第18話 澄んだ蒼穹に落ちる-④
彼女の言葉によって宇宙で漂う猫のような思考が停止し、次に俺の脳が動き始めたのは彼女と出会った事務所に帰ってきた時であった。
「はっ⁉ ってちょっと待て! なんで同棲する流れになった‼」
「お、やっと脳の処理が終わったんだ。なんでってそりゃあ、ボクの隣に立つ人物としてふさわしくなってもらわないと。君を巻き込んだ原因はボクだ。君を徹底的にサポートするのもボクの責任だから」
クウナは俺の手を握りながら、瞳の奥をじっと真剣に穿つ。その瞳に一切の濁りは存在しておらず、ただただ透き通っていた。
真剣に俺自身のことを思ってくれているのが伝わってきて顔が熱くなる感覚がするし、正直言って甘えたい。ただやはり、思春期はそれを突き放そうとする。
「ぐっ、俺は健全な高校生男児だし!」
「そんな健全な高校生男児が山とか橋の下で生活してる方が問題だっての! おらっ! いいから美少女名探偵のボクと一緒に暮らすんだよっ‼」
「キャー! 無理やりお持ち帰りされちゃうー! 事案よォーーッ‼」
「ぐへへ、ここは人気がないから誰も助けは来ないぜカワイ子ちゅわ~ん?」
俺に思いを伝えるために握られていた手は、今では俺を引っ張るための手段へと変貌してしまっていた。クウナが俺を引っ張り連れ込もうとしており、全力で抵抗すれば引き離せたが、それをしない体は正直者である。
俺の必死の抵抗(笑)虚しく、ズルズルと引き摺られて連れ込まれる。さながら餌を捕まえて巣へ運ぶアリが如く。
そのまま入り込んだのは探偵事務所の二階の真下、一階部分だ。二階が仕事場、一階は自宅ということになっているらしい。
「うーん……家ん中汚ぇな!」
「うっ! し、仕方ないじゃないか。メイドがいないから自分で掃除しようとしたら、なぜか更に汚くなっていくんだよ!」
「ドジっ娘ここに極まれりだな。まぁ、思ってたよりは汚くなくて安心だ」
「思ってたより……そう、だよね……」
お世辞にも綺麗な室内ですね、なんて言えない汚さだが、生物の放置やら飲みかけのペットボトルやらがあるわけではないのが救いだ。
精々散らかった本や書類、しわになっている服などなどがある程度である。
「それじゃあこの余っている一室を君に譲渡しようじゃあないか! 好きに使ってね」
「おぉ……! 広い! 雨風が凌げる! ホコリっぽいがふかふかのベッドで寝れる! ありがたやクウナ様ぁ……‼」
「むふぅ~っ! 存分にボクを褒め称えるといい!」
「カミキリムシの幼虫見つけたら献上するぜ!」
「……イラナイ」
俺の最大限の献上品を提案してみたのだが、クウナは首を横にぶんぶんと振って拒否する。
その言動で少し冷静になり、ふと疑問に思ったことを口から出す。
「あれ? そういや誘戸は?」
「え? ――あっ。……まあ、警察に自首したんじゃない?」
「完全に置いてきちまったじゃねぇか! 共犯者が野放しだぞ!」
「う~~ん、そうだねぇ……。一旦お風呂入ってくる。レオパくんは二番目ね! リビングの掃除道具は好きに使っていいから~‼」
「外出する気はないと言ってんのと等しいだろそれ。まぁいいけど」
ひらりひらりと風と舞う布のように面倒ごとを避け、この部屋を後にしてパタパタと響く足音が遠ざかってゆく。クウナが大丈夫と言っているのならば、まあ大丈夫なのだろう。
せっかく部屋を貰ったが、このままでは埃に抱かれて眠ることになってしまうだろう。俺はリビングにあった掃除道具を拝借し、部屋の掃除を開始することにした。
――そして、掃除をしてから数十分後……。
「ふ~~! なかなかいい感じになったんじゃないか?」
埃と塵がワルツを踊る室内は消え失せ、新居と言っても過言ではないほどの綺麗になった室内に変貌する。半ホームレスのような暮らしをしていたが、俺はとことんやり込むタイプなのでつい本気を出してしまった。
袖を捲し上げていた腕で、額の汗を拭う。時間も忘れて夢中で掃除をしていたため、背後から近づく者に気が付かなかった。
「にひひ、レ~オ~パくんっ。お掃除終わった?」
「うおっ! く、クウナ⁉ 何抱きついてきてんだ!」
背中に伝わる温い柔らかな感触に思わず情けない声を漏らし、振り返った瞬間にニマニマした彼女の顔で視界が埋まる。ふわりと漂うシャンプーの香りと、ひらりとしたネグリジェで熱が全身に広がった。
しまったな。クウナと出会ってまだ一日も経っていないが、俺と彼女はひどく似ている。ゆえに、何らかの面白い反応を見せてしまえば揶揄われるの必然。クウナだったらそうする、俺だってそうする。
「ありゃありゃ、大丈夫かな? もしかして〜、お風呂上がりのボクにドキッとしちゃったり〜?」
「ドキドキなんてしちゃってないんだが? ただの心不全なんだが? そろそろ死ぬが?」
「ぬふふん、照れちゃって。愛いやつめ。そうだねぇ……君がどーしてもというのなら! チラり。有り余る情欲をこのボクに注ぎたいというのならっ! チラりチラり。前向きに検討しちゃうけどねぇ〜〜? チラシズシ」
「喧しい! 鬱陶しいぞクウナ! ってか最後だけ食欲が溢れ出てたぞ」
クウナの風呂で茹でられた頬をつねる。やられたんだし、やり返しても文句を言われる筋合いはないはずだ。
「あ痛たた……。全く、この程度で怒らないでくれたまえよ。ほら、湯冷めしちゃわないうちにお風呂行ってきなー」
「どっちが吹っ掛けてきたか記憶消えたのか? まあいい。んじゃお言葉に甘えて風呂食ってくる」
「着替えとかは洗面所に置いといたから。あとボクの愛用してるアイマスクもあるから、風呂上りに使ってね♡」
「その言い方だと、どっか出かけんのか?」
「二階の事務所でちょっと色々とするだけさ。そんじゃ、ごゆっくり~!」
バチコーン! と大きな音を立てる勢いのウインクをし、俺の部屋を後にする。風呂上りの報告ついでに揶揄いに来ただけだったようだ。乱すだけ乱して早々に立ち去る、まるで嵐のようなやつである。
掃除もほぼ終わっていることだし、汗もかいたから風呂を頂くとしよう。
教えられた場所まで足を運び、風呂場に到着する。先ほどクウナから漂ってきた香りが、この洗面所に充満していた。相変わらず汚く、洗濯物らしきものが散乱していることに目を瞑れば、全思春期男子高校生の桃源郷だろう。
「とっとと風呂入って、軽く掃除してやるか。俺もここで暮らすことになったんだし」
半ホームレス生活をしているが、風呂は銭湯バイトで補うことができていたので一応清潔だ。ちなみに、この家の風呂は普通だった。まこも湯だったらどうしようかと思ったが、流石にクウナを信用しなさすぎかもしれない。あとで謝っておこう。
そして風呂上り、俺は彼女から言われていた着替えを見つけたのだが、そこにありえないものも付属していた。
「なっ、な……っ⁉ これ――ブラジャーじゃねぇかァ‼」
白色で無地、しかし「これはスイカを二つ運ぶための画期的な道具ですか?」と言う質問が飛び出そうなほど、包むものは巨大だと推測できる代物である。クウナは服越しからもわかるほど大きいが、そのヴェールが剥がれたらさらなる進化が待っているのかもしれない。
……そんな馬鹿なことを推測している場合ではないな。
そう思い思考をグルグルと巡らせていると、クウナの言葉が脳裏に響く。
《ボクの愛用してるアイマスクもあるから、風呂上りに使ってね♡》
「……あ、アバンギャルドなアイマスク、なのか……? 俺がこういうのに疎いという可能性も捨てきれんな」
しばし考えた後、答えを導き出す。
「善意を無下にすることはできない。クウナ……使わせてもらうぞッ‼」
俺はそのブラジャー……否。アイマスクを手に取り、リビングへと向かう。そして、重力場でも発生していそうなソファーに腰を下ろし、寝そべる。
そして、それを――ドッキングした!
「うぉ、ぬ、温い……⁉ まさか脱ぎたて……いや、これは保温機能ってやつだな! 科学の力ってすげぇ!」
少しオーバーサイズな気がするが、若干温いそのアイマスクは俺の眼を癒し始めた。
自分自身のことを客観視すれば、下着を目に当てるただの変態が転がっている光景が映るだろう。だがこれはアイマスク……のはず。つまり合法である。
しばらくそのアイマスクを堪能していると、遠くから足音が近づいてきているのが耳に入った。
(ま、まずい! ……いや、まずくないッ! 何を焦る必要があるか。堂々としてればいいんだよ。やましいことなんて何もないんだし)
跳ねた心臓を宥め、無心な心でその足音の主に構える。
「レオパくんお風呂入った〜?」
「おー、頂いたぞー」
「そうそう、アイマスクなんだけどね、間違えて二階に置きっぱなしにしてた――……って、君は何してんのさぁ⁉」
突然大声を荒げたので、何事かと思いアイマスクを頭の上にずらす。するとそこには、マグマ湯にでも浸かってきたのかと思えるほど真っ赤な顔に、グルグルと回転させた瞳をこちらに向けていた。
わなわなと震えながら指をこちらにさすクウナに対し、俺は一切悪びれる様子を見せず、理路整然と説明を始まる。
「ああ、クウナが言ってたアイマスク使わせてもらってたぞ。もう朝かって思えるくらい快眠できた時くらい最高の気分だ。春はあけぼの」
「春はあけぼのっていうか春のばけものだよコノヤロー。それがアイマスクなわけないでしょうが⁉ さっき洗濯機に入れてなかったやつ間違えて置いちゃっただけ! 返してぇ‼」
「なんだ、前衛的なアイマスクじゃなかったのか……。まあ安心しろ、一切邪な考えはしていないッ!」
「鏡を見なよ、鼻血が垂れてて説得力皆無だよ。もう、変態! えっちおぶすけべ! ばーかばーか‼」
クウナはアイマスク改めブラジャーを俺から奪い取り、心底軽蔑した表情を浮かべている。需要があるところにはある顔なのだろうが、俺は案外傷つきやすい性格なので少し肩を落としてしょんぼりした。
「ごめんなさい……」
「うっ! そ、そんなに落ち込まないで~……。間違えて置いたボクも悪かったよ。リビングのお掃除で勘弁してあげるから! ね?」
「結局掃除させられんのかよ! まあいいけど」
「お掃除が終わったら歓迎パートゥィ―だよ! メイドの漣ちんはいなくてドゥーバーイーツで注文し放題だし、映画も深夜まで見放題っ‼ ボクのおススメは大怪獣がフルアーマーになって闘うやつとか、プラズマキャノンで太陽を破壊するラブコメとかだね~~」
「そのドスケベメイドのレンチンとやらに頼り切った、堕落した羨ましい生活を送っていたことがよくわかった。そしてなんだそのバカみたいな映画。絶対見るまで寝れないぞオイ」
このウジナシクウナという人物は、弁慶の泣き所がかなりあると見た。まあしかし、それを補えるほどの能力と推理力があるということなのだろう。
充分癒されたし、許しも貰えたことだし、ササッとリビングも掃除してしまおう。俺がソファーから徐に立ち上がると、入れ替わるようにクウナがそこに腰を掛けてスマホを弄り始める。
「んじゃ、掃除よろしくね。ボクは色々注文しとくよ~」
「あいよ。……見た目が美少女じゃなきゃ終わり散らかしてたな」
「おーい、聞こえてるんですけどー?」
気分は学校のない休日にだらける子供横目に掃除をする母親である。ま、俺と母親との思い出はほぼないので合っているかはわからないが。
――その後、俺は着々と掃除を進めて大分片付いた頃に料理が届き、パーティーが開催された。親という監視者がいない中、やんちゃな似た者同士がまともな生活を送れるはずもなく、俺たちはソファーで寝落ちしてしまうのであった……。




