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16話 決闘の時間

 ――レイデンシュタッツ教会

 ――午前10時


「いいから大人しく出せと言っている!!」


 艶やかな黒髪のボブが揺れた。

 真っ白な騎士風の衣装に身を包み、腰には煌びやかな装飾の施された剣を佩いた貴族。


 ガーネットのような赤い瞳が目の前の男を睨み、「お前なぞ村ごと滅ぼすことだって出来るのだ」と脅している。


「ですから、ここには誰も……。確かに馬は走って来ましたが、それ以外に変わったことは何もないんですよ……」


 対する男は聖職者だ。

 僧服を身に纏い、手には教典を抱えている。


「教会勢力の傘でも着ているつもりか? 忠告するがあまり私を舐めないほうが身のためだぞ……。この程度の村のひとつやふたつ、お父様の鶴の一声で明日にでも地図から抹消することだって出来るのだ。なあ、お前たち!!」


「はっ、ララ様の仰せの通りです!!」


 何人かの護衛の騎士たちが、一部の狂いもなく声を被せて主人の言葉を肯定する。

 それを前に神父は溜息を吐く。


「勘弁してくださいよ……本当に知らないんですってば……」


「あくまでしらを切るつもりか。しかし証拠は出ているのだ。あれを見ろ!!」


 ララの指さすほう、教会の外には一頭の馬が留まっている。


「近辺の貸馬の管理番号は全て調べ尽くしてあるのだ! あれは紛れもなくフィーネ・フォン・オペレッタの使っていた馬なのだ!! それを教会の傍に留めておいて、よくそのような嘘を吐き通せる!!」


「嘘じゃないですよ。……神父さん、ご迷惑をお掛けしました」


 貴族が振り返ると、教会の入り口に一人の少女が立っている。


 真紅のポニーテールを揺らし、夏の夜空を閉じ込めたガラス玉のような瞳を輝かせ、彼女は一歩、また一歩とこちらに近付いてくる。

 それを見て貴族は笑った。


「ハハハ!! ようやく諦めがついたか! フィーネ・フォン・オペレッタ!! お前には何度辛酸を舐めさせられたことか……」


 少女はララの前で止まり、その瞳を真っ直ぐに見据える。

 ララは少女の顎を指で上げ、顔を自分のほうへと向けさせる。


「しかし、自首をしてきた気概だけは認めてやらないこともない。お前はこの国では逆賊として永遠に恨まれ続けることになるだろうが……私だけはお前を評価してやろう」


「誰と勘違いしているんですか? 私の名前はリリカ・クラヴィーアです。そして……」


 貴族の胸に、少女は白いハンカチを押し付けた。


()()()()()()()()()()()


 少女が押し付けてきたその白いハンカチは、紛れもなくオペレッタ家のものだった。

 ララはハンカチを振り払い、少女の肩を押し出した。


「この期に及んでそのような世迷い言を……その程度の嘘でこの私が騙されると本気で思っているのなら……このライオネル・ライディアナ・ライナーノーツ、馬鹿にされたものだ!! 貴様はどこからどう見てもオペレッタ家のフィーネだ!! その赤い髪! 紫紺の瞳!! 何もかもがフィーネであることを証明している!!」


「私はリリカですよ。そうですよね、神父様……」


「は、はい……。この子は確かに、この村にずっと住んでいるリリカ・クラヴィーアさんです……」


 神父の言葉に貴族は苛立たしげに叫んだ。


「いいだろう!! そこのお前、魔結晶を持って来い!!」


 騎士の一人が魔結晶を運んでくると、ララはそれを手に取り赤い瞳をギラギラと輝かせる。


「この魔結晶にはフィーネの魔力波長を覚え込ませている。貴様がこれに触れて、青く変われば貴様はフィーネだ……さあ、早く触れろ!!」


 リリカはその魔結晶に触れ、自らがフィーネではないことを証明する。

 貴族はそれに眉根をよせ、騎士の男に予備の魔結晶を運ばせた。

 しかし、全ての魔結晶が彼女はフィーネではないと告げていた。


「信じがたい……本当にお前は……」


 ララはリリカの顔をじっと眺め、それから肩を落とした。


「お前、その白いハンカチは何のつもりで私に突きだした。それにお前は自らをオペレッタ家の刺客と名乗ったな……まさか……お前!!」


 リリカは貴族を見据え、静かに言った。


「私と決闘(セッション)してください。もしあなたが勝てば、フィーネは晴れてあなたのものです」


「ほう……」


 ララは右手で頭を抱え、それから苦笑を浮かべた。


「この私が負けることなど万に一つも起こりえないことではあるが……。お前が勝った場合には何を望む?」


「金輪際、フィーネさんに関わらないでください」


「それは無理な相談だな。私はお父様……つまりライディアナ国王の命を受けてフィーネの捜索を行っている。命令に背くことは出来ない。……今回だけは退いてやってもいいがな」


 貴族の言葉にリリカは俯き、考え込む。


 ここまではフィーネの証言通りだった。

 そして、途中まではフェレスの作戦通りに進んでいた。


 問題なのは、相手の提示してきた条件だ。

 こちらはフェレスの言っていた交渉術「ドア・イン・ザ・フェイス」を利用して要求を飲ませるつもりだった。


 つまり、一度大きな要求を出し、相手に断らせて、それから本命の要求を譲歩した形で提示するということだ。

 交渉の形式を成り立たせ、相手が譲歩したのだから、こちらも譲歩しなくてはならないという心理状態にさせ、こちらに有利な条件を取り付ける説得法だ。


 しかし相手はそう一筋縄ではいかない。

 こちらが要求する前に妥当な線で決闘の条件を出してきてしまったのだ。


「本来ならフィーネ本人が顔を出すべき場だ。お前のような従者の一人と決闘してやるだけでも感謝して欲しいところなのだが、私も鬼ではない。立場の許す限りでの最大限の譲歩はした。さあ、乗るか乗らないかはお前が決めろ」


 そう、この条件は相手(ララ)の出せる最大の条件だ。

 国王の命令による捜索において、ここで一度退くということは、一度王都に戻り、国王に手柄が無かったと報告することなのだから。それだけこの貴族の信用は失墜するし、家名に泥を塗る行為に他ならない。


 しかも……


「どうした? お前の主は貴族号すら剥奪された逆賊だ。本来なら決闘すら許されない立場であることを弁えろ。この決闘、お前には乗る以外の選択肢は存在しない」


 そうだ。

 フィーネには不利な条件しか存在しないのだ。

 それでもこの貴族が決闘の申し入れを受け入れるのは、従僕の騎士たちに自らの威光を示すためだ。

 逆賊に対しても、貴族同士の礼儀作法は弁える。


 それだけの器量がある主人であると証明することで、自らの威厳が高まると、この相手は打算的に考えている。


 フェレスはセシリアの時のように、勢いだけで押し通せなければ契約は勝ち取れないと言っていた。

 相手が冷静な場合、セシリアの時のように上手くは行かない……。


「……分かりました。その条件で決闘をお願いします」


 これ以上交渉しても今より良い条件は引き出せない。

 直接的に解決に繋がる条件ではないが、何とか時間稼ぎをして、後のことは終わってから考えるしかない……。


「神父様……今日だけ、あのオルガンをお貸しください……」


 リリカは神父に頭を下げた。

 追われているフィーネと、それと同等の立場にあるフェレスをこの場において姿を見せるわけにはいかない。

 「悪魔の契約」は達したが、それはあくまでも主人であるこの貴族との話だ。

 従者の騎士たちがいつ実力行使に出るか分からない。


 神父は困った顔で言った。


「リリカさん、それは……前にも言ったと思いますが、あれは神様への感謝を伝えるためのオルガンなのです……。軽い気持ちでは……」


「軽くなんかありません。神父様、命が賭かってるんですよ? 今回ばかりは神様も分かってくれるはずです」


「ですが……」


「セシリアさんに言いつけますよ」


「ぐぅっ……。リリカさん、あなたも案外したたかですね……」


 神父は教典を抱えながら苦悶の表情を浮かべ、それから首を振り、オルガンのほうへと歩いて行く。

 オルガンの前で神に祈り、それから鍵盤蓋を開けて溜息を吐いた。


「今回だけですよ……」


 神父の困り果てた顔に、リリカは頭を下げて言った。


「ありがとうございます……!」


 リリカはオルガンの前まで歩いていき、その鍵盤の前で息を飲んだ。

 リリカにとって、これは二度目のカウンター・セッションだ。


「大丈夫です……。前と同じように戦えば……」


 そして、今回は決闘(セッション)には、人の命を賭けている。

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