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来訪者  作者: 芹沢一唯
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2.

 繁華街から少し離れた場所に、昔ながらの店や古いビルに囲まれて、コンクリートの壁むき出しの八階建てのマンションがあった。そのマンションの最上階が、神楽の自宅である。

十二畳ほどのリビングとキッチン、そのほかに部屋が三つ。外観はコンクリートむき出しだが、室内にはちゃんと壁紙が張られている。……コンクリート柄だが。

神楽は閉め切っていた室内の空気に少し顔をしかめ、窓を開けた。日中は春の陽気に包まれる季節ではあるが、夜になると風はまた冷気を帯びてくる。やや冷たく心地よい風が、室内の空気を洗い流していく。

 ファックスが送られてきていた。

 鞄をソファに放り出し、コートのボタンを外しながら、送られてきた紙切れに目を通す。ごつくて安っぽい男の顔が五つ。どれもバツ印で大雑把に消されているが、今日の午前二時頃に神楽に床に沈められた顔だ。その下に数字が書かれている。『五』の後に『〇』が五つほど。

「一人頭十万……安い連中だよな」

 紙切れを手にしたまま、嘲りとも哀れみともいえない感情で、神楽はぼやき、そのままゴミ箱へと投げ捨てた。

 彼女・早渡神楽の仕事は、賞金稼ぎだ。決して表には出ない、出てはいけない職業である。この国でそんな仕事を専門に行なっている人間がいることを知る者は、ほとんどいないだろう。

たまに難事件やそれを取り上げたテレビ番組で、事件の犯人や情報に賞金が懸けられることがあるようだが、神楽が相手にしているのは、そういう連中ではない。

賞金を懸けているのは警察である。そして、それは神楽に言わせれば『不良』なのだそうだ。都会のアンダーグラウンドで暗躍する連中を取り締まる、と言えば聞こえはいいが、要はそういった連中が表舞台に出ることがないように抑えるのが仕事で、警察にとっては実を言えばそれで精一杯なのだ。

警察たちは、アンダーグラウンドで目立った犯罪を行なっている輩に賞金を懸け、情報の提供を呼びかけたり、自分たちが逮捕する代わりに賞金稼ぎたちに捕らえさせ、その賞金を払うのだ。自分たちの仕事を、多額の金を払って他人に代わって行なってもらう。それが、神楽が不良と呼ぶ所以である。

賞金首の情報を得たり、賞金を受け渡したりするための連絡方法は、その賞金稼ぎたちでそれぞれ違う。代理人をおいて連絡を取り合っている者もいるが、その場合、多少のリスクがある。裏切られる場合も、たまにあるのだ。十分な信頼関係が必要となる。

神楽の場合は、警察との直接的な連絡方法をとっている。例の五人組の賞金首を張り倒したあとで連絡した相手が、その人である。神楽はその人物のことを信頼し、その人物もまた、神楽を信頼し、信用しているようだ。そうでなければ、あのような会話は成立しないだろう。

 神楽がいつ、何故この世界に入ったのか、自分ですらよく分かっていない。どこで生まれたれたのか、そしてどうやって育ったのかも分からない。気がつけば、自分よりも年上の、個性的といえば個性的な連中と過ごす毎日だった。

うまく法をすり抜け、違法ぎりぎり(もしくは違法そのもの)の商売で生計を立てているような、まさに綱渡りな生活を送る連中とともに賞金首たちを狩る。

言うことは簡単だが、こちらも命がけである。今でこそ五人の男を相手にあっさりと勝負をつけることができる神楽だが、ひとつ間違えば殺される可能性だってあるのだ。殺されなくとも再起不能、もっと悪ければ刑務所行きだ。……殺されることよりも刑務所の方が悪いというのだから、神楽も十分に根性が据わっている。

賞金を懸けているのが警察なのだから、賞金首をぶちのめすことに関しては、さほどの罰もないだろうが、いかんせん先程スモーカーからもらったように、所持しているモノが物騒なのだ。言い訳は通用しないだろう。

 神楽にはそのほかにもちょっとした特技といえるものがあるが、常人には理解しがたいものである。彼女と信頼関係を結んでいる、警察に所属している人物でさえ、正直なところ、その辺りのことは知らないのだ。

 

今、神楽の部屋の窓から、一匹の黒猫が音も立てずに入ってきた。金色に輝く瞳で、部屋の主の姿を探す。

シャワーを浴びて缶ビールを片手にリビングに入ってきた神楽は、猫の姿を見つけると、手近にあった皿にその琥珀色の液体を少し注いだ。何の躊躇もなく、黒い来客はその皿の液体をすすり始める。

「また窓から入ってきたのか……? 行儀悪いなお前は」

 言葉とは裏腹に、穏やかな調子で猫に語りかける。

『にゃう~』

甘えるようにして、頭を撫でる神楽の指先に体をすり寄せてくる。

二十センチほど開いた窓から、まだ少し冷たい春の夜風が滑り込んでくる。換気のために開けておいたのだが、部屋がすっかり冷えてしまったようだ。缶ビールを飲み終え、窓を閉めると、部屋の主は自分の寝室へと消えていった。

まるで主の留守を預かる番人のように、黒い獣はソファに陣取り、当たり前のようにその夜を明かした。

 マンションの八階。どこからか現れて窓から入ってきた黒い獣は、その日神楽が目を覚ましてリビングに現れたときには、またどこかへ姿を消していた。


 翌朝。軽快なメロディが、重い瞼を無理やりこじ開ける。携帯電話の着信音だ。ただし、メールの。自分では決して設定しないであろうメロディに驚いて、やや心拍数が上がる。

 まだ開ききらない重い瞼が視界を半分以上さえぎっているが、なんとか液晶画面の文字を見てみる。

「………………あ?」

 数回ボタンをプッシュして、画面をまじまじと見つめてから、がばっと跳ね起きた。一度戻りかけた心拍数が一瞬のうちに急上昇する。

『緊急事態発生、急ぎ参上されたし  ドクター』

 もう一度、確認する。

 差出人の名前を確認して、心拍数は多少落ち着いたが、どうやらすぐにでも出かけなければならないようだ。しかし、大した用事ではないことが予測できる相手である。メールは綺麗に無視してそのままフケ込むことも可能ではあるのだが、今日は約束があるのだ。どうしても街に出なければならない。そんなときにこのメールの相手と鉢合わせしては、さすがにまずい。

「……ったく」

 時計は午前九時を回っている。遮光カーテンを引いている寝室には、ほとんど陽射しはないが、ほんのりと室内が明るい。

 シーツを払いのけ、髪をかき上げつつのろのろと起きだし、身支度を始める。

毎朝、というかその日ベッドから起き上がるたびに苦労するのは、この寝癖である。中途半端に伸びかけているものだから、きっちり結い上げることもできない。いっそのこと短く切ってしまえばいいのだが、そこはそれ、神楽の妙なこだわりであるようだ。

今日も見事に重力に逆らい水平になびいている髪の毛を、なんとか水やらドライヤーやらで整え、冷蔵庫から出してきたスポーツドリンクを数口、空っぽの胃に流し込んだ。かすかに甘く、冷たい液体が体に染み込んでいくような感覚が、わずかの間神楽を支配する。

 いつもの黒い春物のコートとくたびれたような黒い肩掛けの鞄、黒の革靴にグラスコード付の縁なし眼鏡という出で立ちで、エレベーターのボタンを押した。


 そこは、古く小さなビルの隣にある三階建ての、病院である。ほとんどが日陰に入っていて、不健康なことこの上ないが。

 剥がれかけた壁には、表札も看板もない。軋むドアを開け中に入ると、まず目に入ってくるのは緑色の鉢植え。植物が栽培されているようであるが、あまり見かけない種類ばかりである。一日のほとんどが日陰に入っているのによくまあここまで元気に育っているものだ、と思わず口に出してしまいそうになるほど、茂っている。

「おーいヤブ、いるのか?」

 玄関口には親切にも大きな靴箱があり、いくつかスリッパが並んでいるが、神楽はそれを綺麗に無視して土足のまま入った。玄関を入ってすぐの場所に、両脇を囲むようにして配置されている鉢植えを眺めつつ、神楽が呼びかける。

鉢植えが終わる場所は、左が壁、右が大きな棚になっているので、中の様子を見ることができないのだ。

「ご挨拶だな便利屋。メール見たのか」

「ああ、ったく早くから起こしてくれちゃって……」

 まだ眠気が抜けないのか、生あくびをかみ殺しながら声のした方に歩いていく。

鉢植えの壁を通り過ぎ、大きな棚の奥に入ると、大きめのテーブルの上にいくつかの道具を並べている初老の男が見える。

 彼がこの病院の経営者であるが、実は無免許の不法医である。白髪と黒髪が半々に混じり、かけている眼鏡はサイズが合わないのか、それとも彼のスタイルなのか、やや下がり気味である。

身長は神楽と同じくらいに見えるが、少々膝が曲がっているので、これが真っ直ぐで健康的な身体であったならば、神楽よりは多少背は高いだろう。

くたびれた白衣を着て、こちらを見向きもしないまま、アンプルから薬剤を注入している。が、その手は少々震えているようで、アンプルを持つ手もおぼつかない。

 この病院の一階の奥は、彼・ドクターの自宅で、二階・三階は病室になっている。ベッド数が少ないので、病院ではなく診療所というべきであろうが、なにせ彼は無免許である。そんなことにこだわっているはずもなく、看板もなければ名称もないのである。

そんな病院の患者というのも、普通の病院にかかれば確実に警察に通報・強制連行されるような輩ばかり。お互いの利益のため、お互いの平和のために、無免許というのは暗黙の了解となっている。もちろん、保険はきかないため、医療費はとんでもなく高い。

「で? 緊急事態って?」

「そう、それだ」

「何なんだよ?」

「夕べちょっと飲みすぎてな、手が震えて困っとるんだ。代わりに注射打ってきてもらえんか」

「ああ?」

 さらっと宣ったドクターに思いっ切り疑問の声を上げる神楽。当然といえば当然の反応である。ドクターの手を見ると、確かに震えてはいるが、なんとか薬液の注入を済ませたようである。

 ふと神楽は、いるはずの人影が見当たらないことに気がついた。いつもなら、神楽が来たときには必ず出てきて、特製の美味いコーヒーをいれてくれる女性の姿が、今日はない。

「冨士子さんは?」

 尋ねたその人は、なんとこんな無免許医の仕事を手伝ってくれている看護師なのだ。こちらも、国家資格を持っていないのだからモグリなのだが、そこらの病院に勤めている看護師よりも、よっぽど仕事を知っている。

三十代半ばで、特に美人というわけではないが、人好きのする容貌である。こんな病院にいるだけあって、多少のことには驚かない、肝の据わった人であり、いざというとき、同じ女性としてとても頼りになる存在だ。数少ない神楽の『友人』として付き合ってくれている。

「彼女は昨日と今日休みだよ。ほれ、もう二つアンプルあるから、頼む」

 言うとすでに自分の仕事を放棄している。椅子に腰かけ、お茶などすすりはじめた。かけている眼鏡が、湯気で少し曇っているが、まったく気にせずくつろいでいる。

「へいへい……」

 半眼になって溜め息をつきつつも、ドクターの仕事を代わる。処方箋とアンプルを確認し、慣れた手つきでこなしていく。一応言っておくが、準備する前にはしっかりと手洗いを励行している。神楽も資格などというものは持っていないが、数回見ればこの程度のことならすぐに覚えてしまう。

「あれ、入院患者増えたのか? 知らない名前だな……」

「一昨日だったかな、見ない連中が担ぎ込んできおった。まあ、食あたりだろうがな」

「いいのかよ、それで。ヤブ」

「『緊急事態』さ」

 疑いのまなざしを向ける神楽に、意味深に告げる。

「何があった?」

 疑いのまなざしを改めて、真剣さを瞳にこめて、問う。

「行ってみれば分かるさ。準備はできたのか?」

「ああ」

 神楽も棚から白衣を取り出し、着込む。コートの下には白いチャイナカラーの服を着ていたので、上半身は中も外も真っ白になってしまった。だからズボンの黒が余計に目立ってしまうような格好になったが、仕方がない。

 何も持たずにドクターが先行する。そのあとを、トレイの中身をかちゃかちゃいわせながら、神楽が従う。

 二階、窓から小さな通りが見える病室に、その男がいた。窓際のベッドに横たわっている。

「この男?」

 ドクターの隣に追いつき、その男の様子を窺いながら神楽がささやく。確かに見ない顔である。この診療所自体が無免許で、看板も何もない以上、ここを知る者は殆どが顔見知りか、その知り合いという繋がりがあるのだが、まったくの初対面である。

身長はそれほど高くない。浅黒い肌で、少々栄養不良な感がある顔つきだ。今は穏やかとは言いがたい表情ではあるが、眠っているようだ。

「よく眠っているみたいだがな……寝過ぎだよ、この男は」

「は?」

「連れが運んできたときから眠りっぱなしなんだ……」

 溜め息混じりにドクターがぼやく。そして何やら脈をとったりしているようだが、あまりに早すぎて適当に触っているだけにしか見えない。

神楽もその男の状態を観察してみる。呼吸も脈も、体温も血圧も安定しているようだが、意識がない。ただ眠っているだけのようだ。頭を打つか何かして脳に障害を生じているのであれば、少なからず眼球や呼吸などに影響が出るはずだ。

「原因調べたのか?」

 神楽がドクターに問う。答えはだいたい予想できてはいるが、一応。

「調べてはみたが、分からん」

 眼鏡の位置を直し、無意味に胸を張ってドクターが自慢気に応じる。

「何? 調べたのか? どうやって?」

 予想していた答えと違っていたので、思わず間抜けな声で反応してしまった。ドクターなら、調べる前にふんぞり返って『分からん』と答えることを予想していたのだ。そもそもこの病院には高度な機器類はなく、調べるといっても、その手段がないはずなのを思い出し、半眼になってドクターを睨みつける。

「そう睨むな、ちゃんと調べたんだ」

「だからどーやって?」

「古い友人に当たったんだ。今そいつは結構いいとこの病院に勤めてるんだが……」

「ドックと違ってね」

「余計なお世話だ。まあ、そいつに頼んだんだよ、ここに寝かせる前にな」

 そして軽く溜め息をひとつ。連れの方は運んできて以来一度も面会には来ていないらしい。おかげでこの男の家族や知人への連絡方法が分からない。運んできた連れに聴けばよかったのだが……。

「何しろ真夜中に叩き起こされたもんでな、半分寝呆けとったんだよ……その時は」

「いいのかよ……それで」

お読みいただきありがとうございます。

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