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2話 運命の歯車は、ゆっくりと動き出す

 この世界の音楽の殆どは、"神才"と呼ばれた一人の男によるものだ。


 彼はライディアナ王国の下級貴族の出であり、彗星の如く登場し、きら星のように活躍し、太陽のように沈んでいった。

 彼が生涯に残した楽曲の数は数千曲以上と言われ、リリカが神父に見せてもらった「怒りの日」もそのうちのひとつだ。


 ではかの"神才"は「怒りの日」を作曲したリュリのことを指すのであろうか?

 いや、それは全くの間違いだ。


 神才は没する直前に自らの境遇についてまとめた本を世間に発表し、大きな混乱を巻き起こした。


 彼は異世界から来た異邦人だったのだ。

 彼が発表したあらゆる楽曲、あらゆる思想、あらゆる技術がこことは違う世界に由来するものだったのだ。


 それを知った教会は大いに荒れた。

 宗教的に"異世界"という概念をどのように処理するのか、教会勢力の並み居る重鎮たちが一同に介した大審問会まで開かれた程だ。


 神才は世界に混乱と発展と真実を残し、この世を去った。

 それから暫くの時を経て、世界はある程度の折衷案の中で何となくぼんやりとした平和を取り戻していた。


 神父は神へと捧げる教会ミサ曲の演奏を終えると、オルガンから立ち上がり、村人たちのほうへと口を開いた。


「みなさん、お疲れさまでした。これにて本日のお祈りは終了と致しましょう」


 村人たちはミサ曲の合唱を終え、それぞれに教会を後にする。

 そんな中で最後まで教会に残っているのは、真紅の髪のあの少女だ。


「神父様! やっぱり神父様のオルガン演奏は最高です!!」


「誉めちぎっても何も出ませんよ。そうやって隙を見ては演奏しようとして……悪い子は地獄行きですよ?」


「神父様もキツい冗談言いますね! 演奏させてもらえないのは残念ですが……こうして合唱が出来るのは楽しいですよね!」


「それは良かったです。きっと神様もリリカさんのその気持ちを喜んでおいでです」


 そう、この教会は"神才"のいた世界の宗教とは全く関係がない。

 カトリックでなければプロテスタントでもなく、ムスリムでなければ仏教でもない。


 だから、ここでは女性が声を出してはいけないという、かつてのカトリックやプロテスタントの教えとは無関係だ。


「神才さんのいた世界の"中世"という時代はさぞかし息苦しかったことでしょうね。なんで女の子は歌っちゃダメだったんでしょう! 私、プンプンですよ!!」


「なぜでしょうね……? 他宗教の教義については私も知りませんが、きっと色々なしがらみがあったんでしょう。大人になると多いですよ、そういうの……」


 リリカがピアノを弾けないのもそのしがらみの一つだ。

 そして、そのしがらみを彼女に押し付ける大人の一人が自分だと思うと、神父の心の荷は重くなる。


「……今日は特別にもう一曲演奏しましょうか」


 神父はオルガンの前に座り、鍵盤に指を添えた。

 リリカはそのすぐ横に駆け寄り彼の指の動きを凝視する。


 部屋中に音が響き、音色がリズムを紡ぎ出す。


 その最初の一音で、リリカは思わずワっと声を出した。

 ついさっき見せてくれた「怒りの日」だ。


 ここはキリスト教の教会ではないため異教の神に捧げられる場違いな鎮魂歌ではあるのだが……。

 そんなこと全く気にせずリリカは大喜びで歌い出す。

 歌詞の意味も作曲された経緯も気にせず楽しめるのが音楽のいいところだ。


 この「怒りの日」は「レクイエム」の歌詞のほんの一部分を切り取ったものだ。


 リュリの時代、「レクイエム」は全ての部分を作曲するのが当たり前だった。

 そんな中で、この「怒りの日」はたった一部分のみを切り抜いて作曲されたイレギュラーだ。

 しかも神に捧げられる鎮魂歌であるにも関わらず、この楽曲は劇的で、他の同時代の宗教曲とは一線を画す。


 作風においても作曲の経緯においても、この「怒りの日」は孤独で、他とは切り離された作品だ。


 演奏したいという想いと、それが出来る環境とが切り離された彼女のことを思い、神父は「怒りの日」を弾き終えた。


 リリカは大喜びで跳ね、神父は座ったまま顔を上げる。


「リリカさん、今日は暇でしょうか? もし暇であれば、これを隣町の『エーデルハイル・フィル・ハーモニー』に届けて欲しいのですが……」


 神父は懐から一枚の封筒をリリカに手渡した。


 宗教と音楽との間には密接な繋がりがある。

 この手紙も、エーデルハイルの音楽団とのコネクションを継続するために時たまやり取りしている私的な手紙で、本来なら郵便に頼むものなのだが……。


「ちょっと覗くくらいなら出来るかもしれませんね……なんて、独り言ですけど……」


 多少の罪悪感と、顔馴染みへのサービス精神から出た気紛れだ。


 神父の立場としては職権乱用気味で少し微妙な提案なのだが……。

 リリカは大喜びで手紙を受け取った。


「暇です! 暇じゃなくても暇ってことにします!!」


「それはダメでしょう」


「いいんですっ!! わぁあ~!! エーデルハイルフィルの生の演奏が見れるかもしれないなんて、本当に夢みたい……!」


 リリカはぎゅっと手紙を抱きしめ、神父に勢いよくお辞儀をする。


「神父様、ありがとうございます!! このお手紙は必ずお届け致しますっ!!」


 そう言って、嬉しそうに教会を後にする彼女の背を見送り、神父は苦笑を浮かべた。


「演奏が出来ないのならせめて本物の音楽団を見せてあげたいと思ったのですが……。今になって少しだけ不安になってきました……。リリカさんですからね……。あのリリカさんですからね……。ああ、変なことしなければいいのですが……」


 村一番の元気娘であるリリカ・クラヴィーアは愛され体質だ。

 村人たちからの評判もいいし、ああ見えて勤勉で働き者だ。

 だから神父も彼女にはよくしてあげたいと思うのだが……。


 正直、彼女は頭のネジが一本か二本くらい外れている。


「ああ、主よ……あの常軌を逸した音楽馬鹿をどうかお守りください……」

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