閑話 おやすみなさい
絵本のお姫様のようにきらきらしていて、天使のように小柄で細く、浮き世離れした異界の悪魔。
それが彼女、メフィストフェレス――。
年齢ひみつ、体重とってもかるい、身長150くらい。
ベッドに転がる悪魔を眺め、リリカは自室の椅子にもたれながら質問を投げかける。
「ねえ、メフィストフェレスちゃん?」
「なに、マスター。空から海でも落ちてきた……?」
「それは一体どういう状況ですか……。別に何って話ではないんですけど、メフィストフェレスってことは、あなたはファウスト伝説の悪魔ってことですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「答えになってないですよぉ!」
彼女は枕を抱いたままリリカのほうを見つめる。
「私が何かは関係無い。マスターが私を求めた。だから私はここにいる。ただ、それだけ」
「契約ってやつですか……それもイマイチよく分からないんですよねぇ……」
メフィストフェレスは飄々として掴み所がない。
核心について触れようとするとひらりひらりと逃げてしまうし、発言内容そのものに中身がなく、何を考えているのか読み取れない。
リリカは質問は諦め、椅子を立ち彼女のすぐ横に腰を下ろした。
「じゃあ、メフィストフェレスちゃん」
「なに、マスター。お腹痛いの?」
「お腹は痛くないです。メフィストフェレスって長いですし……これからは『フェレスちゃん』って呼んでもいいでしょうか?」
「うん。『犬にも劣る畜生下僕』でも『恥知らずの変態女』でも『グズでのろまな下等生物』でも『死に損ないのウジ虫野郎』でも、マスターの好きなように呼んで」
「そんな呼び方しませんよぉ! じゃあ、これからはフェレスちゃんって呼びますね!! フェレスちゃんっ!!」
「馴れ馴れしいぞ……人間風情が……」
「急に上から目線じゃないですか……」
「冗談だよ。怒らないで、マスター」
「怒ってませんよ~! それより、今日はもう寝ましょう! 本当はもっとピアノを弾きたいんですが、もう夜ですし、今弾いたら近所迷惑ですからね」
リリカがそう言うと、フェレスはベッドから起き上がり、何も言わずに真顔で顔を近付けてくる。
鼻と鼻が付きそうな距離まで近付き、リリカはビックリして背後に退く。
「きゅ、急になんですかフェレスちゃん……!」
フェレスは立ち上がり、部屋の隅のピアノのほうへと歩いていく。
「マスターには才能がある。きっとこの世界で一番のピアニストになれると思うよ」
そう言って彼女はピアノの蓋を撫で、それから振り返って言った。
「悪魔と契約した以上、マスターの人生は平穏無事では済まないと思ったほうがいい。時代の奔流の一番先、一番中心、一番急流な場所で、マスターは生きることになる。才能を持って生まれたということは、全部が全部幸福なこととは限らない。本来なら、マスターはその才能を隠して生きることも出来たはずだった。だけど、マスターは私を弾いてしまった。だから、マスターにはもう『退く』という選択肢はない。マスターは、これから死ぬまで『弾く』しかない」
フェレスはリリカの目の前まで来て、言った。
「『ひく』だけに、なんつって」
窓から風が吹き、彼女の銀髪を揺らす。
真面目な話をしていたはずなのに、どうして彼女は最後の最後に余計な一言を付け足すのか。
だけど、リリカは真剣な顔で頷く。
「別にいいですよ。リリカ、『弾く』ためだけに生まれてきたので」
ニッと笑う赤髪の少女を前に、悪魔はふっと微笑んだ。
「それではフェレスちゃん、今日は早めに寝てしまって、明日は朝早くから練習です! 覚悟は出来てますか? 私はかなり弾きますよ?」
「当然。私はマスターのピアノだから」
二人は約束し、今日のところは寝ることにした。
部屋の灯りを消し、リリカはベッドに潜り込む。
天井を眺め、これからの日々を無想して嬉しくなる。
これからは、いくらでもピアノが弾けるのだ。
これ以上嬉しいことなんて、きっと世界中探してもどこにもない。
「フェレスちゃん、お布団敷いたんでそっちで寝てもらえませんか? 狭いですよ……」
「すやすや。フェレスはもう寝ているようです」
同じベッドで隙間無く抱きついてくる悪魔に、リリカは溜息を吐く。
「寝ているなら仕方ないですね。……おやすみなさい、フェレスちゃん」
「うん。おやすみ、マスター」