第11話 血! 血! 血!-④
彼女のもとに駆けて胸元にダイブすると、ほんのり柔らかい弾力にこのおばあちゃんの家のような渋い香り……まごうことなき、私の幼馴染だ。
「なんか失礼なこと考えてないー?」
「そ、そんなのするわけない、よ? そんなことより、起こったことをありのまま話すから。……ねえ、あんたも水浴びしてないでこっち来なよ」
「あ、僕も混ざって良かったんだ。百合百合してたから空気になるべきかと……。了承がもらえたんなら、お邪魔しマンボウ。ただいマッチョォ‼」
外で雨に打たれている時彦も呼び、今まで起こったことを事細かく説明をする。コンちゃんがブチギレモードになって気絶している輝夜に襲い掛かろうとしていたが、操られている時より気迫があった。
なんとか食い止めたが、もう一人の被害者、時彦は首をかしげて訝しんでいる。殺された恨みではなく、何か気になることでもあるのだろう。自分が殺され、彼女もぶん殴られて気絶しているのに随分と冷静沈着だ。これが部長の器なのだろうか。
「輝夜は、こんなことをする子ではないはずだ。何か裏があると僕は思う」
「じゃあその何かに心当たりはあんの? 痴情のもつれとか?」
「違うッ! 最近、彼女と喧嘩をしたんだ。どこか僕を突き放そうとする発言をして、何かに怯えているようだった。けど、絶対に喋ろうとしなかった。彼女の力になりたかったけどできなくて、一人で調べようとしたらものすごい怒られてさ……」
「そう。……うーん、けどそれだけじゃわかんないかな」
自分の意志ではなく、脅されて犯行に及んだということなのだろうか。まあなんにせよ。この事件は解決したのだし良かった。
ただ、まだパパとママが関わっていた十三年前の事件との関連性は分かっていない。それについては、この輝夜が起きてから根掘り葉掘り聞くとしよう。
「よし、それじゃあ一旦警察とかに通報し――」
『――かグや? ケガしてる。だれれ、だレが、やったのよォオ……‼』
やばい。
語彙力が一瞬でなくなり、脳みそがその単語一色で染まるくらい危険信号が出される。頭の中の警鐘が鳴りやまない。
気絶している輝夜のもとに、音もなく現れたのはバケモノだった。かろうじて人の形をしているが、身体は赤く、背中から鞭のような腕が生えている。歯茎は丸見えでその横に牙のように触肢が生えている。目も退化していてないし、腕も悪魔のようだ。
これは異人ではなく、異人になれなかった成れの果て――〝終人〟だ。
パパや輝夜とは違い、ウイルスに適応できずに異形化したニンゲン。本能のままに動き、能力次第では一匹で街を壊滅させられるやつもいるとかなんとか……。
「……二人とも、逃げてこの人に電話して助けを呼んで。あと普通に通報も。早く‼」
あの刑事からもらった切れ端をコンちゃんに渡した次の瞬間、車が正面衝突してきた。もちろん例えなのだが、それくらいの威力の拳が私に叩きつけられる。
威力はすさまじく、教室の壁をいとも簡単にぶち抜くほどに吹っ飛ばされた。三クラス分ほどの壁を貫いたようだし、傍にいた二人とも距離ができる。この隙に助けを呼んでほしいものだ。
『お、オオ、あ、あ、あなタが、やったの、ネぇえ‼』
「ケホッケホッ! 壁ぶち抜く演出とかアニメとかでしか見たことないんだけど……!」
輝夜が操っている? いや、依然として彼女は気絶している。じゃあなんで守るような行動をする。……もしかして、あの口ぶり、胸元に乳房みたいなのもあるし、母親だったものなのだろうか。
終人は理性が欠如しているが、人間だった頃の習性を行うことも確認されているらしい。私の説が合っているならば、母性本能から輝夜を守護しているのだろう。そして、彼女を傷つけた私を真っ先に攻撃してきたのも納得だ。
「疲労困憊なのに戦闘続行って……相当キツイんだけど……!」
『うがぁあああああああ‼』
傷は一つも付いていないから満身創痍ではない。だが内側のダメージがでかすぎる。このまま戦っても勝てる気がしない。そんな私の心情は露知らずといったところで、終人は一直線にこちらに向かってきている。
「なんとか耐えるしかない!」
ボトッ。
決意を固めていざ立ち向かわん。そう思っていたのだが、何かが落ちる音に気を取られる。
足元を見てみると、腕が落ちていた。誰の? その答えは、私の右腕から漏れ出す異常な熱さと、頬にかかった飛沫が答えを出している。
「あ、ぇ……? 嘘――」
終人の背中から生える鞭のような腕には先ほどまでになかった血が付いており、私の右腕がなくなっていた。
さらに、痛みを脳で感じる間もなく、その腕が私の心臓を貫く。
「ぅ、ガハッ!」
環状線のように同じルートでしか循環しない血液が喉に入り込み、逆流して吐血する。焼ける様に喉が熱い。痛い痛い痛い痛い。
「っ……が……【死亡推理】ぅ……‼」
そんな喉で何とか声を振り絞り、名を叫んだ。能力は発動し、腕は元通りになっている。だが事態は好転しないどころか、悪化している。体の倦怠感がさらに増し、膝をついた。
「あー……これやばい。もう、動くことすらままならない……」
『私ノぉ、子ヲいぢめルやつは、ミナ殺じぃいいい‼』
何もできないまま、私の体が再び貫かれて死亡する。異能力を発動させずに死んだふりをしようかとも思ったが、使わなければ本当に死ぬ気がしたため使用する。
(ご、五回目だ……何となく自分でわかる、今日はもう使えない……! 異能力が使えなかったら私……私はもう――)
本当に死ぬ。それが脳裏に過った。
これから帰って、パパか漣ちゃんが作ってくれる夜ご飯を食べるはずだった。家族で一緒にくだらないテレビ番組を見るつもりだった。暖かいベッドでくるまって明日が来るのを待つはずだった。
そんな〝当たり前〟が今からなくなる。そう感じて、自然と頬に何かが伝った。
「だれか……たすけて……。――……ぱぱ」
『死、ネ‼』
飛んでくる終人の腕を最期に、私は目を閉じる。きっと、次は痛みすら感じなくて、そのまま意識が途絶えるのだろう。
…………。死んだら無に行くかと思っていが、どうやら暖かいようだ。誰かに抱きしめられているような、そんな心地よさがある。天国なのだろうか?
だが、その声は天国よりも安心できるものだった。
「――円羽、よく頑張ったね。もう大丈夫」
「ん……え……。ぱ、パパ……? パパ⁉」
目を開けると、パパの腕の中にいたのだ。死ぬ直前。間一髪で助けられていたらしい。
「うん。君のパパ、宇治梨玲央羽だよ。久々だね、そう呼んでくれるのは」
「はっ⁉ ち、違っ! ゔぅ~~‼ パパって呼んで悪いわけ⁉」
「あはは、そんなことないよ。嬉しいことこの上ないさ。痛い痛い、降ろすからパンチはやめてね」
パパは私をそっと降ろし、獣のように唸っている終人に目を向ける。
ただ、さっきから肌がピリピリと痺れて呼吸が浅い。終人の影響ではない、パパから発せられる殺気が、体の芯から震え上がらせていた。
『ぎ、アァアア……! ソレは、わたしノ娘、を傷つケタ。殺す……!』
「さて……。奇遇だね、僕の娘も傷つけられたんだ。この世で最も大切な娘を、ね。だから君が何と言おうが、殺すよ」
『いッ――⁉ じ、じゃマっ、するなァあああッ‼』
終人でさえたじろぐ圧を放つが、怒りは冷めずにパパに向かって腕を伸ばす。
パパは笑みを浮かべつつながらポキポキと指を鳴らし、それを容易に躱し、掴んで引き寄せてお腹に重い一撃を放った。拳によって腹に風穴が開き、口から血を吐く終人。
いつも優しいパパとは思えない動きと殺気だ。その圧も相まって、歴戦のドラゴンがそこにいるようにも感ぜられる。
『ガハッ……‼』
「あー……君は脆いな。ごめんね、怒ってるから手加減とか難しいかも」
『いぎャあアアアアーー‼』
負けじと鞭のような腕を考えなしにぶん回し、嵐のように風が引き起こされた。そのせいで教室の机が破壊され、中にあった紙をはさむクリップボードが宙を舞う。
それをパシッとキャッチし、背中から生えていたしなる腕を切り落とす。だが、切られた腕がひとりでに動いてパパの右腕を切断し、お腹も裂いた。
「まあ……わざわざ自傷せずに取り出せれるからいいね」
腕は地面に落ちることなく、磁石で引き寄せられるように接合する。そして、お腹にできた傷口に自分の手を突っ込み、取り出したのは〝拳銃〟だった。ところどころ金属が剥げていて年季が入っているように見える。
三発の銃声が轟き、銃口から煙が立ち込める。両腕片足の関節に弾丸を撃って、機動力を大幅に低下させていた。
「クウナとは違って許可取ってないし、僕が銃の携帯してちゃ違法だけどさ」
『う、イぃ、やぁあアア……‼』
「終人は、必ず身体のどこかに核を形成する。それは人の心臓と同じく、壊されれば絶命する代物。差し出せば楽に逝かせてやれるけれど、どうする?」
悶え苦しむ終人の絶叫を冷淡に聞き流し、冷酷に銃口を向ける。
終人はただ、もぞもぞと動くことしかできない蛹のように蠢いていた。
「さあ、選択の刻限はそう長くないよ。僕の娘に手を出した罪は重いからね」
『う、ヴぅ……! 私カラ、もうナニモ、盗らナいでェ……‼ かがが、かぐヤぁ……‼』
「先に盗ろうとしたのは君だろう? しかも盗ろうとしたのは僕の娘の命……。自分だけ許されると思うなよ」
本来目があったであろう場所からボロボロと水滴が漏れ出し、震えた声で懇願している。
あいつは私を襲ってきた終人だ。殺される寸前だった。けど、どれだけ姿形が変わろうと、輝夜の母親なのかもしれない。母親が元からいない私には母と娘の愛情がわからないが、いないことの悲しさはわかる。
「パパ待って! 殺したらなんか、ダメな気がする……」
「……円羽。終人は生かしておくには凶暴すぎる。パパは円羽が優しい子に育ってくれて嬉しいよ。けど、その優しさという栄養をどう注ごうが、純粋な悪に成長するやつだっている。そういうやつは危険だ。被害者が大勢出てからじゃ遅い。だから、そいつは修了させるべきだ」
パパの言う通り、終人は危険で倒しておくべき存在だ。変に優しさを見せて生け捕りにしたとしても、それは終人にとっての生き地獄と化す。異人・終人の研究機関でモルモットになるのがオチかも。
もう子供じゃないのだし、私の我儘を貫き通そうとするのはやめよう。そう思っていたのだが……。
「――と、ここまでが世間体を気にした一般的な言い分だよ。僕は何があろうと円羽の見方だし、君の気持ちを尊重するよ」
「え……?」
「だから決めるんだ。どんな選択をしようが、僕は円羽を全力でサポートをする。円羽、選択をするんだ。その権利が君にはある」
真っ黒な殺意の塊のようなオーラがはだけ、いつもの優しい声色へと戻ってそう語りかけてくる。
おそらく、私がどんな選択をしようともパパは協力を惜しまないのだろう。ただ、それは私のことを信じているから。私はその信頼を無下にしたくない。これが正解だったんだと、証明したい。
そう思い、私はとうに限界を迎えて爆睡かましている足を叩き起こし、地面にひれ伏す終人へ近づく。
『う、うゥう……‼』
「……あなたの娘を傷つけたのは私です。ごめんなさい。だけど、それはもうこれ以上罪を重ねてあの子が後戻りできない場所に行くのを阻止するためだったから……ってのは言い訳にすぎないか。とにかく、ごめんなさい……」
『うぇ、ア……』
終人の前に座り、頭を下げた。
一瞬戸惑いを見せた後、終人は辛うじて稼働可能な片腕を動かし、私に近づける。傍で見ているパパの握りこぶしには血管が浮き出ており、いつでも終了させられることを物語っていた。
そして、ポンッと頭に何かが乗った。それは終人の手であり、無機質で人間とは程遠く感じるほどゴツゴツしている。けれどどこか、暖かさがある気がした。
『ア、ア、謝れテ、えラいねェ……。ごめンねぇ……』
「……ふぅ。全く、僕の娘は誰に似てこんな無茶するようになったんだか」
「パパ、それは鏡を見ればすぐ解決すると思うけど」
「?」
時間をかけて手足を再生したが、終人はもう私たちを襲う様子はない。これにて突如として現れた終人による襲撃は終わりを告げ、輝夜の安否を確認しに行く。
なぜ自分自身の彼氏を殺害したのか、なぜ殺人に嫌がるそぶりを見せながら二人を殺したのか、そして過去の事件と何かのかかわりがあるのかなどなどを聴くために。しかし――そこには誰もいなかった。




