4 大賀の忍び
湯茶本舗は表が普通の茶屋で奥は2階建ての建物と併設されている。生活空間である。
かん太とともにチワは帰ってきた。
「あら、メジロは?」
一緒じゃなかったの?とお六は首を傾げる。
「知り合いに会ったみたいで少し遅れて帰るようです」
かん太の応えにお六はふーんと呟いた。
「それじゃ、ご飯は団子汁にしちゃいましょう」
お六が数少なくできる料理であり、かん太は手伝いますと袖を捲し上げた。
「私も」
チワも台所に入ろうとするが、お六は止める。
「チワちゃんは、そうね。器を並べておいてもらえるかしら」
盲目といっても厳格な言い方をすればチワは盲目ではない。かなりぼやけてみえる、準盲目、弱視である。
だから多少のことはやらせないとチワは嫌がるのだ。
「ねぇ、お六さん」
チワは鍋にたっぷりと野菜を入れるお六に声をかけた。
「今回みたいに体を求められた場合」
「メジロが追い払ってくれるわよ」
お六は必要ないと言わんばかりだった。
「でも、もし偉い方だったら………私もここでお世話になっている身ですし」
「そんなことは気にしちゃだめ。メジロが怒るわよ」
お六はぱちんとチワの額を小突いた。
「メジロは望んでいない。私も、昔の仕事があるけど必要なければする必要ないと思っている。かん太も同じく。それに、チワちゃんの琵琶はとても見事で、みんな聞きたいと茶屋に遊びに来てくれるのよ。みんな、チワちゃんのこと大事なの」
なかなか納得しないチワにお六はもうっともう一度額を引き寄せごつんこした。
「ここまで大事にされているのに、自分は………とか言う子にはご飯はあげませんよー」
もちろんあげるつもりであるが、お六はあえて口にしてそんな考えを持つなと言った。
ぷりぷりと怒るお六にようやくチワは微笑んだ。
ようやく表情が柔らかくなったのを確認して料理をよそってやる。
◆ ◆ ◆
人気のいない道まで行き、権野はようやく口を開いた。
「お前、今まで何をしていたんだ。五年間、音信不通でお頭はかなり怒っているぞ。佐平」
「実は山で怪我を負って、酷い状態で動けなかったんだ。いっこうによくならずここのお医者にみてもらって、今は世話になった家に恩返しをしている。それが終わったら戻ろうとしていた」
「それだったら報告をすればよかっただろう。まぁ、いいや。詳しいことは元珂縞領に戻ってからにしよう」
他の仲間たちもいる。
「お前も知っていると思うが、永登様はちより姫を探している。報告とおしかりを終わらせ、無事許されればお前も任務にあたれ」
「ちより姫? 身投げしたんじゃなかったっけ」
琵琶の語りを思い出し首を傾げた。
「俺も見たぞ。遠くからだったが、吊り橋から身を投げた姫の姿を」
「あれは身代わりだ」
ぴくりとメジロは反応した。
「1年前、姫滝の下流に女の死体があがった。着ているものから例の身投げした姫だったが、姫じゃなかった」
体を調べたらあるはずの印がなかった。
ちより姫は神官の一族の姫であり、幼少時に左の脇腹にあざを持つ。それが5つあり、まるで大きな桜の花びらのようであった。
神に守られている証とされ、珂縞家棟梁はおおいに喜んだといわれている。
「年齢も調べたが、姫と合わない。おそらく身代わり、一緒にいた侍女の方が姫だったんだ」
追手は身投げした姫の姿に夢中になり、吊り橋に残っていた侍女のことを気にかけていなかった。確保しようと思ったが、姿は消えていて吊り橋の板には血が落ちていた。
自害しようと思ってもできずにどこかへ消えた可能性がある。
「方角から東の方だろうと思った。母親の実家があるからな。だが、一向に見つからず姫の捜索に人員が必要なんだ」
権野はそこまで言って、メジロに戻ってお詫びをするように説得した。
「俺も行ってやる。お前は可愛い後輩だからな。ちより姫を見つけ出せば五年の件も許し」
ぴたりと権野は言うのをやめた。メジロがすぐ近くまで寄ってきて、権野の体を押さえつけようとした。
「何だ、お前。何を考えている」
メジロとは何度も仕事をした仲である。今メジロが何をしようとしているのかすぐにわかった。
反応が遅れていたら身動きはとれなかっただろう。
メジロは、舌打ちして懐に隠していた小刀を取り出した。しゅっと風を切るが、思うように権野を狙えなかった。権野の右腕に傷が走る。
「何だ、お前………まさか、裏切る気か? 里のおきてを破る気か?」
馬鹿なことをするなと権野は叫んだ。
「わかるか? 里を抜けたとわかればどうなる? お前は一生同胞に命を狙われるんだぞ」
「そうかい」
特に気にしていないとメジロは笑った。その件に関しては既に五年の間に納得済みである。
「何なんだ。お前は、何がそうした。お前は真面目な忍びだったじゃないか? 将来有望な長のお気に入りだっただろうっ!!」
信じられないと権野は何度も叫ぶ。このまま順調にいけば里の幹部になれただろう。
「お気に入りはたくさんいるだろう」
自分が抜けたからと気に病む性格ではないだろう。
小刀と、金属類のはじく音がする。権野の懐から出て来たのは苦無であった。
忍びの道具として利用されるもの。
何度も何度も二人は刃を交えた。
少しばかりメジロの方が早く、権野を圧倒している。権野はこのまま時間が経てば自分に不利だと知り逃げようとするが、メジロは逃がさなかった。
今自分がここにいると他の仲間に知られるわけにはいかない。
そうなればバレてしまう。
メジロの脳裏に浮かんだのは琵琶を奏でる少女の姿だった。
態勢を崩させたメジロはそのまま権野の上に覆いかぶさる。ついに動きを封じられた権野は、ようやくメジロの本意を悟った。
「そうか。お前の元にいるんだな」
不敵に笑う彼をメジロは冷たく見下ろした。
「ちより姫、お前の元にいるのだな!!」
メジロは否定しない。その時間も惜しい。それにこのまま知られても、殺してしまえばいいのだ。
小刀を構え、権野の首に狙う。
「よせ、メジロ」
老人の男の声がした。腰の曲がった白髪の老人がじぃっとこちらを見つめていた。後ろに目立たない衣装を着た男が二人控えている。
「メジロ、後はわしに任せろ」
「六平太じいちゃん。何だよ。変に時間を延ばせばこいつを逃がす隙を作ってしまうぜ」
くくっとメジロは笑った。その姿をみて六平太と呼ばれる老人は首を横に振った。
「チワちゃんが血の匂いに気づくじゃろう」
その言葉にメジロは眉を顰める。それを今ここで言うのかと六平太を睨んだ。
「よいか。お前はチワちゃんの傍にいて守らなければならない。不用意に血の匂いはさせてはならない」
この五年視力を失ったチワはその分匂いと耳に敏感になった。きっとここでメジロが権野を殺せば、チワは血の匂いに気づく。
「チワちゃんには平穏無事に過ごしてもらいたい。それはわしも同じじゃ。だから、ここはわしらに任せろ」
老人の指示で控えていた男たちはメジロの傍に駆け寄り権太の身を預かった。
「………湯縞の忍びか」
様子を伺い権野はぽつりとつぶやく。誰も否定しない。肯定もしない。
この状況をみて権野は笑った。
「なるほどね。そうかそうか。お前はちより姫と一緒に湯縞に身を委ねていたわけか」
だが納得できない。
メジロ、機部佐平は里の中でも優秀な忍びの一人であった。長自ら指導する程の期待をかけられておきながら、与えられた仕事をこなし誰もが幹部になるだろうと信じていた男が何故それらを捨てた。
敵方の忍びに護送されながら権野は納得できなかった。