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17話 "紫の炎"

 リリカはオルガンの前に腰を下ろし、相手をちらりと流し見、それから鍵盤へと視線を下ろす。


 対するララは従者に自らの楽器を運ばせ、その弦をかき鳴らした。

 純白に輝く、艶やかな美しいエレキギターだ。


「私の得物はコイツだ。職人に特注し最高峰の材質から作成したエレキギター。魔力によって電気を流し、エレキの音色を模倣する。お前のその古ぼけたオルガンの音色など簡単に吹き消えるぞ……」


「さあ、どうでしょう? このオルガンは教会の所有する神聖なものです。神様の力が宿っているかもしれません」


 挑発に返される挑発。

 ララはリリカの言葉を鼻で笑い、神父が魔結晶を座に備えるのを見届けると、今回のセッションのルールを取り決める。


「ルールはカウンター・セッションだ。演奏中の作戦変更は一回限りの短期戦だ。私が勝てばフィーネ・フォン・オペレッタの身柄を差し出してもらう。お前が勝てば私はこの場を立ち去ろう。これでいいな?」


「ええ、問題ありません」


 リリカの言葉にララは笑い、ピックをエレキに押し当てる。


「負けても泣くなよ?」


「はい。それより、ララさんって男性……で合ってますよね?」


「なに……?」


「いえ、可愛いお顔なので、最初見た時女の子かと思いました。そちらこそ、女々しく泣いたりしないでくださいね……? 私、可哀想なのには弱いんです」


 リリカの言葉にライオネルは歯を軋ませ、ギリリと口端を歪めた。

 勝つためにこちらの動揺を誘おうとしていることは分かる。


 ララは息を整え、赤髪の少女を流し見ると、静かに目を閉じた。


決闘(セッション)開始(スタート)だ」


 瞬間、オルガンの音が流麗に響き渡った。


 J.S.バッハ

 「主よ、人の望みの喜びよ」


 美しく流れるような音色はシンプルでありながら、それが故に堅牢堅固な巨大建築のようでもある。

 ひとつひとつの音符が丁寧に積み上げられ、一部の隙もなく、全ての音が互いに絡み合って響く、内省的でありながら、心に響く旋律……。

 緻密に計算された名曲中の名曲……音楽の父・J.S.バッハの傑作カンタータ。

 それがこの「主よ、人の望みの喜びよ」だ。


 リリカがバッハを美しく奏で、一瞬遅れてララのギターが静かに入場する。


(出遅れ……? 曲は……バロック音楽……? ギターで……?)


 リリカは鍵盤に指を打ち付けながら、ララの奏でる音色に聴き入っていた。

 その音色はクラシックの風味を醸す、しかしどことなく不安定な音楽だ。


 クラシック同士の勝負なら、ララのエレキギターよりリリカの奏でる由緒正しい教会オルガンのほうが有利だ。

 それに、彼の奏でるこの音は……リリカの知る、どのクラシック楽曲とも合致しない。


 それもそのはず……


「舐めるなよ、女……ッ!!」


 刹那、ララの純白のギターが火を噴いた。

 壮麗なゴシック建築が爆破され、中からジェット戦闘機が現れたかのような衝撃が周囲にこだまする。


「ロックだ……ッ!!」


 騎士の一人が声を上げ、リリカはハッとした。

 ララは出遅れたわけじゃない。なんの考えもなく今回のルールを設定したわけでもない。


 ()()()()()()()()()()()()()


 ディープ・パープル

 「Speed King (2010 Remix)」


 クラシック調の冷たい音色が、瞬時にして灼熱のハードロックとなってリリカのバッハに襲いかかった。

 リリカはその強襲に対し、安易に強烈な打鍵を以て「ディープ・パープル」に対抗した。しかし、その安直さがマズかった。


「魔結晶が青に染まったぞ!! ララ様の有利だ!!」


「……ッ!!」


 リリカは即座に体勢を立て直すが、一度染まった色はそう簡単には元に戻らない。

 ララはニヤリと笑いリリカを見下す。


「女々しい音楽は聞かせてくれるなよ……?」


「ッ!」


 リリカはララを見上げ、それから自らの鍵盤へと視線を落とす。


 この戦いのルールでは、作戦変更は一回しか出来ない。

 つまり、次の楽曲を披露したら、リリカはその曲で最後まで戦い切らなければならない。

 それに対し、ララにも同じくあと一回の楽曲の変更権がある。恐らくその権利はこちらの楽曲に再度覆い被せる形で使ってくるはずだ。


 どう転んでも不利な状況は覆せない。

 安易な選択は命取りだ。


「……っ」


 リリカが冷静に奏でれば奏でるだけ、ララの熱の激しさが際立ってしまう。

 一度奪われた聴衆の心理はそう簡単には取り戻せない。

 藻掻けば藻掻くだけ、足掻けば足掻くだけ、ど壺にハマっていく……。


「ほらどうした? リリカ・クラヴィーア、お前が負ければフィーネはまず助からないのだぞ?」


「分かってます……。黙って弾いてられないんですか……?」


 焦るリリカを見下しララは笑う。


 「主よ、人の望みの喜びよ」は現在劣勢だ。

 ララが一瞬出遅れたのは、こちらの楽曲に合わせて観客の感情を掻っ攫うためだった。

 バロック音楽で入場したリリカに、同じくバロック調の音楽を被せ、それを引っ剥がしてロックへと観客の心を引きずり込む……。


「思ったより頭が回るみたいですね……」


「知らなかったか……? この私、ライオネル・ライディアナ・ライナーノーツは、この国一番のエレキの名手だ。挑む相手を間違えたなぁ、女?」


 ララの言葉にリリカは俯き、死んだように鍵盤を鳴らしていく。

 その姿に神父は奥歯を噛んだ。


(リリカさんの才能は本物です……。ですが、彼女は実際に楽器を弾き始めてからまだ日が浅い。戦いの中で劣勢に追い込まれた経験が少なければ、敵のペースの中で戦う術もまだ知らない……。この戦い、リリカさんには荷が重すぎた……!)


 垂れた髪に隠れて見えないリリカの表情を想像し、神父は歯噛みする。

 そして、ララは彼女のその醜態を見てニヤリと笑う。


 勝負あった。


 そう思っていた。

 彼女の髪の隙間から見える、ギラギラと輝く紫紺の瞳と目が合うまでは。


「みつけた」


 そう呟いた彼女に、ララは背筋が凍るような感じがした。


(な、なんだ……!? その目は……お前が私に勝つ手段はもうどこにもないのだぞ……!! 仮にそんな離れ業があったとしても……私にはまだ一回分の作戦変更権がある……っ!!)


「今、甘えたこと考えましたね?」


「っ!?」


 リリカの指が刹那的に加速し、今弾いている「主よ、人の望みの喜びよ」を終曲へと進める。

 彼女は顔を上げ、ララのほうを見て言った。


「その楽曲を選曲してくれてよかったです」


 そして、彼女が弾き始めた楽曲は相も変わらずクラシックの楽曲だった。

 しかし、その異様に(ララ)は瞬時に気が付いていた。


(まさか……)


 嫌な予感というものは、往々にして当たるものだ。


 ディープ・パープル

 「Concerto For Group And Orchestra」


 邦題にして「ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ」。

 イギリスのロックバンド「ディープ・パープル」と、イギリスの国民的オーケストラ「ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団」が合同(コラボ)で演奏した楽曲だ。


「希望は残っています……どんな時でも……!!」


 確かにリリカの経験は浅い。

 だが、彼女が戦って勝ったセシリアは腕利きのジャズマンだった。

 彼女の好んで弾いたジョー・"キング"・オリヴァーはこう言っている。


『私はいつも、なにか手立てがあると思っております。扉がひとつ閉じたなら、神様は別の扉を開けてくださるものです』


 リリカは既に、このオルガンで、神への感謝の曲を弾いている。

 主よ、人の望みの喜びよ……!


 彼女の瞳に紫色の炎が灯るのを見て、ララは息を飲んだ。

 この戦い、()()()()()()()()()!!

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