
「今日、あなたが前を向けたなら、僕の恋はもう役割を果たした」
懐中時計の針が、ゆっくりと緑のゾーンに戻っていく。腹当ての光も、おだやかに消えた。恋腹は、ムズ程度に引いていく。
ライは手を差し出した。クラリスも笑って、そっと握り返す。
一瞬だけ、ピクッと痛み。でも、耐えられる。
テーブルの下で、モフドラが得意げに片手(?)を上げ、親指のように見える何かを立てた。
「じゃあ、子犬の散歩、また一緒に行きましょう」
「ええ。次はクッションの救出作戦も」
クラリスは外套を直して、障壁の外へ歩き出した。ランタンの灯りが、細い影をつくる。背筋はまっすぐ。歩幅もいつも通り。ライは、最後までその背を見送った。
静けさが戻る。
ミーナが植木の陰から顔を出し、目をうるうるさせて親指を立てる。「ライ様、前菜は最高でした!」
すかさずバルドがミーナの肩を軽く叩いた。
「メインは人生、急かすでない」
バルトとミーナのふたりが下がると、テラスは本当に静かになった。
ライは椅子に腰かけ、湯気の消えたティーカップを見つめる。黒マントの裏地——深紅——が、椅子の背で小さくゆれた。
モフドラが膝の上に移動して、丸くなる。
あたたかい。
夜警の鐘が一つ、遠くで鳴った。
きっと、今日も誰かの幸せの余白に、僕の名前は残らない。
でも——その余白に、明日の書き込みスペースができた気がする。
ライは空を見上げた。梁には「祝」が剥がれたテープだけが取り残されている。不思議なことに、それは小さなチェックマークに見えた。
そこへ、そっと近づく足音。
バルドが、声を落として言う。
「若——友情は、急がぬ者のごちそうでございます。今宵の“二ミリ”、確かに前へ」
ライは、ほんの二ミリだけ、口角を上げた。
ライはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥はまだ重く、涙がにじみそうになる。
夜空に散る星を見上げながら、彼は心の中で静かに呟く。
「失ったものはある。けれど……進んだ一歩もある」
モフドラが腹の上で丸まり、小さく「ぷしゅ」と鳴いた。
その温もりに支えられながら、ライは静かな夜の闇へと歩き出した。
「想いは伝えるが、結論は急がせない」。
ライが選んだのは勝敗ではなく礼節で、結果は“友達”という着地。バルドの「友情は急がぬ者のごちそう」という一言が示す通り、この夜は確かな前進でした。
この物語のキーは“二ミリ”。表情も関係も、一気にではなく少しずつ——それでも前へ。
ここで第1幕の終わりです。
ライの新たな恋に期待ください。
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