第7話 ○○○○の死亡推理-④
そろそろ午後の授業開始のチャイムも鳴るため、私はブツブツを呪文のように考えをまとめながら教室へと帰る。
「あ、円羽ちゃんー、おかえりー」
「コンちゃんもお帰り。情報いっぱい手に入ったよ」
「よかたねー。……んー? ほっぺ怪我してるよー。絆創膏貼ったげるー」
教室に戻ると先にコンちゃんが戻っていたので、彼女に抱き着いてお日様の香りを吸い込むために抱き着いた。コンちゃんは聖母のように私を受け入れ、優しく頭を撫でてくれる。そして、私の頬の傷に絆創膏を貼ってくれる。
あんな埃まるけの女と一緒にいたら、本当に体調を悪くするだろう。やはり持つべきはコンちゃんという善き幼馴染である。
「そういえばこんちゃん、いい考えって結局何なの?」
「まだ内緒―。授業が全部終わったら教えたげるー」
「なんだそりゃ」
しばらくじゃれついたら授業開始のチャイムが鳴り、席に座れと急かされる。五限目の歴史の授業が始まった。序盤はきちんと耳から脳へと先生の話が入ってきていたのだが、誰かが脳へと続く線路の分岐器を切り替えたのか、耳から耳へと通り抜けることとなってしまう。
終始先生から起こされることはなかったが、罰として私にだけ宿題が追加された。
他の人だってうたた寝している生徒もいるというのに、なぜ私だけこんな目に……。三回中一回はきちんと起きているというのに!
「はーー……宿題ダルすぎ」
「すやすやな円羽ちゃんが悪いねー」
「コンちゃんは先生サイドなの? 裏切り者め……」
「現代社会を上手く楽しく生き抜くには〝器用な生き方〟が求められるからねー。いかに〝面倒なこと〟と〝もっと面倒なこと〟を見極め、処理できるかが鍵ー」
「コンちゃんってたまにすごい大人っぽいこと言うよね」
授業後にザーザーと降り始めた雨を、机に頬杖をつきながらコンちゃんと二人で眺める。
クラスメイトは各々、行動を開始していた。鞄を持って帰宅するものや、制服の下に着こんでいた体操着を露わにして部活へと向かうもの、会話に花を咲かせるもの、などなど……。
「そういえばコンちゃん、秘密にしてたやつはもう教えてくれるの?」
「うんー。じゃじゃーん。変装用の服と竹馬ー」
「おお‼」
大きめなコートにハット、私が履くには長すぎるズボン、そして竹馬を差し出された。見るに、先ほどの休憩時間中に家庭科室で作ってきてくれたものなのだろう。
これで事件現場に突撃しようということなのだろうが、果たして行けるだろうか。
「フレーフレー。うちが付いて行ったら怪しまれそうだし、いつもの場所で待っとくねー」
「うん、コンちゃんほんとにありがと。絶対成功させてくる」
変装セットを手に持ち、私は旧校舎へと駆け出す。きっと今の私は悪い顔をしているのだろう。自分でもわかるほど、口角が吊り上がっている感覚がしている。
空が泣き、その涙がグラウンドに落ちて水たまりを作り、それを見た外部活一同も涙を落とすという湿度の高い場。それを一瞥してグラウンドを通り抜け、私は旧校舎の近くまで到達した。
物陰になっている場所で変装セットを装備し、なるべく堂々と胸を張り、オーラを醸し出しながら旧校舎へと向かう。やはり警察もおり、規制線も張られている。
「ここは事件現場ですので、お引き取りください。……というか、ここは中学校内ですが、事情聴取をさせていただいても?」
警察にエンカウントして早々ピンチである。が、焦らず、落ち着いて一歩ずつ歩み寄っていこう。私はコホンと咳払いをして、懐から一枚の名刺を見せた。
「私はこういうものでして」
「ん……? 異人専門探偵事務所、まるまるまるまる……何ですか、これは」
「あー、あれだよ。前半二つの丸でウジナシ、後半二つの丸でマドハ……みたいな」
「なぜこう名乗っているので?」
「えーっと……そう! 名を知られるとやばい異人とかがいるんだってば‼」
なんとかして言い訳を口に出したが……あー、なんでそんなチベットスナギツネみたいな顔して私を見ているんですかね。私怪しいものじゃないデスヨ。
気を抜いたら全身からナイアガラの滝並みに汗をダラダラと垂らしそうだったが、何とか耐えて平静を装う。そんなギリギリの状態で警察の返事を待っていたが、とうとうその口は開かれる。
「申し訳ありませんが、ここを通すわけには――」
もうだめかと思った時、警察官の後ろから誰かがやってく肩に手をポンと乗せていた。
その人物は警察の制服ではなくスーツを着ていることから、刑事の人なのだろう。
「おいそこの女、異人専門の探偵と言ったか?」
「え、あ、うん。私が対異人探偵だ」
「そうか……。よし、お前の協力を仰ぎてェ。ついてこい」
渡りに船とはまさにこのことだろう。なぜか刑事からの承諾がされて、規制線を上に引っ張って招いてくれているではないか。
門番のように立っていた警察は瞠目し、その刑事に詰め寄っていた。
「ちょっとちょっと! どういうつもりですか! こんなわけのわからない女性に助けを求めるだなんて! 犯人が異人ならば異人課を呼べば事足りるでしょう⁉」
「確かにそうかもしれねぇな。だがよ、異人が関わっているとされる事件の解決率は四十パーセントにも満ちてねぇってのも確かだ。あらゆる行いにおいて、〝過程〟ってのは重宝されるもんだ。受験然り、スポーツの試合然り……。が、しかし、だ。事件で悲しい思い、怖い思いをしている人だっている。長引かせりゃもっとそれが増幅しちまう。事件解決のために閉鎖的になってちゃあよォ、本当に大事なもんを蔑ろにしちまってるってこともあるんだぜ?」
「ぐっ……。わ、私は反対しましたからね⁉ あなたに何かあってもラーメン奢ることくらいしかしてあげませんからね‼」
「いや、うん、まぁあんがとな……。ま、何かあったらオレが全責任取るから心配すんな。……オイ対異人探偵とやら、とっとと行くぞ」
「あ、わかった。感謝する。……ふ、ちょろっ」
「なんか、言ったか」
「ナンデモナーイ」
タバコ臭いを染み込ませたスーツの気怠そうな刑事。人は見かけによらないというが、どうやらそれも本当なようだ。第一印象は「事件なんぞ知ったことか」とか「だるいからパス」とか言いそうだなと思っていた。ただ、全てを見透かされているようなそんな瞳に見える。
なんにせよ、無事に事件現場に合法的に介入できそうで良かった。刑事についてゆき、事件現場の倉庫へと到着する。
「ここが事件現場だ。詳しい内容を口頭で伝えたほうがいいか?」
「いや、大方知っているから大丈夫。わからない点があったら質問させてもらうから」
「そうか」
雑木林がすぐ横にある旧校舎の倉庫。ボロボロだが扉は頑丈そうだ。大きさはさほど大きくないし、五、六畳くらいの大きさだろうか。扉の前には泥落としマットの代わりかボロイ絨毯があり、窓は一か所だけで、割られた痕跡などは無し。
(さて、どう推理しよう。死体はないし、どう殺されたのかの確実な証拠もない。正直言って、きつい。ムリゲーすぎる……! こんな時、私のパパとママならどう推理してたんだろう)
心の中の焦りがバレないように堂々と振舞う。刑事から離れ、すりガラス付きの倉庫の扉に近づき、まじまじと観察をする。一つ妙な点があった。すりガラスの左端の隅に、テープでも貼ったみたいにその部分だけ埃がなかったのだ。まあ、この程度が分かったとて事件解決につながるのかはわからないが。
私は刑事に一声、中に入っていいかと聞き、許可が下りたのでハンカチを使って扉を開け、倉庫の中へと合法的に侵入する。
「埃臭いかと思ったけど、案外そうでもない? ……ああ、あの小さな穴から常時換気されてるのか」
倉庫の壁の一部に、赤ん坊くらいの大きさならば通れるだろうという小さな穴が開いていたのだ。ただ、他にはこれと言って変な点はない気がする。扉の正面には棚があったのだが、そこにはロープやネット、手鏡や何らかの書類など、様々なものが乱雑に置かれていただけ。旧校舎だからか、今日日使われないだろうという竹箒も立てかけられていたりして、時代をひしひしと感じた。
〝百聞は一見に如かず、されど一見したとて得るものさほどなく〟、と言ったところか。結局私は、パパやママのような名探偵にはなれないのだろう。
そんな言葉が脳内で反響して、苦虫を嚙み潰したような顔となる。しかし、倉庫内のとある場所を目にした瞬間、そんな思考は一瞬にして塗りつぶされた。
「あ、血の跡が――」
実際に人が息絶えたであろう場所の床には、血の跡がくっきり残されている。それを見た途端、ズキンズキンと尋常でないほどの激痛が頭と左目に走ったのだ。脳みそはハンバーグでもこねるようにぐちゃぐちゃにされているような感覚で、ピンポン玉の代わりに左目で卓球されているような激痛だ。
「う、ぐぅ……‼ なに、これ……⁉ 頭と、目……が……っ‼」
「おい、大丈夫か?」
思わずその場で座り込んでしまい、刑事は心配そうに声をかけてくる。しかし痛みは一向に引くこと知らず、みるみる増してゆく。そして、臨界点を迎えた。
刹那、私の頬の絆創膏から血が溢れ出し、それがぐつぐつと煮え始め、果てには気化をして倉庫内に充満する。刑事はそれに押し出されて倉庫内から追放された。
(は……? なんなのこれ……⁉)
極悪な犯罪者でも拘束するかのよう、私の四肢には鎖が如く血で捕まり、口元にも血が纏わりついていて動けず喋れずという、今から拷問でも始まるのかと思う状態だ。キョロキョロと倉庫内を見渡していると、壁に空いた穴から真っ赤で揺らめく何かが侵入してこちらに向かってきていた。
見たところ犬っぽいが、血で作られたような不安定な存在だと感じる。そして、私の意思に反して体は動き、倉庫の扉を勝手に占めてガチャリと音を立てて鍵をかけた。
(何やってんの私⁉ こんなヤバそうな状況で‼)
私は犬(?)にジリジリと滲み寄り、両手を広げて捕まえようとしている。犬は躊躇うように、何かに怯えるようにぎこちない動きをしていたのだが、最後には私の喉元に嚙みついて、引き千切った。
(やばいやばいやばい! 何これ⁉ なんでなんでなんで‼ なんで、こんな目に――……)
喉を失った私を嘲笑うかのように、犬は喉を鳴らして私の血を飲んでいるようだ。
どさっと冷えた倉庫の床にひれ伏し、私は死んだ……。
「――はッ⁉ し、死んで……ない……?」
死んだと思っていた。が、私は蘇ったように目蓋が再び上がり、食いちぎられたであろう喉元を手で確認する。傷一つない私の肌を確認して一安心したが、さっきの幻覚は何だったのかと思考を巡らせた。
そして、一つの結論が浮かび上がってくる。
「これって……いやまさか……。パパがよく話してくれてた、私のママの異能力――〝死亡推理〟……」
その単語を口から放った途端、血は私に収束して元の世界へと帰還した。