余命宣告とカフェラテ
午後の陽光が差し込むカフェ「珈音」。
バリスタの私、佐倉七海は、いつものようにカウンターに立ち、エスプレッソマシンの蒸気音をBGMにラテアートを描いていた。
「七海さんのラテ、今日も美味しい」
柔らかな声が耳に届き、顔を上げると、そこには常連客の藤堂悠真が優しい笑みを浮かべていた。
彼の瞳は、深い珈琲豆のように吸い込まれそうなほど魅力的で、私は思わずドキリとした。
悠真は、毎朝必ずカフェラテを注文し、カウンター席で小説を読む。
彼の穏やかな雰囲気と知的な佇まいに、私はいつしか惹かれていた。
しかし、悠真は私にとって手の届かない存在。
仕事も恋も中途半端な私は、自信を持てずにいたのだ。
ある日、私は偶然、悠真が病院から出てくる姿を目撃する。
彼の表情は、いつもの穏やかさとは程遠く、どこか影を落としていた。
心配になった私は、彼に声をかける。
すると、悠真は重い口を開き、余命宣告を受けたことを打ち明ける。
「先生には、あと数ヶ月って言われました。スキルス胃がんです。自覚症状がなくて、発見された時にはもう手遅れでした」
彼の言葉に、私は言葉を失った。悠真の瞳には、諦めと悲しみが入り混じっていた。
「でも、残された時間を大切にしたいんです。だから、七海さんに本当のことを伝えたかった」
彼の言葉に、私は胸が締め付けられる思いだった。
悠真の強さと優しさに触れ、彼への想いが一層募っていくのを感じた。
私は、悠真の残された時間を、彼と一緒に過ごすことを決意する。
毎日のようにカフェで語り合い、休日は海辺を散歩したり、映画を観に行ったりした。
カフェ「珈音」は、珈琲の豊かな香りが漂い、温かな照明が心を落ち着かせる空間だった。
私たちは、カウンター席で向かい合い、珈琲を片手に語り合った。
悠真は、静かに語りながらも、時折見せる笑顔が、私を安心させてくれた。
悠真は、いつも私の淹れた珈琲を美味しそうに飲み、笑顔を見せてくれた。
彼の笑顔を見るたびに、私は幸せを感じ、同時に、彼を失う恐怖に怯えた。
「七海さんの淹れる珈琲は、本当に美味しい。いつも飲むたびに、心が安らぎます」
悠真は、目を細めてそう言った。
「ありがとうございます。悠真さんにそう言っていただけると、嬉しいです」
私は、顔を赤らめながら答えた。
ある日、私は、悠真と一緒に珈琲豆の専門店を訪れた。
「この豆、香りがいいですね」
悠真は、コロンビア産の豆を手に取り、香りを確かめた。
「そうですね。私も好きです。フルーティーな酸味とコクが特徴で、悠真さんにぴったりだと思います」
私は、頷きながら答えた。
私たちは、一緒に選んだ豆を挽き、ドリップで淹れた。
「本当に美味しい。七海さんは、すごいバリスタですね」
悠真は、私の淹れた珈琲を一口飲むと、目を輝かせて言った。
「そんなことないですよ」
私は、照れくさそうに笑った。
悠真との時間は、あっという間に過ぎていった。
しかし、彼との出会いは、私の人生を大きく変えた。
私は、彼のおかげで、バリスタとしての自信を持つことができた。
そして、彼への想いは、日に日に深まっていった。
私は、悠真との時間を過ごす中で、彼から珈琲の知識や技術を教わった。
最初は、緊張して失敗ばかりしていたが、悠真はいつも優しく励ましてくれた。
彼のアドバイスのおかげで、私は少しずつ成長し、自信を持って珈琲を淹れられるようになった。
ある日、私は、カフェで開かれたラテアート大会に出場し、見事優勝することができた。
悠真は、私の成長を心から喜んでくれた。
悠真の病状は、徐々に悪化していった。
それでも、彼は最後まで笑顔を絶やさなかった。
「七海さん、僕は幸せでした。あなたと出会えて、本当に良かったです」
悠真は、弱々しい声で言った。
「私もです。悠真さんと出会えて、本当に幸せでした」
私は、涙を流しながら答えた。
そして、最後の時が訪れた。
病院のベッドで眠る悠真の横に座り、私は彼の手を握りしめた。
「悠真さん、私、あなたを愛しています」
私は、初めて素直な気持ちを打ち明けた。
悠真は、ゆっくりと目を開き、私を見つめた。
「僕も、七海さんが大好きです」
彼は、最後の力を振り絞るように微笑んだ。
私は、彼の手にそっとキスをした。
悠真は、安らかな顔で息を引き取った。
悠真が亡くなってから、私はカフェ「珈音」を「悠珈琲」と名前を変え、引き継いだ。
彼の好きだった珈琲を淹れ、彼の思い出を胸に、毎日を生きている。
地域の人々は、悠真の死を悼み、カフェに足を運んでくれた。
私は、彼らとの交流を通して、少しずつ心の傷を癒やしていった。
そして、カフェを盛り立てるために、様々なイベントを企画し、地域の人々に愛される店へと成長させていった。
ある日、カフェのドアが開き、見慣れた顔が現れた。
それは、悠真と瓜二つの男性だった。
彼は、悠真の弟の悠太だった。
悠太は、兄の遺志を継ぎ、珈琲の勉強をするためにこの街にやってきたという。
私は、彼に悠真の好きだった珈琲を淹れた。
「美味しい。兄貴も、きっと喜んでいるよ」
悠太の言葉に、私は涙が溢れた。
悠太は、カフェ「悠珈琲」で働き始め、私を支えてくれた。
彼は、珈琲の知識や技術だけでなく、悠真の優しさや温かさも受け継いでいた。
一緒に働く中で、私は彼に惹かれていく自分に気づいた。
そして、私は、悠真との思い出を胸に、カフェ「悠珈琲」をさらに盛り立てていくことを決意した。
それは、悠真への愛と感謝の気持ち、そして、未来への希望を込めた決意だった。
ある晴れた日、私はカフェのテラスで、悠真の好きだった珈琲を淹れた。
「悠真さん、見ていますか? 私は、あなたのおかげで、こんなに幸せです」
私は、空を見上げながら、心の中で呟いた。
そして、私は、悠真との思い出を胸に、笑顔で珈琲を淹れた。
それは、珈琲の香りのように深く、甘い、未来へのレシピ。