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6話 朝

 翌日、リリカは陽が昇ったその瞬間に目を覚ました。


「フェレスちゃん! 起きてください! 朝ですよ!!」


「いくら何でも早すぎるだろ……常識がないのか……」


「リリカは弾くためだけに生まれてきたので!!」


 フェレスは瞼を擦りながらあくびをする。

 リリカはピアノに掛けていた布を勢いよく捲り、蓋を開き椅子に腰を下ろした。


 平民育ちのリリカにとって、ピアノの椅子(キーボードベンチ)は特別だ。

 木材丸出しの普段使いの椅子とは違い、この椅子は弾力のあるクッション付き。

 座るだけで、気が引き締まる。


「マスター、こんな朝早くに何を弾くつもり? あと一時間くらいは寝ようよ……」


「グリーグの『朝』です!! フェレスちゃんもきっと目が覚めますよ!」


「縁起でもない……」


 エドヴァルド・グリーグの『朝』は戯曲「ペール・ギュント」の付随音楽だ。

 爽快感があり気持ちのいい旋律で、一日の幕開けにうってつけの名曲である。


 しかし、このペール・ギュントの朝のシーン……。

 一攫千金の夢を叶えたペールが、起床と共に、その財産が全て奪われたことに気付くという「最悪の朝」のシーンなのだ。


 そんなことなどお構いなしに鍵盤を叩き、ペダルを操り、気持ちよく演奏を続けるリリカ。

 フェレスは呆れたようにベッドに戻り、布団を被る。


 その瞬間、「ドシン!」と床が揺れた。

 ビックリして演奏の手を止め、二人は同時に床を見た。


「リリカ! 今何時だと思ってるんだ!! うるいぞ!!」


 下で寝ていた父が棒で床を叩いたらしい。


「はい……ごめんなさい……」


「ほら、マスター。もう暫く寝よう?」


「仕方がありませんね、教会に行きましょう……」



 † † † † †



「今日はいつも以上にお早いですね……」


 教会の掃除をしていた神父はフェレスのほうを見て眉根を寄せる。


「教会に悪魔を入れるのはあまり……」


「えーん。マスター、差別されました」


 フェレスはリリカの服の袖を摘まみ、嘘泣きした上にさらに嘘を重ねる。


「私は信心深い悪魔だから教会に入れないのは悲しい……」


「こう言ってますよ?」


「口だけは達者ですね……。これ以上面倒がかかるようなら祓いますよ」


 それを聞いたフェレスはリリカと顔を合わせ、それから仕方がないといった様子で肩を竦める。


「ケケケ……しようがねえ。今回のところはこれくらいにしておいてやるよ……ヒヒヒヒヒ……」


 教会を出ていくフェレスを見送り、リリカは神父にムッとした表情を向けた。


「ちょっとフェレスちゃんに意地悪し過ぎなんじゃないですか? あれじゃ本当に差別ですよっ!! 可哀想です!!」


「分かってくださいリリカさん……。私にも立場というものがありまして……」


 そう言いかけた瞬間、神父の顔が青ざめた。


「あらあら……こんな教会に近いところに悪魔がいるなんて、あらあら……。いけないわねぇ。本当に……いけないわぁ……」


 振り返ると、そこには修道服に身を包んだ一人の女性が立っていた。

 そして彼女の右手には、猫のように首もとを掴まれたフェレスの姿が。


「セ、セシリア司教様……!」


「あらあら、うふふ……」


「卑怯者め、出待ちするとは小賢しい」


 フェレスの無表情の呟きに、セシリアと呼ばれた女性はにこにこ笑顔のまま答える。


「ええ、悪魔が相手であれば手段を選ばないのが聖職者の務めですから。それで、レイデンシュタッツの神父さま? 悪魔を逃がすとは、一体どのようなご了見で? よろしければご教示の程よろしくお願いしますわ? うふふふふふふ……」


 一切表情の変化がないセシリア司教に、神父は怯えながら言い訳を紡いでいく。


「こ、これは……危険性が未知数な以上、下手に手を出せば村に被害が」


「ふふ、お答えにならなくても大丈夫ですよ?」


「そ、それはどういう……」


「ええ、このことはきっちりと教皇さまにご連絡致します。レイデンシュタッツは悪魔を匿う異端の村だと、私の口から、それはもうしっかりと……うふふ、うふふふふ……」


 セシリアの威圧的なオーラに神父は思わず壁にもたれる。

 リリカの目から見ても、彼女の放つ威圧感は尋常ではない。


「そ、それだけはご勘弁を……! 私の今までの振る舞いに一度でも過ちがありましたか!? 私は神の啓示に従い善き人として生きてきました! たった一度の過ち……どうか、どうか寛大なご処置を……」


「あらあら、それは違うわぁ。私はね、ヴォレーニア教の教えについてはさほど気にしていないんです……。わたしが気にしている唯一のものは、この世にただひとつ『権力』だけですよ……。ふふふ……」


 聖職者の立場にありながら権力が欲しいと何の躊躇いも無く言い放ったセシリアに、神父は目を見開く。


「セシリア司教……あなたは……」


「ええ、あなたを教皇に突き出すことで私の信仰心を示すのです。そしていずれは枢機卿の座を手に入れ、より高みからあなた方庶民を見下ろすことが、私の将来のひそかな楽しみなのです……」


 ピンク色の瞳をニヤリと歪ませ、セシリアは神父を見下ろした。


 この女司教の眼には、『権力』以外の全てが無に映っているのだ。

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