第20話 血鬼と赫血-②
玲央羽たちがいる高校の屋上。そこには、ラジオを聴きながらスマホ片手に佇む真っ黒の人物がいた。墨のプールにダイブしたかのように、そいつは肌も桎梏である。
スマホには、生徒と戯れるグレーのスーツを着る先生らしき人物の姿が映し出されていた。
『さて、この後はいよいよ皆既日食ですね~! リスナ―の皆さんは休憩の合間に見に行ってはいかが――』
「フム。そろそろ行きましょうか」
その人物はラジオのダイヤルをひねり、砂嵐を奏でる箱と化したラジオの電源を切る。
授業が始まるチャイムを合図に、姿を消して足音だけを響かせ、屋上に入るための扉がひとりでに開閉した。その足音は鼻歌も混合し、物理室へとそれは近づいている。
「正しい世のため、死んでもらいますよ」
物理室のと書かれた教室札の扉を開ける。そこには、水道と合体した机や、図画工作の授業で作れそうな簡易的な四角い椅子といった、ありふれた理科室のように見える。しかし、目を疑う光景があった。
先ほどのスマホの画面に映っていたグレーのスーツに身を包む先生が床にひれ伏し、背中からナイフを突き刺されていたのだ。鮮血でスーツと床は彩られ、ピクリとも動かない。この出血量からして、生きているとは到底思えない様子だ。
「よ~し! 犯人への嫌がらせ、これにて完了っ! 順番に殺されるくらいなら、先に殺しちゃえばいいからね~~」
「な……ッ⁉」
被害者の傍らにいた女性は、背中のナイフを抜き、風に揺れる柳のように揺らめきながら立ち上がる。彼女のその銀髪は、赤と良く映えていた。
そう、彼女は名探偵である――クウナだ。
「さーて、真犯人くんも、姿は見えないけどいるんでしょ? 残念だったねぇ、ボクが先に殺しちゃった!」
「……お嬢さん、何をしていらっしゃるのですか……。貴女は探偵のはずでは……」
「にひひ。名探偵の○○○○たぁボクのことだよ。解釈不一致でも起こしたのかな?」
クウナがナイフを一振りして血を飛ばすと、その血は空中に付着した。その何もないと思われる場所から、全身真っ黒の人物がフェイドインする。
黒で染められた表情も困惑と焦りに塗り替えられており、クウナも次第に余裕がなくなっていった。
「っ……ふ、ぷふっ……。あははははっ! 大~成~功~‼ もう起きていいよ‼」
「――……?」
その合図とともに、殺されたと思われていた先生が身を起こす。
そしてその元死体は、目を白黒させている犯人に向かって、クウナと同様に嗤い始めた。
「だーっはっはっは! 死んだと思ったのか間抜けがぁ‼ 見事に騙されてやんのー‼ 件の先生とはトイレで入れ替わったんだよ馬~~鹿‼」
「お腹痛い……っ! このままじゃボクシックスパックになっちゃうよ~~! いやぁ、にしてもナイス演技だよ、レオパくん」
「あたぼうよ。嫌がらせに命を懸けるのは常識だよな?」
ナイフに刺されていたのは玲央羽であり、先生のスーツに身を包んで犯人を欺いていたのである。
「さてさて、それじゃあボクたちの推理を聞かせてあげようじゃあないか。真犯人くん?」
# # #
まさか嫌がらせのためにクウナにナイフで刺されるかとは。謀事は密なるを尊ぶというが、直前に言われて顎が外れるかと思った。だが、犯人の間抜け顔も見れたことだしいいだろう。飛び散った血はじわりじわりと俺の傷口へと回帰し始めていた。
そして、どうやら今から彼女の答え合わせが始めるようなので、耳を傾けることにした。
「まずは、四つの殺人試験の法則性を説明しようか。レオパくん、君は何だと思ったか、もう一度説明してくれるかな?」
「ん? おう。あのクソダサフォントのカードにはABCDEって書かれてたから、苗字の頭文字からABC殺人事件かと思ったな」
「うんうん、三分の一正解さ。ただ、このカードには影と水面にも映っていて、三つのABCDEがあることとなる。ということは、だ。あと二つの法則性があるということだよ!」
水を得た魚のようにペラペラと喋り始めたので、俺は先生の加齢臭臭いスーツを脱ぎ捨てつつ彼女の話を耳に入れる。
ただ、全身墨だらけの異人が動かないとは限らないので、警戒は続けた方がよさそうだ。
「もう二つの法則性。それは〝殺害方法〟と〝名前〟だ。まずは殺害方法から説明しようか。最初はアナフィラキシーショック、次は焼死、絞殺、溺死、と」
「何の法則性もないように思えるけど?」
「これを英語に直すのさ。するとこうなる。Anaphylaxis、Burning、Choking、Drowning。見事にABCDと並ぶだろう。これから推測するに、最後はEから始まる殺され方は〝失血死〟である〝Exsanguination〟かな?」
「……異人専門の名探偵というのはどうやら本当のようですね。はい、確かに失血死を目論んでおりました」
不服そうながらもパチパチと拍手を送る犯人。クウナは続けて推理を加速させる。
「そして最後の法則性、それは――《《ABC理論》》さ。正確にはABCDE理論かな? この理論は心理療法であり、心の問題を解決するために用いられているものだ。レオパくん、君は頭がいいらしいじゃあないか。これも知っているかい?」
「まあ一応……。えーっと、|出来事《Activating event》、信念、|結果《Consequence》、反論、効果の五つのABCDEだったっけか? ――あっ」
「そう。これらは、被害者の名前と似ているんだ」
今までの被害者と被害者予定者の名前を並べると、出来・信音・結華・反尾・効太となる。出来事と出来、信念と信音、結果と結華……全て似ている。
俺の閃きがあと少し足りなかった。そのことが悔しくて歯を鳴らしているいると、クウナはポンポンと俺の頭に手を置いて慰める。
本当に、彼女は周りをよく見ているようだ。……シャンデリアを避けられなかったのがノイズだが……。
「そしてこれら六人は全て同じ一年三組だった。そしてそのクラスでは、いじめが起こっていたと同じクラスの人物から聞いたさ。そのいじめられてた人物こそが君――〝十八澄朋〟だ」
「お見事でございます、よく調べましたね。……フゥム、計画が狂い始めてしまいましたね……」
犯人の顔はみるみる不快なものを見るものへと変わっていっていた
。
「あっ、そうだ。最初に殺そうとしてたのって実は、ダニの異人の秋絵誘戸だろう? 苗字の頭文字はA。しかも名前は誘戸。〝出来事〟は〝誘因〟と捉えることもできる。粗方、殺そうとしたら異人だったから、ビビって脅して共犯者に仕立て上げたって感じかな。……いやダサっ!」
「ぶわっはっはっは! ダッセー! 新入生の自己紹介で一発芸するって言ってた奴が大滑りしてる時くらいダサいぜェーーッ‼」
「うひゃひゃひゃ! 見なよレオパくん! 心なしか犯人くんの顔赤くなってきてな~~い⁉」
「本当だ! 図星かァ⁉」
犯人を指さし、これでもかと言うくらいに煽り散らかす俺とクウナ。到底、探偵と助手とは思えない言動だ。犯人も溜息が漏れ出ており、怒りが抑えきれていない様子である。
だがまあ、人を殺す犯人よりはましだろうし、その人殺しに向けて嘲笑っているから大丈夫だろう。
「一度、計画を練り直すのもありですかね」
「あぁ⁉ 逃げた!」
犯人はこの場から姿をゆっくりと姿を消したと思えば、この物理室の扉が開く。
「ちょいちょい! ボクの推理まだ終わってないんですけど⁉ 変身中のヒーローに手を出すのはご法度だろう!」
「いや、最近ではその常識はなくなってきてるぞ」
「はあ……まあいいさ。とりあえず君には、追跡がてら話しておこう。さ、追うんだレオパくん‼」
「えっ、俺はそんなことできないぞ⁉」
「いいや、君ならできる。犯人には君の血を付けておいたからね♪」
ナイフにこびりついた俺の血を飛ばした時に付着させたものだったか。確かにあの血はまだ俺のもとに帰ってきていないが、そこから辿ることなんかできるのだろうか。
自分自身の異能力はまだ何ができるのかわかっている点が少ない。精々、腕が消し飛んでも再生する能力と、血を自分に戻す能力くらいだ。
「何となく感じないかい? 遠くの方で自分の一部が動いているという感覚が」
「いや、ゆうてこの部屋くらいしか……ん? いや、この部屋だ‼」
俺は咄嗟にクウナを引き寄せる。彼女の足元からは、乾いた金属音が響いて真っ黒のナイフがどこからか現れる。そして、机の下からぬるりと犯人が現れた。
「良い感です。それとも異能力の一部でしょうか? まあなんにせよ、ワタシの邪魔をするというのならば殺させていただきます。さっき死んでしまったウーパールーパーの仇……‼」
「な、なんか冤罪をかぶせられている気がする! レオパくん、一旦戦略的撤退だ! 逃げ――うげふっ‼」
「く、クウナ――ッ⁉ 何顔面ダイブしてんだァ‼」
駆けだしたクウナは盛大にぶっ転んで、鼻が真っ赤になっている。唖然としながらクウナの顔を見ていると、顔を赤らめてそっぽを向いた。
何照れてんだテメェ。今そんな状況じゃあねぇだろがい。
「クウナのドジ属性を忘れていた! クウナ、スタンダップ! ハリーハリー‼ お前ならできるッ‼」
「そこは応援じゃなくて手を差し伸べてよ⁉ ……ってやばいやばい! 触腕来てるよ‼」
「冗談だっての。行くぞクウナ‼」
「……逃がしませんよ!」
彼女をお姫様抱っこで抱きかかえ、イカの触腕へと変形した異人の腕を回避する。そのまま入ってきた扉を破り、物理室を後にして廊下を全力疾走する。
「ちょ、レオパくん⁉ うへへ、きゃー! 大胆だ――ごふぁっ⁉」
「舌噛んでんじゃねえか! いいから拳銃で援護してくれ!」
「あい……」
コートの下に隠していたホルスターから拳銃を取り出し、その安全装置を解除し、俺の背後に向かって発砲を開始する。
いかんせん耳元での発砲ため、耳がキーンと響いた。後ろを一瞥したが、どうやら触腕で防がれているみたいだ。
「レオパくん! 犯人くんのあの触腕の射程距離は多分五メートル弱! そこまで近づかれないように走るんだ!」
「あいよ! でもなんでわかるんだ?」
「二番目に殺された時、あいつは煙突に腕を突っ込んでいただろう。そう、突っ込まなきゃ届かなかった。そこからわかったさ!」
クウナは弾倉をリロードし、今度は狙いを定めて弾丸を一発。その弾丸は廊下に設置されていた消火器にヒットし、中身が炸裂して白い衣が纏わりついた。
「うおっ⁉ 一気に犯人見えた!」
「君にはあの異人の能力の弱点を話しておくよ。時にレオパくん、犯行現場に共通してあったものはなんだと思う?」
「はあ? 今それどころじゃねぇっての‼」
「やれやれ、仕方ない。それは〝水〟だよ。一番目、スプリンクラーの作動。二番目、暖炉の火を消そうと水をかけた。三番目、風呂場。四番目、噴水……。水が必要だったのは、変色する墨は乾くと元に戻るからだ!」
クウナのその言葉から、四番目の事件の路地裏での出来事が掘り起こされる。あの時、クウナがコートを振り回したら黒い墨が出現した。
それに、それが本当なのだとしたら、確かに死体に黒い墨が残ってしまう。だから死体を事件現場からなくす必要があった、と。
「なるほどねぇ!」
「ただ、依然として追ってきてるのは変わりない! しかも親愛なる隣人みたいに腕を使って立体起動してるよ! このままじゃ追いつかれる!」
弾倉も無駄遣いは避けたいようで、ここぞという時にしか使えないみたいだ。一気に引き離す方法はないか……!
(いや、一つあるかもしれない……)
人間という生き物は、骨や筋肉が壊れてしまわぬように百パーセントの力は出せないよう、脳がリミッターをかけている。
対して俺はニンゲンではない。しかも、どれだけ怪我をしようが再生できる能力を持っている。もう殺されたこともあるし、殺したこともある。リミッターとかいう枷、今更必要ないだろう。
「クウナ、今度はさっきと比べ物にならない。俺にしがみついててくれ。舌、噛むなよ――‼」
「え、う、うん! わかった!」
「ふぅーー……。本気、だッ‼」
肺の中の空気を全て抜き、一気に吸い込む。そして、足に全力の先の力を籠めた。ブチブチと筋繊維が千切れる音が聞こえる。だが、そんなの関係ない。壊れた傍から治してゆけ。そして、思い切り床を蹴った。
刹那、廊下に赤い稲妻が走る。
「いッ……てぇえええ‼ ってか止まれねぇ⁉」
到底人に出せるとは思えないスピードで駆け、一気に犯人と距離が開く。ただ、目から火花が散り、骨にひびが入った痛みや筋肉が千切れた激痛が襲ってきた。足がまだ回復しきっていないため、止まることは難しいかもしれない。
このままでは廊下の端の壁の接吻するのは確定だ。何とかしなければクウナも押しつぶしてしまう。左腕でクウナを抱きしめ、右腕に力を籠めた。
「足の次は腕ってことだな……! せ~~のッ‼」
行き止まりである廊下の端の壁を拳で破壊し、轟音がとどろく。大きな風穴をぶち抜いたのだ。三階だったためそのまま宙に放り出されるが、足の再生が半分ほど完了したため、着地に成功する。
「ゼェ……ゼェ……! つ、疲れた……‼」
「ありがとうレオパくん! かっこよかったよ‼」
「どういたしまして……」
不死身とはいえ、疲労はあるようだ。そして、限界解除状態はまだ慣れていないから乱発はしない方がよさそうだ。再生能力が化け物だが、爬虫類より上の両生類はどれ程の再生能力なのやら。
再生が終わるまでクウナの肩を借り、グラウンドあたりまで歩みを進める。すると、電信柱に取り付けられているスピーカーから犯人の声が響き始めた。
『グラウンドにいるお二人に告ぎます。ただいまより約三百六十秒の間で、全校生徒をワタシたちの協力者にさせてもらいます。真の平和を目指し、弱きを助けて強気を挫くために』
「何わけわかんないこと言ってんだ? ってかそんなことアイツにできるわけ――」
『ワタシにできるはずがない。そう思っているんじゃないでしょうか。確かにワタシでしたら不可能。しかし、この方ならできますよ』
不穏な言葉を最後に、スピーカー越しの犯人からの声明は途絶える。暗雲立ちこめるかのように辺りも薄暗くなってきたが、何か妙だ。
今日は雲一つない快晴だったはず。しかもこの胸騒ぎは一体……。
「――あっ、す、すみませんん……! 自分が不甲斐ないばかりにぃいい……‼」
「あ? お前、そんなとこで何やってんだ! ――誘戸〟‼」
屋上の上に現れた人影は、昨日置いていってしまった共犯者であるダニの異人――秋絵誘戸だった。




