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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

共鳴の終曲

作者: Tom Eny

共鳴の終曲


I. 導入


蒸し暑い夏の夜。シンは自室の天井を見つめていた。匿名で人気を博すボカロP、それが彼の表の顔だ。しかし今、彼はスランプの真っただ中にいた。才能の枯渇への焦り、胸を締め付ける劣等感。そして何よりも、片思いの「彼女」を巡る親友への嫉妬が、彼の心を蝕んでいた。シンは知っていた。彼女が自分に一ミリも興味がなく、健太のことが好きだということを。彼女自身も、シンの好意になんとなく気づいていたが、心を決めていた。健太への想いは揺るがなかった。それでもシンは、その一方的な想いを止められずにいた。


シンにとって健太は、幼い頃のいじめから救ってくれた**「光」だった。その輝きを心の底では尊敬し、同時に自分にはない全てを持つ健太に、シンは言いようのない羨望と、底知れない焦り**を抱いていた。自分もまた特別であると証明したい。その承認欲求が、彼を匿名ボカロPへと駆り立て、そして満たされないまま、健太への嫉妬へと転じていた。


そこに、明るく社交的な親友のケンタが現れた。彼はシンが「神ボカロP」であることを知らない。パソコン操作も音楽制作も、全てを直感でこなす天才肌。ケンタはシンが彼女に片思いしていることに薄々気づきながらも、彼女と付き合っていた。そして、そのことでシンへの配慮に悩み続けていた。そんなケンタが、完成したばかりの「彼女への歌」をシンに披露した時、シンの心に渦巻く劣等感と嫉妬は最高潮に達した。


II. 嫉妬と屈辱


「聞いてくれよ、シン!これ、彼女のために作ったんだ!」


ケンタは無邪気な笑顔で歌を再生した。その音源は、シンが有名ボカロPであることなど露ほども知らず、まるで「神ボカロP」に自身の作品を勧めるかのように、シンに向かって放たれた。「最近の神ボカロP、なんかオワコンっぽいよな。やっぱりこういうのが来るんだよ!」ケンタの言葉は、スランプに陥り、身動きが取れなくなっていたシンの自尊心を深く抉った。シンは自己欺瞞に陥り、かつての自分の作品を褒めるケンタの言葉に、ただ同意するしかなかった。彼の心には、健太が全てを手に入れ、自分だけが置き去りにされているという、根深いルサンチマンが渦巻いていた。


そして、決定的な一撃が放たれた。「彼女への歌」を聞き終えたシンは、絞り出すように答えた。「いまいち、かな」。その言葉に対するケンタの無邪気な反応が、シンの憎悪の感情を爆発させた。彼女は、シンのその言葉の裏に、健太への誤解と嫉妬が渦巻いていることをなんとなく察していた。胸が締め付けられるような、痛ましい予感が彼女の心に影を落とした。


III. 嫉妬と魂の共鳴


ケンタへの抗いがたい嫉妬と劣等感は、シンに彼の才能の源泉に触れたいという強い衝動を駆り立てた。それは、まるで二人の魂が無意識のうちに共鳴し、深く結びついていくかのようだった。シンの意識は、ケンタの意識の奥深くへと潜り込んでいく。


シンは魂の共鳴を通じて、健太が持つ純粋な善意と、シンへの揺るぎない友情の深さを肌で感じ取った。幼い頃、いじめられていたシンを、健太が陰でどれほど心配し、助けたいと願っていたか。直接的な暴力に身を晒してまで、シンを守ろうとする健太の無償の愛に、シンの心は激しく揺さぶられた。健太が、シンへ向ける称賛の言葉も、全てが本心からのものだったことを理解した。そして、健太が自分の彼女への片思いに気づき、どれほど心を痛めていたかも知った。健太が彼女を愛しながらも、シンへの友情のために、彼女との関係で密かに葛藤し、配慮に悩んでいたことに。真実を知ったシンは、これまでのケンタへの憎悪が、自身の誤解と、健太の輝きへの歪んだ依存心に基づいていたことを痛感し、深い後悔に苛まれた。しかし、魂の共鳴は止まらず、ケンタの心身は日に日に衰弱していく。


IV. ケンタの死と魂の昇華


ケンタは病の進行により、生気を失い、やつれていった。それでも彼は、最後の力を振り絞るかのように「彼女への歌」の楽譜を手に、フラフラと彼女の家へと向かう。彼女の家の明かりが見えるであろう場所へたどり着く前に、その場でケンタは倒れてしまった。彼の唇が、か細く震える。「――キミの笑顔が、僕の全てだった……」歌いかけた、その瞬間だった。意識が急速に遠のいていく中、彼の口は、それでもかすかに動いていた。「――この歌が、キミをずっと照らすように…」最後の音が、途切れ途切れに紡がれた。そして、ケンタの瞳から光が消え、彼の息遣いは静かに、そして完全に止まった。


ケンタの死によって、シンは彼の最後の記憶と感情に直接触れた。それは魂の共鳴で断片的に感じ取っていた健太の真意が、喪失と同時に圧倒的な現実としてシンを襲う瞬間だった。これまで健太に抱いていた全ての負の感情が、一瞬にして深い罪悪感へと変わる。シンは、彼の命が失われた喪失感と、自分がその一因であったという責任に打ちのめされた。ケンタの冷たくなった体にすがりつき、謝罪の言葉を叫ぶが、ケンタの魂は光となって昇華していくのだった。


V. 残された世界と偽りの成功


ケンタの魂が消え去った後、シンは一人、取り残された。彼を縛っていた執着も意味を失い、シン自身の魂も消滅の淵に立たされる。消えゆく魂の中で、シンはケンタへの感謝と謝罪、そして彼女の幸せを願った。彼の魂は光の粒となって闇に溶けていく。


数日後、シンはケンタの遺品であるPCを前にしていた。スランプに苦しんでいたシンは、かつてケンタに相談していた自分の曲を思い出す。ケンタがその曲を短時間で素晴らしい作品に変貌させていたこと、そしてその曲を自分の無名アカウントから発表していたことを。そして、ケンタが作りたかった「彼女への歌」の続きをシンが完成させようとした時、ケンタの才能がシンの中に流れ込んだかのように、信じられないほど素晴らしい旋律と歌詞が溢れ出した。その曲は、シンがこれまで生み出したどの作品よりも最高の再生数を記録し、シンの「一番の代表作」となる。


VI. 真実の告白


シンは最高の成功を手に入れた。数々のメディアが彼を「時代の寵児」「神ボカロPの再来」と持ち上げた。しかし、彼の心には深い孤独と罪悪感だけが残っていた。世間からの賛同は彼にとって苦痛であり、輝かしい成功の裏で、彼の居場所は失われていった。


ある晩、シンが一人、自室で空虚な賞賛の声が響くSNSを眺めていると、携帯電話が鳴った。画面に表示されたのは彼女の名前だった。驚きながらも電話に出ると、彼女の声は震えていた。「シンくん、お願いがあるの。少しだけ、会えないかな……?」


翌日、人通りの少ない公園のベンチで、シンは彼女と向かい合っていた。彼女の瞳は憔悴し、それでも何かを決意したかのようにまっすぐにシンを見ていた。彼女の心には、愛する健太を失った悲しみと共に、シンの嫉妬と苦悩を察しながらも何もできなかったことへの痛ましさが募っていた。健太が最期までシンを思いやったように、彼女もまた、シンをこれ以上苦しめたくないという複雑な優しさを抱えていた。しかし、健太の遺志を伝えることが、今、自分にできる唯一のことだと理解していた。


「ねぇ、シンくん。健太ね……、この手紙、私に残してくれていたの」


彼女の手には、使い古された小さなノートがあった。それはケンタが使っていた日記帳のようなものだった。ページをめくると、ケンタの書き慣れた文字で、彼女への愛とシンへの友情が綴られていた。そして、シンが幼い頃にいじめられていた時の話が記されていた。健太がシンに隠れていじめっ子に立ち向かい、殴られることを条件に、いじめを止めさせていたこと。そして、その事実をシンに知られないように、どれだけ心を砕いていたかが赤裸々に書かれていた。


「健太はね、シンくんのこと、ずっと大切に思っていた。シンくんがいじめられてた時も、ずっと見守ってたんだって。シンくんが私を好きだってことも、なんとなく気づいていたみたいで……だから、私と付き合いながらも、シンくんのこと、すごく気にかけてた。どうしたらシンくんを傷つけないかって、ずっと悩んでたの。手紙には、『シンは僕にとって最高の親友だ。だから、彼にだけは、僕が彼の幸せを願っていることを、誰にも知られずにそっと伝えてほしい』って……」


彼女の言葉が、鉛の塊のようにシンの心に突き刺さった。彼女自身も、この真実をシンに伝えることがどれほどの苦痛を与えるか、その重さを痛いほど分かっていた。だからこそ、言葉を選ぶごとに躊躇し、胸の奥が締め付けられるように感じていた。手紙の最後のページには、かすれた文字でこう書かれていた。「――シン。お前の曲は、お前が思っている以上に素晴らしい。だから、絶対に諦めるな。お前は、俺の最高の親友だ。」


その瞬間、シンの世界は音を立てて崩れ落ちた。


VII. 魂の終曲


「……嘘だ……、嘘だろ……!そんなはずない……!」


シンは叫んだ。しかし、彼女の瞳の奥にある深い悲しみと、手の中にある健太の文字が、それが偽りではないことを容赦なく突きつけてくる。長年、嫉妬と憎悪で塗り固めてきた健太への感情が、一瞬にして、底なしの後悔と自己嫌悪へと反転した。健太の光は、シンを救い、支え続けていたのだ。しかし、シンはその光を、自分に向けられた悪意だと誤解し、自ら消し去ってしまった。


「ああ……あああああああああああああああああ!!」


シンは声にならない絶叫を上げ、その場に膝から崩れ落ちた。顔を覆い、しゃくりあげる。涙がとめどなく溢れ、土に吸い込まれていく。自分が天才の才能を枯渇させ、死に追いやったと思っていた相手が、実は自分を深く思いやり、陰で支えてくれていた恩人だったのだ。しかも、自分が本当に欲しかった愛を手にし、自分のために悩み苦しんでいたというのに。


「ごめん……!ごめんよ、健太……!俺が……俺が、お前を……!」


彼は地面を叩き、健太の名を叫んだ。喉が張り裂けるほどに。しかし、健太の魂はすでに光となって昇華し、そこにはない。世間からの賛辞が、彼の耳には嘲笑にしか聞こえない。最高の成功を手に入れたというのに、シンは全てを失った。彼の精神は完全に崩壊し、魂は空っぽの器と化していた。


彼の魂は、光の粒となって闇に溶けていくかのように感じられた。物理的には存在しても、精神は完全に死に絶えた。ケンタは最期までシンが有名ボカロPであることを知らず、ただ親友を助けただけだった。彼らの間で起こった真実は誰にも知られることなく、闇に葬られる。


彼女は健太の遺した歌を大切にし、その歌を聴くたびに健太の優しい歌声を思い出す。健太は彼女の心の中で、永遠に生き続けるのだ。シンは、その真実を知りながら、一人、永遠の孤独の中で「偽りの成功」を抱き続けるのだった。

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