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1話 怒りの日

 レイデンシュタッツはライディアナ王国辺境に位置する小さな農村だ。

 特に目立った特徴は無く、どこにでもある普通の田舎といった印象のこの村に、一人の少女が住んでいた。

 

「おはようリリカちゃん!」

「リリカちゃん今日も早いねえ!」

「うちの子にもリリカちゃんを見習って欲しいよ~」


 まだ朝靄(あさもや)も晴れない早朝の下、真紅の長髪を高めの位置で結い上げた少女は、農作業に勤しむ村の人たちにニッと笑顔を見せ駆けていく。


「おはようございます! 今日もいい天気ですねっ!!」


 リリカ・クラヴィーアは農家の娘だ。

 年齢は15、身長は157センチ、体重46キロ。

 大好物はトマトで嫌いな食べ物は特になし。


 そして――好きなものは音楽だ。


「神父様! おはようございます!」


 勢いよく開け放たれた扉に男は肩をビクリとさせ、振り返る。


「リリカさん、今日も随分とお早いですね……」


「はい! 私、神父様のありがた~いお話を聞くのが大好きなので!!」


「そうですか、分かりやすい嘘ですね。あなたが聞きたいのは神の御言葉ではなく、音楽についてのお話だけでしょう?」


「よく分か……違います! 私は音楽なんて……全然……興味なんて……なくて……」


 チラチラとオルガンのほうへと視線を向けるリリカに、神父は大きな溜息を吐いた。


「ダメですよ、リリカさん。あのオルガンは神様への感謝を届けるためのものなのです。面白半分で触っていいものではありません」


 神父が話している間もリリカはそわそわとオルガンに羨望の眼差しを向けている。

 まるで話を聞いてない様子だったリリカだが、かろうじて神父の話も聞こえていたらしく、胸を張り紫紺の瞳にきらきら星を瞬かせて言った。


「それなら任せてください!! 私が神様への感謝をばっちり届けちゃいますよっ!!」


「ヴォレーニア聖典十章第十四節」


「汝、神の御言葉に心を寄せ、常に善き人としての勤めを果たすべし!」


「……………………はぁ、仕方が無いですね。特別に楽譜だけは見せてあげましょう……」


「やった-!! 嬉しいです!!」


 リリカは大喜びで神父の後について行く。

 二人は奥の間へと入って行き、棚から一枚の紙が取り出され、リリカへと渡された。


「いいですか、それはあなたがしっかりと勉強していることへのご褒美です。ですから、今後も神の啓示に従い善き人であり続けること。いいですか?」


「はい、そんなの朝飯前ですよっ!!」


 リリカは大喜びで楽譜を受け取り、テーブルの上に乗せ、食い入るように凝視を始めた。


「リリカさん? リリカさん……? はあ、この子は本当に……」


 リリカは微動だにせず、呼吸すら忘れて紙面の五線譜を見つめ続ける。

 そして三十秒、一分、三分が経ち……さすがに焦った神父はリリカの肩を揺する。


「リリカさん!死んじゃいますから呼吸くらいしてください! リリカさん!!!」


「は……っ! 今、私気絶しそうでした!! 神父様、助けて頂きありがとうございます!!」


「だからあなたには見せたくなかったんです!!」


 神父はリリカから楽譜を没収し棚の中に戻した。

 振り返ると涙目のリリカが小動物のようにこちらを見つめているが、あまり甘やかすと碌な事がない。


 なぜならこの子は……


「ここをこうして、そしてここから指を……こう! ここで強弱の印象を付けて弾いたらたぶんいい感じ……」


「生粋の音楽馬鹿ですからね……」


 リリカはテーブルを鍵盤に見立てて演奏している。

 コンコンと木目を叩き、本当にペダルを踏んでいるかのように足を捌く。


「これで一度も演奏したことがないって言うんですから、運命は意地悪なものです……」


 神父としての体裁のために「運命」と言ったが、本当なら「神」に小言を言いたいものだ。

 こんな田舎の農村でいくら農作物を収穫しても、ピアノを買えるほどのお金は一生かけても稼げない。


 神父は静かに目を瞑り、彼女が弾いているはずの楽曲。

 ジャン・バプティスト・リュリの「怒りの日」に耳を澄ました。


 怒りの日は「歪んだ真珠」を意味するバロック時代の楽曲だ。

 この時代の教会では女性は声を出すことさえ禁じられていたらしい。


 あれだけの熱意がありながらそれをぶつけることの出来ない彼女の境遇を想い、神父は「歪んだ真珠」という表現が今の彼女のためにあるような気がして、そっと戸棚を閉じた。


「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは斯く言いました。『"より美しい"ためならば、破り得ぬ<音楽的>規則など存在しない』と……。主よ、<宗教的>規則は、いかが致しましょう?」

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