ちょっとなら甘えていいかな
まずビールを一気に煽ってジョッキをガンとテーブルに置いた。
「ほんっっとサイアク!!!」
いい飲みっぷりーと茶化す秋を横目に、赤ワインをボトルで入れた。
「でも見た?あの顔!スカッとしたわー」
「よかったですね」
「だいたい何!?彼女が来るってわかってるのに女とイチャつく!?ありえなくない!?相手の女も女でどういう神経?」
「麗さん、空きっ腹もあれなんで、食べてくださいね」
「今日あれ見てなかったら平然とあたしとデートしてたわけでしょ!?気持ち悪い!信じらんない!あームカつく!一発殴ってやればよかった!」
あたしが愚痴っている間も、秋はなくなったワインを注ぎ、つまみを取り分け、甲斐甲斐しく世話を焼く。意外と世話焼きなのだ。優みたい。
「この前『もうちょっと可愛く甘えろよ』とか言われたけど悪かったわね可愛くなくて!『決断力があってかっこいいところが好き』って告白してきたのはどの口だっつーの。そう思わない!?」
優みたいに、家庭的で穏やかなら、一途に大切にしてもらえたのかな。
少なくとも、優ならあの場であんな喧嘩を吹っ掛けるようなことは言わずに上手くやるだろう。
「ハイハイ最低ですね。」
それともあれか。
愛みたいに可愛く甘えた声でお願いできるタイプならよかったのか。
酷いって泣いて見せたらいいのか。
無理。そんなのは無理だ。
アムっとかぶりついたラムチョップから肉汁が溢れてきて、すかさずタオルを渡された。
「サイアク」
「お水も飲んでくださいね」
「恋愛なんてもういい。オトコなんていらない…」
「…すぐ、いい人見つかるでしょう、麗さん。」
ワインを揺らし、ワインの赤が踊るのを眺める。
怒りを通り越して、悲しくなってきた。
「あたしは仕事に生きる…彼氏よりむしろ嫁が欲しい…」
「嫁…」
「仕事で徹夜して家に帰らなくても怒らない、家事とか全部やってくれる嫁ぇ…」
「…それ、僕じゃーー」
「すみませーん!赤のオススメのボトル1本ください!さっきと違うやつー!」
「…………。」
「何か言った?」
「……イエ。飲めるんですか、そんなに」
秋が何か言いかけた気がしたが、遮ってしまった。
でもなんか全部、どうでもいいからいいや。
程よく水も飲まされ、腹も満たされて、美味しいご飯とワインで酔いは回る。
相手はあの苦手な秋だというのに。
いや、誰でもいいのだ、話を聞いて付き合ってくれるなら。そう、そのはず。
ひとしきり話した後、思わずこぼれてしまった。
「あたしは…ちゃんと好きだったのに、なぁ」
ちょっと、酔ってるのかも。
「知ってます」
そう言う秋の前髪に隠れたタレ目が、ちょっと悲しそうだった気がした。
そんなはずないのに。
酔ってるんだな。お水も飲んだけど、ハイペースだったし。
「次は麗さんを大事にしてくれる人と付き合ってくださいね」
秋のくせに生意気なことを言っている。
けど、なんだか気恥ずかしくて秋の顔は見れなかった。
目線を落とすと、テーブルに置かれた手が目に入った。
大きくて、手の甲の骨張ってて、袖を軽く捲って見えている、筋肉質な、腕。
ーーー秋の手だけは、好きだなぁ。
あたしはぼんやりと、惹かれるまま人差し指を握った。
重い機材を扱うだけあって、細身に見えてがっちりしている。
「ふふっ」
酔って見えた幻でも、ちょっとなら甘えていいかな。
だってなんか、気持ちよく酔ってるし。
「麗さん?」
驚いたように手が少し震えたけれど、秋は手を引っ込めなかった。
「なんであたしはいつもこうなんだろう」
それをいいことに、あたしは好き勝手秋の指を撫でる。
困ったような空気を感じつつも、瞼が降りてきて、顔は見れなかった。
あたしが触れている手と、反対の手が、頭を撫でてくれている感覚。
胸のあたりがじんわりあたたかくなった。
「おひめさまに、なりたいのになぁ」
涙がポロンとほっぺを転がった感じがした。
触れた手の体温はちょっと心地よい。
「困った人だな」
ちょっと嬉しそうな、穏やかな秋の声が聞こえたのは、夢か現か。
安心するぬくもりに包まれて、体が浮いたような気がした。