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第1話 名探偵の遺し子-①

 ――薄暗い路地裏。

 傍らにある壁に取り付けられた換気口から漏れ出す生暖かい風が肌を撫で、荒い呼吸をしてその空気を肺に満たしては吐き出すを繰り返していた。嫌な汗が背中を伝い、うまく頭が回らない。口内に広がる血の味が脳を侵している。

 なぜこんなにも気が動転しているのか。それは単純明快だ。今まさに、この瞬間、俺は初めて人を殺そうとしていたからだ。


「さあ、君が手に持っているその拳銃のトリガーを引くんだ。そして――この名探偵であるボクを殺せ」


 震えながらもしっかりと照準を合わせられている拳銃。その銃口の先にいる彼女は、怯えることなかった。それどころか、どこか子供のように無邪気に……いいや

、子供というにはあまりに不敵すぎる笑みだ。

 ともかく、彼女は死を恐れず、逆に死を望んでいるように見える。異常だ。こんなの現実じゃない。俺が人殺しなんかするはずがない。ましてや事件を解決する役目の探偵を、この手で殺すわけがない。

 脳みそは目の前の状況を拒絶するが、体は反逆の意思を持ってトリガーを引く力を徐々に徐々に強めていく。


「さて、と……それじゃあ始めようか。ボクらの――〝死亡推理〟を」


 刹那、火花が散り、目が眩み、手首がジンジンと痛み、最後に耳鳴りがする。硝煙の匂いが鼻を突く。

 目蓋を開けるとそこには、銃口から立ち込める灰色の煙と、地面に倒れて赤い液体を広げる名探偵の姿があった。


 この瞬間だったろう。僕が踵を返し、平凡な人生へと後戻りができたであろう道が崩された時というものは。

 ここで引き返せば、僕は彼女を失わずに済んだというのに。



  #  #  #



 高校一年生の春。多くの生徒が浮足立ち、新たな生活に夢を見て、思いを馳せている時期だろう。そんな中、俺は校庭の茂みの中で探し物をしていた。制服を着ていなければ、危うく不審者として通報されていただろう。

 決して筆記用具やら重要なプリントやらをなくしたというわけではない。ならば何を探しているのか? それは、暖かくなってきた今に出現し始めるものだ。


「おっ、いたいた。今日の昼飯ゲットだな」


 手でそれを掴むと、小さいながらも必死に抵抗し、離せと言わんばかりに足で蹴ってくる。そう、暖かくなってきたら地中からどこからともなく表れる動く食材、昆虫である。

 肉料理と昆虫料理、二つをテーブルの上に並べられて好きなほうを食べて言いと言われたらまあ、前者を選ぶ。昆虫食をしている理由は単純に貧乏だということもあるし、普通に美味しいやつらもいるから。だが、大きな目的のために、食費を削ってまで金をためなければならないのだ。


「にしても、今朝は水しか飲んでないから腹が減ってるな。……毒見、という体でコイツはここでつまみ食いするか。いっただきま――」

「何校庭で虫さん食おうとしてんだ玲央羽‼」

「いッて~~っ‼」


 後頭部に走った衝撃。岩石でもぶつかったかのように重い一撃で、暫し頭がくぐわんぐわんと揺れた。脳みそがミキサーされ、それらが沈殿するまで俺は振り向くことができなかった。

 ようやく振り向くと、そこには見たことある男が怒りを孕んだ顔をし、悪鬼羅刹が如くこちらを見下ろしていた。コイツは篠川。中学校からの友人である。


「後頭部を殴りやがって……馬鹿になったらどうする……! 篠川‼」

「中学では嫌というほどお前の名前をテストの順位表上位で見たからな。この程度でお前の成績は下がらねぇから安心しろ、大馬鹿野郎。それより……いくらひもじいからって、学校の校庭で虫さんを食おうとしてんじゃあねぇ‼ 悪いもん蓄積しちゃうかもだろ‼」

「お腹すいてたんだよ。今朝は何も食べてないから。ほら、ちゃんとした理由だろ? こっちは腹減ってんだよォ‼」

「腹減りすぎてキレてんな……。だったらオレが何か奢ってやるから、その虫さんは逃がしてとっとと行くぞ」


「ああっ⁉ お、俺の昼飯が~~っ‼」俺が叫ぶも、無慈悲にも虫は俺の手から離れ、ぴょんぴょんと撥ねながら草むらへと姿を消す。

 歯医者に行くのを拒む子供と母親の場面のように、篠川に引きずられながら食堂へと連行された。


 我が校の食堂は朝六時から開いており、モーニングを食べることも可能なほど充実している。現在時刻は七時十五分。授業まではまだまだ時間があるため、モーニングを食べる時間は充分にあるだろう。


「おばちゃん、モーニングトースト二つください」篠川がそう注文する横で「篠川、俺モーニングデミグラスステーキが食いたい」と呟く。


「奢ってもらう側が口答えしてんじゃねえ。っつーか、朝からステーキは重いだろうが」

「篠川……もしかして年か?」

「テメェと同じ十五歳だっての‼ 玲央羽、お前もう一回ぶん殴るぞ⁉」


 食堂のおばちゃんに注文をしている篠川をからかってやると、音の鳴るおもちゃのように言い反応がする。ただ、これ以上煽ったら再びチャート拳骨が頭に飛んできそうだった。

 振りかぶる篠川に「暴力反対! 暴力反対!」と言うボットになった後、俺たちはモーニングトーストを受け取ってガラガラな席から一つを選んで着席する。

 モーニングトーストの香ばしい香で嗅覚から腹の虫を鳴かす。それだけでなく、こんがりときつね色に焼けたトーストの表面、純白のホイップクリーム、黄金に輝メープルシロップなどなど。視覚からも腹を疼かせる徹底ぶりときた。辛抱貯まらず、俺はそれに齧り付く。


「ああ! 俺……生きてるよ‼ 命に感謝……」

「そーだな。ありがたく食いやがれよ」


 まともな朝食を食べたのはいつぶりだろうと記憶を遡ってみたのだが、そこには篠川の顔が現れる。

 そういえば、前回のまともな朝食も篠川に奢ってもらった時だったような……。

 顔が上がらないし、足を向けて眠ることができない存在だ。お礼として、彼の家の手伝いなどをすることが多々ある。だが、そこでも結局餌付けされているのでちゃんと恩返しできているかは心配である。


「……にしてもよぉ玲央羽。両親について、まだ探偵雇ったりしてんのか?」

「…………。ああ」


 篠川は数秒前の呆れた表情から打って変わり、真剣な顔つきで俺に問うた。豪勢な朝食で幸せの絶頂にいて満面の笑みだった俺も、彼につられて真剣な面となる。

 俺が幼い頃、両親は何者かに殺された。警察ももちろん捜査したが、迷宮入り。食費を削って探偵を雇い、事件を調べてもらってもなんの成果は得られぬまま。だが、俺は諦めきれないのだ。


「篠川。幽霊とか妖怪とかが怖いって思うのは当然だろ? それは〝見えない〟……つまり〝未知〟、〝わからない〟、〝謎〟だから怖いんだ。俺は過去に両親に何があったかまるでわからない。謎のままで、その未知がずっと怖い」

「そうか……」

「たださぁ……それと同時に『正体不明のやつに人生狂わされたってのに、なんで俺は震えることしかできないんだよ』って、ムカついてんだよ」


 机の上に置いていた左手からギチギチと怒りを表す音が生じ、掌に自分の爪が食い込む。

 ただ、こんなところで怒ったとて何も状況は変わりしないので、一息吐いてコーヒーを口に含み、焙煎された豆の香りで己を落ち着かせる。


「まぁなんにせよ、俺は諦めないつもりなんてサラサラないからな、篠川。説得しようとしても無駄なんだからねっ⁉」

「なーんでツンデレみたくなってんだよ……。はあ、大体、オレは逆に協力しようとしてたんだよ。藁にでも縋る勢いだったから、見てらんなくてよ」

「ん? なんだそれ。新種の虫?」

「んなわけねぇだろボケが」


 篠川は胸ポケットから一枚の紙……名刺らしきものを取り出して机の上に置く。実にシンプルなもので、凝ったものとは言えないものだ。

 しかしそこには、思わず頭の上に疑問符(クエスチョンマーク)が浮かんでしまうようなことが書かれていた。

「えーっと、〝異人専門探偵事務所・〇〇〇〇〟? なんだこれ。名前が空白なんだが」

「その丸が名前らしいぞ。前半の丸二つで『ウジナシ』、後半で『クウナ』。ウジナシクウナって名探偵らしい」

「へぇ、すごい変な名前だな。んで? なんでこの探偵を頼ったほうがいいって篠川は思ったんだ?」


 篠川はスマホを取り出し、ニュースアプリの画面を見せつけてくる。そこには「いよいよ明日は皆既日食!」という記事の下に、先ほど見たばかりの()()という文字があり、同時に〝殺人事件〟とも書いてあった。

 つまり、彼はこの異人というものが深く関わっているのではないかと考察したのだろう。


「異人と書いて〝ニンゲンモドキ〟と読む存在。こいつらは数年前、地球温暖化の影響で永久凍土が溶け、新型ウイルス――〝エクセリクス〟がこの世界に解き放たれたことで現れた、っていうニュースは聞いたことあるだろ?」

「確か、それに感染したら肉体が化け物――〝終人(ハテビト)〟に作り変えられるとかなんとか……。適合すれば異人となって、まるで異能力のような力を得られる。その力を使って、近年犯罪に悪用する者も現れ始めた……とかだっけ? でもそれは数年前の話だろ。俺の両親が死んだのはそれよりも前だ」


 篠川は目の前でうんうんと頷いているが、顔は詰めが甘いぞと煽っているようにも感じ取れた。ぶん殴ってやりたくなるツラである。

 そして、彼は置かれた名刺越しにコツコツと指で机を叩き、自分の考察を俺に伝え始める。


「ああ。だがしかしなぁ、そのウイルスの明確な発生源が発表されていない。もしも、だ。これよりもずっとずっと前からこのウイルスは存在し、利用しようとしていた者、あるいは国がひた隠していたら?」

「そんなのあるわけがない。……って、言えるほど情報がないのも確かってわけか」

「正解」


 確かに、俺の両親の死は当時の警察や探偵は手も足も出ないほど意味不明で悍ましい事件だった。

 この事件が人ではない異人であればどうだ。当時は世界に発表なんかされておらず、ウイルスの詳細もない異能力のような不可解な力で殺されたのならば、当時事件が解けなかったのも納得。

 さらに、この事件は数年前で情報も少ないゆえ、今解き明かそうとしても難しいと。


 顎に手を添え、虚ろを見つめながらブツブツと考えをまとめるために呟く。


「うん、一理……いや、二理も三理もあるかもしれない。ありがとう篠川。そんじゃあこの探偵事務所に行ってくる‼」

「力になれたなら何よりだ。気をつけろよー。……ってちょっと待て⁉ お前、これから授業始まるっつーの‼ おいこら玲央羽ァーーッ‼」

「お礼はまた今度するな~‼」


 名刺を手に取り、脱兎のごとくその場から逃げ出し、俺は授業をさぼって件の探偵事務所へと向かった。

 電車で向かうとお金がもったいないため、通学用の年季が入った自転車をギィギィ鳴かせながら走らせる。虫取りやキノコ狩りなどで体力はあるほうだが、長距離のため息が切れ、こめかみからは汗が垂れて伝い、顎から地面に落ちる。

 数十分自転車を走らせたし、この辺りにあるはずだが……。


「えーっと、まさかあのボロいビルじゃあないよな……。いや、でもばっちり〝異人専門探偵事務所〟って書いてあるな。一気に胡散臭くなってきやがった」


 藁にでも縋る勢いであり、猫の手も借りたく、背に腹は代えられない今の俺の状況。

 俺は腹をくくり、その探偵事務所があると書かれているビルの三階へと足を向かわせる。錆びた階段は今にも突き破りそうで、この寂びた場所にずっといたら心に穴が開きそうだ。

 階段を登り切り、とうとう事務所の扉の前までたどり着く。すーはーと息を整えて覚悟を決めていたのだが、何やら中から誰かの声が聞こえてくる。


「――! 助――て‼」

「中から声が……助けてって言ってる⁉ し、失礼します‼」


 突き破るかと思うほど勢いよく扉を開け、探偵事務所の中に入る。

 開けると同時にやってくる埃の香り。窓から入り込む光によってキラキラと輝いて見えるが、これら全てハウスダストだろう。咳をしながら室内をキョロキョロと見渡した。

 とても綺麗とは言えないし、汚部屋と言われても仕方がないというぐらいに物が散乱している。山積みになった本の数々、整列するもゴミ捨て場へと行く気配のないゴミ袋たち、ゴミ箱から飛び出て暴れる生足などなど。

 ……ん? なんだ最後のやつ。


「暗いよー! 怖いよー! 誰かボクを助けろよ~~っ‼」

「うわあああ⁉ こ、これが異人ってやつか⁉ それとも終人……?」

「ん? そこに誰かいるの⁉ ちょっと、ボクの足引っ張ってほしいんだけど‼」


 このように意思疎通もきちんとできているし、よく見たら頭からゴミ箱に突っ込んでいるだけの人であり、異人ではなかったようだ。どうやら()()らしい。

 ゴミ箱に頭から突っ込むのも理解ができないが、とりあえず一安心する。しかし、一難去ってまた一難。耳に入るこのゴミ箱星人の声は凛とした鈴のような女子の声。その生足を掴んで引っ張るというのは思春期男児には酷なものだ。


「うーん……このまま話を進めたらダメですか」

「姿がまだ見えないけど君は馬鹿なのか⁉ ダメに決まってるでしょ‼ 自分の声がゴミ箱の中で反響して頭がおかしくなりそうなんだよ‼ へるぷぅ~~‼」

「くっ……わかり、ました……ッ!」

「めちゃくちゃ嫌そうじゃんかさぁ! ごめんってば‼」


 ゴミ箱星人に近づき、数秒ぶりに息を整えて足をガシッと掴んだ。

この肌でスケートができそうなほど滑らかですべすべしており、デバフがかかったように握力が低下する感覚がした。


「よ、よし……。それじゃあ引っ張りますよ!」

「ボクも覚悟完了したよ。バッチコーイッ‼」

「一、二の……三ッ‼」


 スポンッと根菜類のようにゴミ箱から生まれたのだが、そのゴミ箱姫は宙に浮いて自由落下するしかない。その落下先はただ一つ、俺の腹であった。

 回避することは叶わず、全体重を一身で受け止める。口から内臓が飛び出るかと思ったが、それは何とか避けることができたようだ。ただ、現在の状況はこの空間で女子に馬乗りにされているという結果だけが残っている。


「いやぁ、助かったよ。ありがとうね、心から感謝するよ!」

「痛たた……感謝するならそこから退いてほし――いッ⁉」


 目を開けるとそこには、物語から飛び出してきたかと思えるほどの絶世の美少女がいた。実際には物語ではなく、ゴミ箱から飛び出してきたわけだがな……。

 鎖骨あたりまで伸びる髪は処女雪のように輝いており、俺を飲み込むように開かれる黄金色の瞳。そして、ゴミ箱で隠れていた巨大な二つの双山を下から見上げるのは息を呑むほど壮観であった。良い匂いもする。


 それにしても、この純白の髪に黄金色の瞳、そして血色の良い肌色。この配色、つい最近どこかで見たような? それだけでなく、どこかで会ったような……?


「おいおい、そんなにボクに熱い視線送っちゃってさ~? もしかして君もこのボクに見惚れていたのかな?」

「は、はい⁉ そんなわけじゃ……――はっ。そうだ、さっき食っためちゃくちゃ美味いモーニングと同じ配色だ! ホイップクリームとメープルシロップとトースト‼」

「……なるほど。ボクのことを『可愛い』だの『綺麗』だという感想は耳に胼胝ができるほど聞いたが『美味しそう』という感想は君が初めてだよ。……ぷっ、あははっ! ひひひっ、ごめん、めっちゃツボった……‼ 君、気に入ったよ‼」

「は、はあ……。どうも?」


 お腹を押さえて軽快に、可愛らしくコロコロと笑っており、目尻に涙が溜まるほどツボに入っている。ひいひいと笑う彼女につられて笑うことはなく、美少女が俺に馬乗りになりながら大爆笑しているという膨大な情報を、俺の脳みそは何とか処理しようと働いていた。

 しばらく経つと落ち着きを取り戻し、「ひっ、ひっ、ふー」となぜか腹式呼吸をして平静を取り戻す。そしてようやく俺に馬乗りになっていることに気が付き、急いで小汚い机に侍っている椅子に誘導され、そこに座った。


「さて、先はとんだ醜態を晒してごめんね? 異人専門探偵事務所、二代目名探偵。〇〇〇〇と書いてウジナシクウナだ。よろしく!」


 これが、彼女――○○○○(うじなしくうな)との出会いだった。

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