7話 決闘の時間
神父は奥歯を噛んだ。
こんな下らない人間のために自らの聖職者としての立場を失う歯痒さに……。
自分の信仰を踏みにじられた悔しさに……。
「おいババア、離せ」
それは、あまりにも唐突な一言だった。
「はい? 今、なんと言いました……?」
セシリアに掴まれたままのフェレスが、透き通った青い瞳で彼女のことを真っ直ぐに見据える。
「お前のことをババアと言った。それより、『悪魔が相手であれば手段を選ばないのが聖職者』とお前は言ったな?」
セシリアはギリギリと歯軋りし、瞳を充血させながら答えた。
「ええ、あなたのような薄汚ない小娘のことよ。異端審問するまでもなく火炙りにしてあげるから、楽しみに待ってることね……!」
それからフェレスは神父へと視線を向けた。
「おいそこの神父……。私にはこの女こそ正しく悪魔のように見えるのだが、聖職者として立ち向かう勇気は、お前にはないのか?」
フェレスの問いに神父は呆然とする。
無理だ。
だって、どうやって立ち向かえと言うのだ……?
今まさに糾弾されているのは自分であって、彼女に反撃する手立てなど自分には何一つない。
フェレスは神父から自らの弾き手へと目を向ける。
「マスター……。マスターはどうしたい?」
フェレスの青い瞳にリリカは息を飲んだ。
確信はないが、彼女には考えがあるのだと思う。
起死回生の一手が、あの悪魔には見えている……。
たぶん。
それならリリカは、彼女を信じるだけだ……!
「フェレスちゃん……お願い……!」
「もちろん。私はマスターのピアノだから」
その瞬間、フェレスはひらりとセシリアの手から離れ、リリカのすぐ横へと駆け寄り、勢いよく振り返った。
彼女を取り逃がしたことに動揺したセシリアは、一瞬遅れて、自分の胸元に「何か」が投げつけられたことに気が付く。
それは白いハンカチだ。
フェレスは、振り向きざまにこちらにハンカチを放っていたのだ。
「貴族の礼儀では決闘を申し込む際に手袋を投げるらしい。手袋がなかったから、今回はそれで我慢して」
「我慢も何も……私が決闘を受ける義理がどこにあるんですか? それに、それは貴族同士の話でしょう?」
司教はこちらを見下しながら言った。
「私は聖職者ですし、百歩譲って同じ聖職者からであれば決闘の申し入れを受けてもいいでしょう。ですが、あなたたちは平民と悪魔ですよ……? 身の程知らずにも程がありますよね……」
セシリアの言い分はもっともだ。
リリカの立場から見ても、この決闘を彼女が受けるはずがない。
「それはどうかな? どうやらあなたにも悪魔が憑いてるようだけれど、それは教皇様にバレても大丈夫なやつなの?」
「……ッ!?」
フェレスの指摘にセシリアは動揺する。
「な、わ……言いがかりはよしてください……。誰が悪魔なんて……」
フェレスが指を鳴らすと、彼女の背後の空間が揺らぎ、一人の少女が姿を現す。
日傘を差したゴシックロリータ姿の少女だ。
ピンクと黄色の激しく入り交じったドリル状のツインテールに、気の強そうな赤いツリ目。そして背中にはご丁寧に黒い翼まで生えており、誰がどう見ても悪魔であることは明白だった。
「セリナ! なぜ出てきたのですか!!」
「隠れても無駄よ。足掻くだけ無意味。時間の問題だったから、自分から出てきてやっただけ」
「……ッ」
奥歯を噛むセシリアに神父が声にならない声で何かを言っている。
そして自分の中の動揺を抑えるように暫し黙り込み、それから顔を上げて言った。
「セシリア司教様……。先ほど、「同じ聖職者からの決闘であれば申し入れを受ける」と言いましたよね……」
「な、何ですか……私は司教ですよ!! あなたのような身の程知らずの神父が私に――
「そのハンカチは私からの決闘状です!!」
「――ッ!!」
神父の怒りの叫びにセシリアは思わず一歩退く。
しかし、それ以上は下がることが出来ない。
「墓穴を掘ったね、司教さん。悪魔に言質を取られることが何を意味するのか、あなたは知っているはずだった」
フェレスの放つ妖力にセシリアはギリギリと歯軋りする。
聖職者からの決闘であれば受けると、彼女はメフィストフェレスと「契約」してしまったのだ。
「逃がさないよ……?」
「はっ……! いいでしょう……ただし、終わった後泣いて謝っても赦しませんからね……。セリナ、奴らをぶっ潰しますよ……!」
セリナはセシリアの横に並び立ち、彼女の手元にコルネットを現出させる。
「リリカさん、フェレスさん……後は、お願いします……」
神父の言葉に二人は頷く。
「さっきの申し入れ、カッコよかったよ」
そうとだけ言うと、フェレスはリリカの目の前にピアノを現出させる。
彼女はピアノの前に腰掛け、フェレスはピアノにもたれかかり、こちらに睨みを利かせる相手の悪魔に、真顔のままこう言った。
「弱いマスターを持つと大変だね……?」