3 噂話
「そういえば噂で聞いたんだけどさ。玄今の連中、珂縞の地の統治に手を焼いているんだってさ」
ひそひそと語り合う話にチワはぴくりと反応した。
「そりゃそうだろ。珂縞の一族をあんな形で亡ぼしたんだ。一族郎党だまし討ち、生き残りは処刑!」
地元民の恨みは強いことだろう。珂縞家は領主としては悪くない方である。それに500年前から統治していた一族であり、領民は信仰の対象として崇めていた。商売人の印象の強い湯縞とは対照的に古来から伝わる神儀を守り続ける、神官の一族の面も持つのも関係している。
この土地の者でも数年に一度珂縞が守る神社を訪れることがあった。
それは本邦からも重要視されている日輪連邦三大社の一つとされている。
太古の皇后が国の外敵から守った時に使用した秘術・蓬射の儀を受け継いだ唯一の一族であった。
一子相伝の秘術であり、嫡男が殺されたことによりその技術は消失した。
これも領民たちの怒りを大きく買った要因であった。
「そこで珂縞の生き残りを探しているそうだ」
「一族は皆殺し、ちより姫も山に逃亡途中に自殺したって話だ」
「ああ、その姫様の生き残りがいるかもしれない。その姫を手元に置き自分の正当性を確立させようとしているそうだ」
「っけ、勝手に皆殺しにしておいて、都合悪くなれば生き残り探しか。勝手すぎだ」
湯縞の民であるが、もし珂縞の民であれば憎しみをさらに増大していたことだろう。
「かわいそうなのが、ちより姫だよ。まだ13歳だったじゃないか。それなのに、追手に負われながら慣れない山道走って………見つかった、捕まると観念して滝つぼに落ちた」
ちより姫の噂は玖邦中に知れ渡っている悲劇の姫の物語となっていた。人々の涙を誘っている。
「あれ、チワちゃん。顔色悪いぞ」
沈みがちな表情を浮かべるチワをみて客は慌てて話を打ち切る。
「ごめんな。悲しい話しちゃったよな」
「いえ、生きていれば私と同じ年ごろと思うと悲しくなって」
震える手で撥を持ち続けたチワは悲し気に微笑んだ。
「チワちゃんは優しいよな。悲しい話はここで終わり。楽しい話をしようや」
わいわいと別の話題へと変更する。長屋の男がようやく嫁をもらったとか、自分のところの三男がはじめて猫をみてギャン泣きして大変だったとか。
ようやくチワの手の震えが止まり、撥を持ち直す。客の要望で「5人の天女」を弾くこととした。
一曲終わったところでメジロが出てきてチワを休ませる。
「お前は部屋に戻ってろ」
「まだ大丈夫だよ」
疲れていないよとチワは笑うが、メジロはぴとっとチワの頬に手を触れた。じんわりとチワの頬が冷たいのがわかる。
「大丈夫。お前の仕事は十分こなせている。ほら、帰れ」
そういいメジロはチワを部屋へと帰した。
「かん太、店の閉まり頃になったらチワを温泉へ連れて行ってやれ」
こういう時は体を温めるのがいい。目が見えないが、いつでも人がいる近所の温泉はチワのことをよく知っている。チワを一人で温泉に入らせれる数少ない場所であった。
「はぁ、あれじゃチワちゃんに『ちより姫身投げ』は弾かせられないな」
「そんなの弾かせる必要はないだろう。聞きたきゃ、他所行け!」
メジロははぁとため息をついた。
この店の客はとにかくチワを可愛がりすぎる。
チワのことを気遣ってくれているので有難いと思うべきだろう。
◆ ◆ ◆
かん太がチワを連れて温泉に行っている後、先ほどの侍が後をつけていた。
「あのくそちびめ」
恥をかかされたのを根に持っており、彼が守ったチワをかどわかすことを考えていた。
粗末な町娘の恰好をしていたが、色白で美しい娘であった。おまけにあの周りの過保護っぷりを考えれば生娘であろう。
侍はごくりとのどを鳴らし、チワが出てくるのを待ち続けた。
一緒にいたのは非力な坊主である。何とでもできるだろう。
「俺がそれに気づかないと思ったわけ?」
後ろから声がした。メジロだった。
もちろん気づいていた。チワが茶屋を出る時に後を追いかけるのをみていたから。
先ほどまで気配がなかったのにと侍は驚いてしまった。
「あででで」
腕を掴み捻る。
「チワに何をするんだっけか。まぁ、これじゃ何もできないか」
ごきっと肩の関節を外す。短時間に見事な流れであった。
あまりの動作に侍は怯える。
目の前のメジロはじぃっと肩の痛みを訴え尻もちついた侍を無様だと見降ろしていた。
「チワに何かしてみろ。その時は首を折るぞ」
「わ、私は富貴嶋様に仕える侍だぞ! わかっているのか?」
「久田来兵衛、富貴嶋の傘下の武将に仕えていたようだが博打と女への狼藉が問題になってくびになった浪人だろう?」
見下ろすメジロは侍・久田の名と経歴を答える。
別にこの男をどうしたからといって富貴嶋の派閥が何かをするとは思えない。
「だから、お前を消しても誰も気に留めない」
むしろ問題ばかり起こす男がいなくなってせいせいするんじゃないかなと笑った。
その笑い方が禍々しく、久田はびびるまくる。
「ひぃ、た、助けてくれ。もう何もしないから」
「チワの前に二度とでるな。約束を違えたら、わかっているな?」
三白眼の目で見降ろされて恐怖のあまり久田はこくこくと頷いて逃げ出してしまった。
「あれ、メジロさん?」
湯から上がってきたかん太は温泉の前で待つメジロに声をかけた。チワはまだ出てきていない。
「迎えに来てくれたんですか?」
「ああ、暗くなって危ないからとお六さんがうるさくてね」
肩を揺らして答えるメジロにかん太はくすくすと笑った。
チワのことが心配でたまらなかったのに、全く顔に出さない。
素直じゃないんだなぁ。
「佐平?」
後ろから声をかけられて一瞬でメジロは無表情になる。後ろをちらりとみると行商人の男がじっとこちらを見つめていた。四十の壮年の男であった。
「機部佐平だろう。俺だ。谷山権野だ」
ぴくりと反応して、メジロはすぐにとぼけた表情をした。
「すみません。人違いじゃないっすか?」
「いや、俺が見間違う訳ない。お前、今までどうしていたんだ?」
誤魔化しきれないと判断したメジロはかん太にぼそっと呟いた。
「チワと一緒に帰っておけ」
そう言い残し、権野と名乗る男と共に姿を消した。