11話 300年後のカノン
あれから数日が経った。
セシリアとセリナは村での競演を成功させ、その次の日には帰っていった。
「フェレスちゃん! 朝ですよ!」
「むにゃむにゃ。フェレスはまだおねむのようです」
「起きてください~!!」
リリカはフェレスから毛布を剥ぎ取ると、彼女は過剰なほどにガタガタと震えながら言った。
「さ、寒い!! 死ぬ……! 嫌だ……まだ死にたくない!!」
「言うほど寒くないですよ?」
「演技だよ、マスター。おはよう」
「おはようございます! フェレスちゃん!」
リリカは部屋の隅に置かれたピアノに腰掛け、いつものように楽曲の練習を始めた。
今演奏している曲はパッヘルベルの「カノン」だ。
とくに何の逸話もない楽曲だが、1680年代というJ.S.バッハ以前の時代に作曲された楽曲にも関わらず、カノン進行は後世でも多用される程の高い完成度を誇っている。
控えめに言って、人類共通の遺産だ。
純粋に良い曲なので、今は好みの問題で弾いている。
「カノンといえば、カノンロックが有名ですよね~!」
「ジャズの次はロック……? マスターの節操なし」
「フェレスちゃんの情緒のほうが節操なしですよね……?」
カノンロックは2000年代に台湾の作曲家「JerryC」が上記カノンを編曲・公開したもので、それ以降世界中の人々がこぞってカバーした現代の名曲だ。
現代でも名の通るクラシックの名曲の中でも、さらに古い時期に作曲されたカノンがロックとして復活し、世界中を魅了したというのは何とも胸が熱くなる話である。
「音楽の歴史って面白いですよね! 古いものが掘り起こされて、新しいものに作り替えられる……。協奏曲や交響曲なんかも、フランツ・リストのピアノ編曲バージョンがたくさんあったりしますよね!」
その言葉にフェレスはびくりと肩を揺らし、それから毛布を被ってベッドの中に潜り込む。
「まあ、古いものを自分好みに演奏する楽しみも音楽の中には含まれる。そういう意味ではジャズなんかはまさしくその楽しみ方の中心的存在だと思うけれど……」
「あれ、フェレスちゃん珍しく音楽について語りますね! もっと沢山話してもいいんですよ! なんたって、フェレスちゃんはピアノの悪魔ですからね! ……あれ、ピアノの悪魔といえば」
そこまで言いかけて、階下から母がリリカのことを呼んだ。
「朝ご飯の時間ですね! 行きましょう、フェレスちゃん!」
「うん。半熟の目玉焼きが楽しみ」
† † † † †
「それにしてもフェレスちゃんは可愛いわね~! お母さんの若い頃にそっくりだわ~!」
「はっ!? もしや……フェレスはマスターの生き別れの姉妹……?」
朝食を摂りながらワケの分からない会話をする二人を尻目に、リリカは父と音楽談義を繰り広げていた。
「ロックの頂点はやっぱりレッドツェッペリンだよなぁ!!」
「そこは無難にビートルズではないでしょうか?」
「それなら俺はエリック・クラプトンを推す!」
「クイーンも外せませんよ!!」
ただ単に自分の好きなバンドを鳴き声のように発する二人を尻目に、フェレスと母は食事を終え、皿を片付けた。
「マスター、早くしないと置いてくよ?」
「あ、待ってくださいフェレスちゃん! ていや!!」
「リリカ! お行儀が悪いわよ!」
皿の上の料理を残ったパンに乗せ一口に頬張り、母のほうに親指を立てるリリカ。
フェレスを引き連れ、そのまま家を出て行ってしまった。
「それにしても、フェレスちゃんっていい子ねえ! 洗ったお皿がピカピカだわ!」
「うちに悪魔が住み着くとは、人生、何が起きるか分からんな! ガハハ!!」
† † † † †
「神父様! おはようございます!」
「リリカさん、フェレスさん。おはようございます」
あの戦い以降、神父はフェレスが教会に立ち入ることを禁止しなくなった。
なんでも、"上"から圧力をかけられているらしい。
教会勢力が教会に悪魔を入れろなんて圧力をかけるはずがないので、たぶん"上"というのはセシリアさんのことだと思う。あの人なら権力を傘に着てそれくらいのことは言いそうだ。
「フェレスさん、せっかくですしそこの荷物を奥の間に運んでいただけませんか?」
「代わりにこの教会を我が手中に収めるが、それでもよろしいか?」
「いいわけがないでしょう……」
「むぅ……軽い気持ちで悪魔と契約すると命取りになると学んだな? マスター、コイツ意外と賢いです」
「聖職者として当然の知識ですけどね……。セシリアさんは熱くなって乗せられてましたが、私はそうはいきません」
フェレスは木箱を持ち上げ、それを奥の間へと運んでいく。
その様子を眺め、神父は、この悪魔は冗談や嘘ばかり吐くものの、意外と人間に協力的ではあると認めつつあった。
「ケケケ……このまま神父を懐柔してこの村を破滅に追い込んでくれる……」
「お疲れ様ですフェレスさん。……リリカさん! 自分のピアノがあるのにまだオルガンに未練があるんですか!?」
「だって……」
無断でオルガンを弾こうとするリリカを窘め、神父はため息をついた。
実際にピアノに触れ、音楽を奏でるようになったリリカは思う存分に今までの鬱憤を晴らし、時間さえあればフェレスのピアノを弾いていた。
そんな彼女を見れば、「ああ、もう欲求不満は解消されたんだなあ」と思うのが普通だろう。
逆なのだ。
すべてが逆。
むしろピアノに触れたせいで悪化したまである。
彼女はセシリアとの対戦を経て、ピアノ以外の楽器に対する興味を絶賛爆発中なのだ。
ギター、トランペット、オルガン、チューバ……それはもう、触れる機会さえあれば飛びつかんばかりの熱意で神父にその魅力を語ってくる。
ドラッグ中毒者にドラッグを与えても、中毒が悪化するだけで満足はしないのだ。
「はあ……今日も"あれ"がお目当てですか……?」
「はい! 当然です!!」
「当然ですじゃないですが……。まあ、いいでしょう。相変わらずお勉強はしっかりしているようですし……」
ここは辺鄙な田舎の村だ。
図書館なんて大層なものがあるはずがなく、本を読もうとすると、この教会以外に頼れるような場所はどこにもない。
「今日も十五分だけですよ。お好きなものをどうぞ……」
「わぁ! ありがとうございます!」
リリカは神才の残した本のうちの一冊、「ロックバンド大全」を手に取った。




