閑話 未来はいつも「霧の中」のように不透明で
「それで……負けておいて厚かましいお願いではあるのですが……」
セシリアは申し訳なさそうにリリカたちにそう呟き、頭を下げた。
「セリナのこと……他言しないで頂きたいのです……」
亜麻色の髪が垂れ、顔はよく見えない。
しかしその声音は真摯さを感じさせ、決闘以前の見下したような態度はどこにも残っていなかった。
「こんなお願いが出来る立場でないことは重々承知です……。しかし、私はどうしても、今の立場を失う訳にはいかないのです……」
「事情は私から話す」
セシリアの前にセリナが立ち、なぜ、彼女が「権力」を欲するようになったのか、なぜ彼女は教皇を目指すのかを話し始めた。
話を要約すると……セシリアは、教皇に母を殺された。
病弱な母を医者に診せるため街に赴いたその日、教皇の乗った馬車が進路を狂わせ、彼女の母は轢き殺された。
教皇はその様子を見ていたにも関わらず、まるで気に掛ける様子もなくその場を立ち去って行ったという。
人が轢かれたのに、母が殺されたのに……街の人達は誰一人として母を助けようとも、教皇に声を上げようとも、セシリアに手を差し伸べようともしなかった。
それは彼女の母を轢いたのが「教皇」という最高権力者であるからだ。
市民が声を上げたとして、そこから先何が起きるのか誰も予想が付かなかった。
セシリアは、その日すべてを悟った。
母がゴミのように殺されたのは、誰も自分を助けてくれないのは、自分たちの立場が弱かったからだ。
セシリアは誓った。もう誰にも見下されないくらい偉くなって、誰もが自分を尊敬するような「権力」を手にすると。
そして、いつかその権力の力を振りかざし、あの教皇に復讐するのだ。
その願いを叶えるために、セリナは彼女と契約した。
「セシリアには未来が必要。どうか、今回だけは見逃して欲しい。私からも、お願いします……」
セリナは誠心誠意頭を下げ、自分たちを見逃すように懇願する。
リリカは神父と顔を見合わせ、神父は頷く。
「顔を上げてください、セシリアさん、セリナさん」
顔を上げたセシリアに、リリカは彼女の手を掴みぎゅっと握った。
「セシリアさんと私たちはもう音楽仲間なんですよ? 仲間を売るようなことは絶対にしません!」
その言葉を聞き、セシリアは息を飲む。
そして、神父のほうを見た。
神父は微笑み、聖典を翳して言った。
「聖職者は"赦す"ためにいるものですから……」
セシリアはそれを聞き、安心したように、その場に静かに泣き崩れた。
セリナは彼女の背をさすり、フェレスのほうへと視線を上げる。
「セシリアを恨まないであげて……。それと……あなたは弱いマスターって言ったけど、セシリアが本当に弱いかどうかは、これから次第だから……」
そうとだけ伝えると、彼女はセシリアを立たせ、教会を後にしようとする。
その肩を掴み、フェレスは肩を竦めて言った。
「泣きながら帰られると後味が悪い」
† † † † †
同日、夜――
酒場には村中の人々が押しかけ、二人の音楽家の演奏を今か今かと待ちわびていた。
「こんな場で、しかも協演するなんて初めてです……」
「大丈夫。マスターも初めてだから」
「それ本当に大丈夫なんですか!?」
「ダメでも問題ないわ。別にこれは決闘でも何でもないんだから。それでも緊張するようなら、最初に派手な失敗やらかしちゃいなさい。そうしたら、後はやるようにやるだけなんだから」
フェレスとセリナの無責任なアドバイスにセシリアは肩を竦め、隣のリリカは楽しそうに笑う。
「フェレスちゃんもセリナちゃんも、いい悪魔ですね!」
「良いも悪いもマスター次第だよ、マスター」
「別に……私は当たり前のことを言ってるだけよ」
二人の悪魔に微笑み、リリカはセシリアと顔を見合わせる。
舞台の向こうからは期待に胸を膨らませた聴衆たちが、二人の登場を今か今かと待っている。
「ジャム・セッションはジャズ発祥の演奏形式です。今夜はセシリアさんの得意なジャズで盛り上がっちゃいましょう!」
「でも……何を演奏すればいいのか……」
リリカはウィンクし、舞台上のピアノを見て、それからセシリアの持つコルネットを流し見た。
「まさか……"あれ"ですか!?」
「ピアニストとコルネッターがいるんですから、今日の決闘を予習していれば当然の選曲です!」
「でも、あれはピアノソロ曲ですよね……?」
「即興はジャズのお家芸でしたよね、セシリアさん?」
挑発的なリリカの表情に、セシリアは彼女の思惑を理解し口端を上げた。
協演とは言っても、ジャム・セッションは腕前を競う側面の大きな演奏形式だ。
「なるほど……確かに、それはいい考えです」
二人は肩を並べて舞台へと上がり、観客達の拍手喝采に笑顔で応えた。
リリカがピアノに腰掛けるのを見ると、セシリアは客席に一礼する。
そして互いの楽器を構え……
「「それでは聞いて下さい……ビックス・バイダーベックの『In A Mist』!!」」
騒がしい酒場に、楽しい音楽が弾け回った。
ジャズの黎明期を牽引した王様は、こんな言葉を残している。
『私はいつも、なにか手立てがあると思っております。扉がひとつ閉じたなら、神様は別の扉を開けてくださるものです』
二人の運命はここから、「別の扉」へと進んでいく……。




