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割れる皿

 田崎はファーストフードのレジでひたすら笑みを浮かべてお客の対応を続けた。店内に充満する幸せな場が、同心円状に広がるが、田崎の後ろの床には、空気のよどみのようなものが地面でのたうっていた。目の端には、そののたうちまわるモノの存在が感じられる。だが接客をしている以上、視線をそんな場所に移す余裕なんかない。作った笑みの奥底で、ひたすらその存在に向って毒気づく。


 仕事が終わると、お店の制服から学校の制服に着替える。店長が、店の商品をいくつかいれた袋を彼女に渡した。「こんなものしかないけど、食事の足しにして」と優しい声で笑みを浮かべつつ、「こんど何時あえる」と小さい声で付け加える。


「連絡します」と田崎は、感情のない声で言う。既に2回、この男と関係を持っていた。未成年とそういうことをする事が犯罪であると認識していないのだろうか?と思う。しかし、良い金蔓であることは、自分でも割り切っていた。生きてゆくには、少しでも良い生活をしたいならば、金は必要なものだから。泥が金になるなら泥でも飲んでやると彼女は思っていた。


 田崎につきまとう影は、その男に興味がありそうだった。目の端で、男の周りをくるくる廻っている。どうせならそっちに取り憑けばいいのに。きっと恐怖にかられて女の様な悲鳴を上げるだろう。田崎は、そう思いながら店を出た。陰は、男のそばを離れ、また田崎の視線の外で追尾してきた。


 家では、貰ったファーストフードの料理の他に、簡単な野菜炒めを作ったものをテーブルに置いた。


 母は、ありがとうね・・・と言いながら、ゆっくりと食事をする。会話はない、話題と言えるものが田崎の記憶に無いのだ。母の食事の手は、テレビを見ると良く止まり、食事が進まない事がある。


「テレビばかり見てないで、はやく食べてね。次のバイトがあるから」と母を急かす。


「テレビはみてないよ」と母は箸を動かす。しかし視線がテレビにゆくとまた箸が止まる。


 ようやく食事を終えると、母に薬を飲ませ。歯ブラシに歯磨き粉を付けて差し出す。歯磨きの間は、目を離しても安心な時間なので、その間に食器を洗う。


 目の端のそれは、母にも感心を持っているように見えた。母の足にじゃれついているように感じる。


「足下になんかいるよ」突然母が言った。


「何もいないよ」田崎は、つっけどんに言い放った。「それよりちゃんと歯を磨いて」


「でも、なにか足がこそばゆいよ」母の声を背中で聞いた。いっそ母に霊が乗り移った方がまともになるのじゃないだろうか、そんな思いがふと湧いた。


 夜のバイト先は、近所の居酒屋の食器洗いなどの雑用だ。夏になれば、ビールを求めて近所の大人達が多くやってくる。先生も常連の一人なので、学校で禁止されている夜の時間帯のバイトをしている処を見つかるわけにいかず、ずっと奥の方で顔を隠すように、仕事をしている。店主は、それを充分に心得ていたし、最近人手の足りないなか、彼女の存在は猫の手程度とはいえ、大事な戦力の一端を担っていた。


「学校を卒業したら、ここで働かないか?」お客が途切れ、暇を持て余すと、店主は真顔で良くそういった。店主は、妻と一緒にこの店を大きくしたものの、子供達は最近流行の情報処理系の会社に就職して、店を継ぐ気がないのだと、愚痴を漏らしたあげくその話になる。


 客は客で、常連も多く、親子で来ている場合もあり、「お前でこの店が終わったら、俺たちは何処で飲めばいいんだ」と言われると。店主はしかめっ面を浮かべて無言になり、その日の閉店間際には、かならず田崎が呼ばれ、愚痴を言い始めるのだ。


 田崎にしてみれば、お金がない以上は、進学よりは働いた方が、良いと思っていたし、この店で働いているうちに、この店を譲って貰えそうな気もしていたので、まんざら悪い気もしなかった。反面、もしちゃんと働いて、給与を貰えるようになった時、生活保護を打ち切られる恐怖もあった。母の医療費も医療券で今は実質タダだが、打ち切られれば自分で負担しなければならない。


 色々考えると、面倒臭すぎる!!。考えるのを止めて、食器を洗う事に専念していると、目の端にいるものは、全く感じられない。


 あれは、きっと私の心の隙に入り込んでいるのだろうか?田崎は、ふと食器を洗う手を止めた。すると、それが明らかに自分の真後ろにいるという感覚で背中が総毛立った。生臭い息がふぅっとうなじに掛けられ、流石に気持ち悪い感触に振り向くが、やはり何もいない。そのとき、白い大皿を掴んでいる手の甲を冷たくぬるりとした何かがそっと撫でた。ひぇっと声を上げ。思わず手を離してしまい、皿が低い位置からシンクの底に落ちた。ひとつのかけらも出さず、皿は綺麗に真っ二つに割れた。むしろ不気味とも言える異常な割れ方だ。

 

 田崎は、半月形に割れた2枚を各々左右の手に持ち、しみじみとそれを眺めた。その濡れた右側の皿の表面を黒い影のようなものがすーっと動いた。そして左側の皿へと移ってゆく、その移り際、ぞくっと背筋に冷たい空気が触れ、体が硬直した。手がかたかたと震え割れた皿を落としそうになった。乾いた口の中に無理矢理唾を送り出し飲み込んむと、自分の体を取り戻したような感覚になったが、背中に残る不気味な感覚は失せなかった。

 くそっと彼女は、思った。「田崎大丈夫か?」彼女が固まっている姿を見とがめて、店主が遠くから声を掛けた。背中のなにものかは、すっと気配を消した。


「すみません、お皿が割れてしまって」彼女は、声のした方に返事をした。僅かだがまだ声が震えている。


「怪我はしていない?」


「大丈夫です」


「じゃあ、処分しておいてね」


 食器が割れたときの処理は聞いていたので、田崎は再び割れた皿を眺めてから、食器用のゴミ箱にそれをそっと入れた。客も食器を割ることが絶えないので、後でまとめて処理をするために、そこに入れているのだ。


 そのまま、食器を洗い続け、良く拭き、棚に入れる。汚れた食器は絶えず彼女の洗い場に運ばれ、実際休む暇もない。そうしていれば影も目に入らない。


 しかし、体中の全ての感覚は訴えている「幽霊はここにいる」と、ただ脳だけがその情報を見るまい、聞くまいと頑張っているのだ。


 田崎は、それを無視することに徹底した。しかしそれは、あきらかに、少しずつ視界の中にそっと入ってきた。


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