8話 "キング"
「ルールはカウンター・セッション。演奏中の作戦変更は二度まで。私たちが勝った場合には、あなたたちは無抵抗で拘束されること。私とセシリアが敗北した場合には……あなたたちを見逃す。条件はこれでいい?」
セリナの言葉に一同が頷く。
カウンター・セッションはこの世界独自の演奏形式だ。
対戦者同士が同時に音楽を奏で始め、相手の曲を「圧倒する」「利用する」「掻き消す」「協奏する」……とにかく、どのような手段を使ってでも、聴衆に対して「自分の演奏のほうが優れていること」を誇示することがこの勝負の勝敗の付け方。
つまり、何でもいいからぶっ飛ばせ。という意味だ。
作戦変更というのは演奏している楽曲を変更することだ。
今回は二度まで、つまり最大で三曲まで披露することが出来る。
相手と自分が別の楽曲を演奏する以上、必然的に演奏技能の純粋な優劣を見分けることは難しい。
選曲のセンス、得手不得手、状況に合わせた作戦変更等を総合的に見て、最終的には観衆の心の揺れ動きによって全てが決する。
それでは、その数値化の難しい「心の揺れ動き」をどのように判断するのか。
神父が、奥の間から取り出してきた魔結晶を中央の座に配した。
全てはこの結晶で判断する。
赤に変わればリリカが勝利、青に変色すればセシリアの勝利。
この場にいる人々の感情の総量によって、その色が決まる……。
「うふふ……ぶっ潰される準備はいいかしらぁ?」
「はい、いつでも大丈夫ですよ!!」
リリカの挑発をものともしない態度に、セシリアは顔を顰めた。
既に教会には村人達が集まっており、この戦いの行方を見守っている。
魔結晶は音楽によって動いた感情以外には反応しない。
リリカが聴衆の贔屓によって勝利することはあり得ないということだ。
(哀れなことね……純粋な技量勝負で私に勝てるわけないのに……)
セシリアはコルネットを構え、真紅の髪の少女を見下す。
リリカは鍵盤に指を添え、譜面台越しに亜麻色の髪の乙女を見上げた。
刹那、二つの音が弾け、戦いの火蓋が切って落とされた。
ジョー・"キング"・オリヴァー
「Dippermouth Blues」
J・S・バッハ
「平均律クラヴィーア曲集 第一巻:フーガ第16番 ト短調」
二つの音が激しく火花を散らし、聴衆たちを音楽の世界へと誘っていく……。
リリカは盤上に指を走らせつつ、敵の選曲に驚き目を見開いた。
隣のフェレスが呟く。
「ジャズで来たか……」
「いかにもクラシックって容姿でしたので、ちょっとだけ驚きました……」
「マスターは自分の演奏に集中して」
「分かってますよ……」
セシリアの「ディッパーマウスブルース」は1885年に生まれ、ジャズの黎明期を牽引したジョー・"キング"・オリヴァーの作曲だ。
ジャズの発祥は19世紀末のニューオリンズとされている。
奴隷制から解放された黒人たちが、南北戦争後に払い下げとなった軍楽隊の楽器をタダ同然で手に入れた。
彼らは楽譜が読めなかったため聴いたものを見よう見まねで演奏し、そこに偶然生まれた原曲との差異や、生まれ持った黒人特有のリズム感が混じることでジャズの原形が生まれていく。
オリヴァーは奴隷解放から一世代下の黒人であり、彼は幼少期からこのジャズに触れ、そして憧れてきた。
その憧れの対象は、誰もがその技量を賞賛するコルネット吹きの頂点「キング」だ。
当時のジャズの世界では、最も優れたコルネット吹きは「キング」と呼ばれたのだ。
ジョー・"キング"・オリヴァーはその憧れの座を手にするため、自らの実力ひとつでのし上がる。
セシリアは高らかに、天高くコルネットの音色を響かせた。
欲しいものは、周囲からの賞賛だ!
それが音楽家の本質であり、目指すべき目標である……。
セシリアは心の底からそう信じているのだ。
だからこそ……
貫くような高音……激情に震える低音……
その全てを込めて、セシリアのコルネットは音で空間を支配する。
(私は……司教なんて座に興味はない! 枢機卿ですらまだ温い。私はこの世界の頂点……"教皇"の座が欲しい……!! そのためなら何を犠牲にしたって構わない……誰だって踏み台にしてやる……!)
激しさを増す音符の津波がリリカのフーガへと襲い来る。
音符の一つ一つが必殺、そして、"軽快"でありながら"重い"のだ。
しかし、リリカは指をしならせ自らの演奏に集中する。
セシリアの演奏の軽妙さが曲調に由来し、その重さが彼女の激情に由来するのなら、リリカにだって同じことが出来るはずだ。
(……っ!!)
リリカの指が加速した。
序盤の動きはウォーミングアップだ。
まだ彼女は本気じゃない。
(舐めやがって……!!)
コルネットが火を噴くようにして激しく唸る。
「なんだよこれ……こんなセッション初めて見たぞ!!」
「司教様は凄いけど、リリカちゃんも負けてないな……」
「まるで音が目に見えるようだ……!」
聴衆たちは思い思いの感想を呟く。
そして次の瞬間、彼らは思わず歓声を上げた。
モーリス・ラヴェル
「ピアノ協奏曲 ト長調」
リリカの旋律がバッハから一気に時代を駆け上り、印象派のラヴェルへとその音色を移し変える。
その間、約200年……。
「リリカちゃんが作戦を変更した!?」
「ってことはリリカちゃんが不利ってことか……?」
「作戦を変えざるを得ないほど追いやられてたのか?」
聴衆たちの声の中、神父だけは彼女の目論みを理解していた。
「逆です……。リリカさんは、勝負を仕掛けにいったんです……」
リリカの旋律の変化に、セシリアは思わず度肝を抜かれた。
由緒正しいバッハの「平均律クラヴィーア曲集」との温度差にではない。
この曲には、ジャズの潮流が感じられる……
リリカ・クラヴィーアの瞳が赤く燃え上がるのを見て、セシリアの顔が青ざめた。
カウンター・セッションはこの世界独自の演奏形式だ。
対戦者同士が同時に音楽を奏で始め、相手の曲を「圧倒する」「利用する」「掻き消す」「協奏する」……とにかく、どのような手段を使ってでも、聴衆に対して「自分の演奏のほうが優れていること」を誇示することがこの勝負の勝敗の付け方。
そう、彼女はセシリアの演奏を「利用して」より高みへと登ろうとしている……。
(私を踏み台にしたのか……ッ!!!!)
モーリス・ラヴェルはジャズの影響を受けている。
激昂したセシリアの瞳が憎しみに燃え上がる。
そして、彼女は自らの認識を改めた。
目の前の平民は、強敵だ。




