1.
アングラな世界観を目指して書いたものです。
20年くらい前に考えていたお話ですが、敢えてそのまま投稿します。この令和の時代に、スマホのない平成の雰囲気が溢れでているのを感じていただければ……。
『そこまでだ』
凛として通る一つの声が、数人の人影の動きを封じた。
『くっそ……誰だてめえ!』
月並みな台詞を吐き出した男の動きを封じるのに数秒もかからない。続いて残りの男たちも、わずか一分ほどで床に沈んでいた。
とあるビルの六階。窓から月明かりが差し込んでいる深夜二時。
ぴくぴくと未だわずかに痙攣している男たちに背を向けて、一定の靴音を響かせながら歩き出したのは、細いシルエット。コートのポケットから無造作に携帯電話を取り出し、メモリーからその番号にかける。コールは三回ほど。相手が出る。
『あ、もしもしカオリちゃん? あのねえ、昼間言ってた連中ね、今床と仲良くしてるから、あとよろしくねー。……え? いいじゃん何て呼んだってさあ、それよりさ、確認してから賞金、いつもの口座に振り込んどいてくれる? うん、それじゃ』
電話の相手がまだ向こうで何やらぼやいているが、それは聞こえないふりをしてそのまま通話を終えた。
都会の真ん中では、一晩中明かりが消えることはない。昼夜が逆転して遊び歩き、街をよく知っている連中は多いが、その明かりの裏側を知るものは、ほとんどいない。誰もが皆、友達同士楽しく、あるいは一人の寂しさを紛らわせるため、あるいは仕事の付き合い……様々な理由で夜の繁華街を徘徊する。
そんな街の騒がしさとは裏腹に、人通りの少ない路地をわざわざ選ぶようにしながら、先ほどの黒い、細い人影が相変わらず一定の歩調で歩いていた。
彼女の名は早渡神楽。年の頃なら二十歳を少し上回ったところだろう。昼間の街を歩いているだけなら普通のヒマな学生か、就職間もない社会人……くらいには見えるだろうが、どこかそうは見えない不思議な雰囲気をもっていた。
縁なしの眼鏡に、今ではほとんど見かけなくなったグラスコードなどを付けている。無造作に伸びかけの髪から履いている革の靴まですべてが黒。夜の街に溶け込んでしまいそうに黒い、長身の女である。
神楽は、細い路地を迷うことなく十分ほど歩き、地下へと続く狭い階段を降りていた。街灯の明かりもほとんど届かず、ただの黒いわだかまりにしか見えないその階段を、平然と降りていく。そして目の前の一枚の木製の扉を開けた。小さな看板が掲げられてはいるが、その文字はかすれて読み取ることができない。
店内には煙草と酒の臭いが充満している。オレンジ色に頼りなく照明が掲げられているが、この小さな明りには、煙草の煙に包まれた室内を照らすのは、いささか荷が重いようで、壁際はほぼ完全に、闇の領域である。
扉を開けると、五つほどあるテーブルのうち、四つが埋まっている。何気なく店内を見渡してみる。先客たちが鈍そうなその瞳を入り口に集中させたが、それも一瞬のことで、相手を確認するとまた自分たちの酒と煙草に注意は移る。神楽はテーブルを無視してバーテンの居るカウンターへと真っ直ぐに向かった。
カウンターにいるのは店主だろうか、真っ先に彼女の存在に気が付いた。彼だけは、神楽の来店を歓迎している様子で、カウンターに座った神楽に笑顔を向ける。
肩から掛けていた黒い鞄は、隣の椅子に無造作に放り出して、春物のコートのポケットから煙草を取り出す。
笑顔のよく似合う、初老のバーテンは、慣れた手つきでカクテルを作っている。
「ずいぶんと繁盛してるんじゃねえ? いつもはガラガラなのに」
黙ってその様子をぼんやりと眺め、思い出したかのように煙草に火をつけながら、神楽は今度は眠そうな緩んだ眼で肩越しに店内を見つつ問いかける。
「ああ、なんだかあんまり歓迎したくない連中が、この街に入ってるとかなんとか……。どんどん物騒になってくよ」
軽く溜め息をつきながら、店主がささやくように答え、淡いブルーのカクテルを神楽に差し出す。
神楽のお気に入りの一品だ。
「でもそういうの相手に商売してんだから、悪くはないんじゃねーの?」
カクテルを一口含んでから、悪戯っぽく神楽が指摘した。確かに、と大きく納得して、はたと何か思い出したように神楽にささやく。
「……そういえば、あの男、今日来てるよ。奥にいるから会っていくといい」
「あの男? ヤブの方か?」
「いやいや……ケムリの方だよ」
「マジで? いいタイミングだな、そろそろ連絡とろうと思ってたんだよ。奥だって?」
言うや否やカクテルを一気に飲み干して鞄を引っ掴み、横の扉へ慌ただしく消えていった。
何故か楽しそうに神楽を眺めていた店主だったが、神楽が扉の向こうに消えると、ふっと軽い溜め息をついてグラスを片付け始めた。店内の暗いざわめきに混じって、わずかに発した声もかき消されてしまう。
(何であんな娘が一人で……こんな世界にいるんだろうねえ……)
誰に届くことなく、その声は店の闇に溶けていった。
「便利屋だけど、コードネーム・スモーカーはいる?」
声のトーンを少し落として、軽いノックとドアの音の後に、扉を開けてから形式的に神楽が問う。
そこにいたのは男が一人だけ。店主の言っていたことが正しいならば、その男が本人であるのは確実なのだ。だからこそ、形式的なのだが。
カウンターの横に隠れるようにしてある扉の奥、そこは小さな客室のような造りになっている。机に向かって、こちらに背を向けるようにして座っているのは、一人の男である。がっちりとした背中によれよれのコート、そして、彼の足元には四角いトランクが置いてある。
コードネーム・スモーカーと呼ばれたその男は、その名の通り、山盛りになった灰皿に、さらに煙草を押し付けていた。この部屋に来てどれくらいの時間が経過しているのか、あるいは吸殻を捨ててから何分経っているのかは不明であるが、ヘビースモーカーであるらしいことだけは容易に想像できる。
「ご無沙汰、便利屋。相変わらずだな」
低いがよく通る声をしている。外見(ただし後ろ姿)と比していささか重みが足りないようであるが。
「相変わらずなのはそっちだろ、何だ、煙草で真っ黒になった肺の検診でも受けに来たのか?」
「ははっ、ヤブには診せらんねーな」
「言うね」
振り返ったその顔は、意外に若い。三十歳に届くか届かないか、といったところである。実年齢は不明であるが、見た目よりは年を取っているのだろう。伸ばしかけなのではなく、単に剃っていないだけのようなまばらな無精髭に、丸く、薄いグレーのサングラスをかけている。赤茶に染めた短い髪、左耳にはピアスが五つほど。一八〇センチという長身ではあるが、この容姿のおかげで今ひとつ迫力、というか貫禄がない。加えて、いつも少々やる気がないような表情も、年齢を若く見せていることに一役買っているようだ。それなりに街を歩いていれば、気のいい兄ちゃん、という感じの人物である。
「ところで、今日はどうしたんだよ? 珍しいよな、あんたからこっち来るなんてさ」
「ん? ま、たまにはな。こっち来る用事のついでだよ」
言いながら、机の横の小さなベッドを神楽に勧め、自分は背もたれを前に椅子にまたがる形で座り直した。こういう格好をするとますます見た目の年齢が若くなる。
神楽はベッドに浅く、足を組んで座り、スモーカーとは真正面に対峙しないように、真正面から向き合わないように微妙な角度を保っている。
「そして」
「?」
おもむろにスモーカーが足元のトランクに手を伸ばす。これは彼の言わば『商売道具』で、常に持ち歩いているらしい。
「まさか、もう?」
何か心当たりがあるのか、神楽が思わず身を乗り出し聞いた。
「そのまさか。思った以上に仕事がはかどってね、ほい」
言って何やら黒いものを投げてよこす。
……拳銃だ。それは何に包むでもなく、生身のまま神楽の手の中に落ち着いた。神楽の手に合わせてあるのか、彼女の手にぴったりと収まっている。そして、やや銃身が短く、軽い。
「注文通りの麻酔銃だよ」
誇らしげにスモーカーが一言。
「ちょいと変わってるヤツでね、弾倉には一ダース入るようにしてあるよ。お前さん、一人で大人数相手にすること多いだろ?」
「ああ、サンキュ」
実は彼、武器商人なのだ。
もちろん、この国では違法である。法律にも抜け穴があるように、こういった銃火器のルートも、完全に根絶やしにすることは不可能なのだ。いくつもあるこの違法ルートのうちの一つを彼・スモーカーが取り仕切っている。
海外から輸入した拳銃などの多くは、粗悪品である。使用者が安全に、かつ使いやすく改造して売りさばくのが、彼の生業なのだ。
スモーカーというのはもちろん本名ではない。組織で動いているのか、個人での商売なのかすらも不明である。ただ、彼を通して武器に関する何らかの相談をすれば、かなり高い確立で正確な返答が戻ってくる。
商売相手はアンダーグラウンドで主に組織単位で動いている連中であるが、神楽に関してはその限りではない。
神楽は組織で動いているわけではないので、個人的なつながりの中で頼りにできる者は多いにこしたことはなく、スモーカーもその一人である。ただ、それは金で保たれているものであり、金が唯一の鎖なのだ。あくまでも商売優先である。寂しいからといって電話で楽しくお話しましょう、とかメール交換をしましょうなどという関係では決してない。
「へえ……見た目には普通の銃と変わんねーんだな」
麻酔銃を手に取り、品定めするように感覚を確かめつつ、神楽が言う。
「ああ、もともとそのタイプの拳銃を改造しただけだからな。タマはまだ量産できてないんだ。ここに一ダースあるし、そん中に一ダース充填されてるだけ」
「いや、十分だよ。金ならいつもの口座に振り込んどけばいいんだろ?」
渡された紙袋の中の弾倉を確認し、それを受け取りながら、神楽。
「毎度どうも。ああそれと、いくら相手が死なないからって首から上は狙うなよ? さすがに麻酔銃でも目ん玉なんかに直撃したらヤバいからな」
「オッケ」
物騒な会話をにこやかに交わしながら、吸っていた煙草をもはや満杯の灰皿に押し込んで、スモーカーは立ち上がった。吸殻がいくつか灰皿の縁に必死にしがみついている。……力尽きてテーブルに転がっているものも多いが。
「何、もう帰んのか?」
トランクに手を伸ばしたスモーカーを見て、神楽。
「いや、もうしばらくこの辺ぶらついてるよ。ちょっと一杯やろうと思ってね」
にかっと笑って座っていた椅子から立ち上がったまでは良かったが、次の瞬間、椅子の脚につまずいて、椅子を足に引っ掛けたそのままで数歩前進し、よろけてドアに顔面からまともにぶつかった。
かなり大きな鈍い音がして、顔面をドアに貼り付けたまま、しばらく固まっているスモーカーをひとしきり笑ってから、神楽も立ち上がった。
ようやく復活したスモーカーがひたすら自分の鼻を撫でていたが、神楽はかまわずにドアを開ける。鼻をさすりながらも、その後についてスモーカーも店内に戻った。顔面からぶつかったにもかかわらず、サングラスは奇跡的に無事である。
「お前もやるか?」
サングラスの位置を直しながらスモーカーが誘うが、手を振って断る。
「悪いな、今日の昼過ぎに約束あるんだよ」
「睡眠不足は美容の大敵だもんなあ」
「そういうこと。じゃあな、おっさん、お邪魔さん」
スモーカーの冗談じみた言葉を軽く流し、カウンターで相変わらずグラスを拭いている店主に声をかけ、鞄を肩に掛け直しながらそのまま出口へと向かう。受け取った銃をコートの内ポケットにしまい込み、残りの銃弾は鞄の中。
店内の客はまだ多い。スモーカーとはそう長く話し込んでいたわけではないのだから当然といえば当然なのだか、見かけない顔が多いのが多少気になる。
年齢的にいって経験こそまだ未熟であるが、神楽はこの世界ではかなり広い顔をもっている。彼女に関しては今後徐々に明かしていくことになるが、経験では決して身に付けることができない、有り得ない技術、特殊能力とでもいうべきものが、彼女にはある。
その神楽の勘が何かを訴えている。今はそれに関して深く突っ込むつもりがないのか、あるいはただ単に面倒臭いのか、店内の客をざっと見渡すだけで、表へ出た。
月が傾いて、ビルとビルの間に沈みかけている。街の灯りも徐々に消え始め、束の間の休息をとろうとしている時間。神楽の靴音だけがやけに響く狭い路地、細いシルエットが闇に溶けていく。街に倣い、束の間の休息をとるために……。
お読みいただきありがとうございました。
前書きにも書いてますが、かなり以前に書いていたものですが、文章はほとんどそのまま投稿します。未熟な文章になりますが、楽しんでいただければ……。
ご意見・ご感想などいただけると幸いです。