第4話 ○○○○の死亡推理-①
「――う~~ん……昔の夢を見てた気がする。記憶、完全には消えなかったなぁ……」
カーテンの隙間から差し込む陽の光と小鳥の囀りは、俺……いや、僕の目を覚まして現実へと引き戻すのに十分な効力があった。僕はベッドから上半身だけを起こし、数少ないアイツとの記憶を掘り返す。
約十五年前、僕が高校生だった頃に出会った○○○○と書いてウジナシクウナと読む女性。この僕の左薬指の輝くものから分かる通り、クウナとは婚姻関係を結んだ仲だった。しかし、代償のせいで好きだったはずの彼女の顔も、匂いも、八割ほどの記憶も、二人で撮った写真も、出会いを設けてくれた名刺も、消えてなくなってしまった。なぜ記憶の一部が残ったのかはわからないが、きっと、彼女の何もかもを忘れてしまえばこんな苦しい思いをしなくても済んだのだろう。
そして、僕も〝巻き込まれてしまった〟ので、自分の苗字が消えてしまった。今では、彼女が使っていたウジナシに文字を当て、〝宇治梨玲央羽〟と名乗っている。ただ存在が曖昧になったおかげで、異人同士の子作りという件は有耶無耶となり、平凡な暮らしを送れている。
「はぁ……。ピチピチな男児高校生だったってのに、今じゃ三十路のおじさんとか……。泣けてくるよ」
僕が持っている異能力のおかげか、老いというのは感じられない容姿をしている。せいぜい身長が百六十センチ後半から百九十センチくらいまで伸びた程度だ。
過去に思いを馳せながら目を覚ましていたのだが、ドスドスと部屋の外から騒がしい音が聞こえてくる。それだけで性格がわかるような、元気が有り余っているぞと言っているかのようなほどだ。
「ちょっとパ……お父さん! 流石に寝すぎなんだけど‼」
「うぐふッ‼ お、おはよう……朝から元気いっぱいだね、円羽……。元気すぎてパパの内臓が死んだかと思ったよ……」
「お父さんは不死身だから、それくらい屁でもないでしょ」
「まあそうなんだけどね」
扉を蹴飛ばす勢いで俺の部屋に入ってきた制服の少女はお腹に渾身の一撃を決め、せっかくおさらばしたベッドと背中を再会させた。
ボブカットにした灰色の髪。ルビー色をした、爬虫類のような虹彩の真ん中に縦長の方錐形の黒い瞳孔がある右目に、琥珀色をしたメープルシロップのような左目というオッドアイをした子。しかめっ面で目つきが悪いが、それすら気にならない美貌の持ち主。
この子こそ、僕とクウナの娘である宇治梨円羽だ。絶賛思春期の中学一年生で、青春を謳歌している。
「はぁ……しっかりしてよね。あ、ってかそういえば、飼ってるヒラタクワガタがひっくり返ってたけど」
「な、なんだって⁉ 僕のマキシマム二十三世が! 寿命かなぁ……こうなったら美味しく頂くしか……」
マキシマム二十三世。二年前にうちの窓辺に張り付いてきて食ってやろうと思ったが、なんやかんや飼っているうちに情が湧いてしまったクワガタだ。
「クワガタは口の中で刺さるから嫌。イナゴとか蜂の子のほうがいいんですけど」
「はいはい、また捕まえくるから、ねっ?」
「は? 今日は働かない日って決めてたじゃん。ちゃんと休んで、わかったら返事」
「は、はいっ。……そういえば、アラームが鳴らなかったのは円羽の仕業か……」
「ふんっ、ろくに休むことすらできないパパへの当てつけなだけですけど~。べーっ」
「やれ、小悪魔な部分は誰に似たのやら……」
僕はもう、探偵の仕事はしていない。異人専門探偵事務所というのは、クウナの力があってこそ成り立っていたものだ。かといって高校中退の僕なので、職に就くのは相当苦労した。
「漣ちゃんに朝ご飯は作ってもらったから、私はもう学校行くよ。行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けるんだよ」
ちなみに、漣ちゃんというのはクウナが言っていた〝エロ強いメイド〟のことだ。クウナが消えて彼女もどこか別のところに行くかと思ったが、自分の仕えたお方の娘を放ってどこかに行くなど考えられません、とのことで、三人暮らしをしている。
円羽は、クウナが残したブラウン色のコートを羽織って部屋を後にした。あれは円羽に授けたのだ。
「さて……僕もそろそろ起きるかな」
ようやくベッドから起き上がり、リビングへと向かった。
# # #
月曜日、天気は雲一つない快晴。春の陽気を含んだそよ風が私の灰色の髪を靡かせ、同じように傍らに生えている草木も揺らす。
私は中学校へと向かうため通学路を歩いていたのだが、「道草は食うものである」という格言を遂行している。春の陽気に誘われてのこのこと地中から現れる奴らを鷲掴みにする。
「あ、ナナホシテントウ。でも苦いから好きじゃないんだよね……。やっぱり定番のコオロギかミルキーなカミキリムシの幼虫こそ至高」
「あ、おはよう円羽ちゃん。また道草もぐもぐして虫さん捕まえてるのー?」
「ん? その声は……我が友である李徴子?」
「幼馴染の綾賀狐ちゃんですよー」
私の名前を呼ぶ、ふわふわとどこかへ飛んでいきそうな声色をしている女の子。
その子は腰あたりまで長い赤みがかった茶髪に葉の髪飾りをつけ、目が開いていない俗に言う〝糸目〟をしている。この子は、保育園から一緒にいる幼馴染である。
「コンちゃんおはよ。見て見て、テントウムシ」
「……昔、円羽ちゃんにテントウムシの幼虫を食べさせられたのは今でも覚えてるよー」
「え、えーっと、コンちゃん怒っている……?」
「今は、もうぷんすかしてないよー」
「『今は』がめっちゃ強調されてる……。ごめんってコンちゃん……」
「いーよー」
怒気を感じ取ったテントウムシは翅を広げ、そそくさと退散した。あっ、と少し侘しさが籠った声を漏らし、お天道様に向かって飛ぶテントウムシを見上げる。
そろそろ道草のモーニングコースはラストオーダーにして、舗装された道に戻った。大人しく中学校へ向かおうとスカートについた草を掃ったのだが、最寄りの高校の制服を着た二人組の男が私たちの前に立ち塞がる。
「君たち超可愛いじゃん! あの中学の一年生でしょ!」
「まだ時間あるしさぁ、オレらとちょっと遊ばない?」
まあ、私が美少女すぎてモテモテなのは仕方のないことだろうが、残念ながら好きな人はいるので有象無象の男どもに構っていられるほど暇ではないのだ。
シカトを決め込んでいたのだが、そろそろしつこくなってきたのでポキポキと拳を鳴らしてストレス発散と洒落込もうと息を吐く。が、その前にコンちゃんが開眼し、キレる――‼
「さっきから喧しい‼ べらべらと寄り付きながら口説き文句垂れ流しやがってーーッ‼ 食事中に鬱陶しく飛ぶゴミの掃溜めからやってきたコバエみてェに、プンップンと耳障りな羽音立てやがってよォ~~‼ そんなに異性と付き合いたいんならコバエ取り器でも設置してメスのハエと接吻しとけやこの羽虫野郎どもがァーーッ‼」
「「ひ、ひぇええええッ⁉ すみませんでしたーー‼」」
コンちゃんのキレッキレのキレ芸に男二人は恐れ慄き、この場を猛ダッシュで後にした。フーフーと肉食獣のような荒い息を整え、開眼していた目も目蓋が下りていつものコンちゃんへと戻る。
「…………。ふぇえぇえ、怖かったよー」
「それはさすがに無理があると思うよ、コンちゃん」
普段大人しい子ほどキレると怖い。それを体現しているのが、この綾賀狐という女の子だろう。彼女は瞬間爆発力がとてつもなく、ビビりな人が正面から被爆したらお漏らしは免れないと思えるほどだ。
いや、だけど案外キレやすい性格しているし……。まあ、何度見てもコンちゃんのキレ方にはスゴ味があって、毎度拍手を思わず送るほど気に入っているけど。
「糞野郎どもともバイバイしたし、学校行こー」
「コンちゃん、抜け切れてないよ?」
覇気を纏うコンちゃんの背中をさすり、なんとか落ち着かせる。
背中をさすっていると、同じ制服に身を包んだ女子が私たちに向けて軽やかに声をかけてきた。うちの中学のクラスメイトの一人である。
「おん? まどっちとこんっち! こんなところで何してん。ゲロでもぶち撒けたんか?」
「コンちゃんがいつものようにブチギレボンバー。以上」
「たは~、日常やね~。いやはや全く、自分ら二人は沸点が低いんよ~。こんっちは普通にキレるわ、まどっちはパパのこととなると可笑しなるでな! こりゃこの前ワイのとっもがまどっちのパパさん狙っとるの話さん方がいい――……あ、しもたわ」
「はァ……? 今、なんて言ったの……?」
私の背後にはおそらく、ゴゴゴゴという擬音が浮いているだろう。
「お父さんは……私のお父さん、パパは……! パパは私んなんだけど‼ 誰にも渡さないからっ‼ その命知らずの間抜け野郎をここに連れてきて‼ 顔面を前衛的なアート作品に変えてやるよこの野郎がぁ~~っ‼」
「円羽ちゃんどーどー。ほんと、パパのこと大好きだねー」
「げげ~。うち面倒ごとは御免や! ほなまた学校でな~!」
風のように逃げ去るクラスメイト。その後、私はコンちゃんに慰められるという立場逆転を味わい、なんとか正気を取り戻した。
ようやく登校を再開してコンちゃんとの会話に花を咲かせていると、そういえば、とコンちゃんが話題を持ってくる。
「一昨日の土曜日に旧校舎で殺人事件があったみたいだよー? しかも死体が勝手にいないないしちゃって未解決だから、みんな怖がってたー」
「へぇ、それは野次馬のし甲斐が……じゃなくて怖いね。死体がひとりで消えたってこと?」
「そーみたい。ネクロマンサーさんでもいたのかなー」
「……あれ? その話……お父さんから聞いたことがあるような――」
「円羽ちゃん?」
野次馬しに行くことしか頭になく、口角が上がって不敵な笑みを浮かべていたが、コンちゃんから気になる単語の数々が飛び出してきてそれどころではなくなる。顎に手を添え、眉間にしわを寄せて記憶が収納されている引き出しを開け閉めし始めた。
パパはママとの思い出は八割ほど消えているらしいが、断片的には覚えているとのこと。そして、よく私に昔話として話してくれていた。パパが昔話をする時は決まって楽しそうにし、最後には空虚な顔になってしまうからよく覚えている。
その中でも、パパとママの馴れ初めで事件に向かった時のもの。それは〝死体全員が検死される前にひとりでに消えている〟という不可思議な現象が起きていた、と。
(偶然? いや、こんな偶然があってたまるか。今回の事件はおそらく、私が生まれる前……十五年前の事件と関係しているんだ。これを解決すれば、ママのことについてもっと知れるかもしれない。そしたらパパも、もっと元気に……‼)
毎朝毎晩、誰の写真も入っていない遺影が供えられた仏壇に寂しそうに手を合わせるパパ。私は何も言えず、ただ隣で同じように手を合わせるしかできない。
けど、これで少しでも記憶が戻れる糧とって、もっと元気になってほしい。もっと笑っていてほしい。だからこの事件、必ず解決してみせる。
「コンちゃん」私が名を呼ぶと、「なーにー?」とふわふわ返事をした。
「私、今回の旧校舎の殺人事件を解決するよ」
「おー。面白そーだからうちも付いてくー」
謎を解いて、必ずパパに笑顔になってもらうんだ……!