第4話《混乱してる混乱してる》
鈴郷さんいわく3LDKだそうだ。なんなこっちゃよくわからなかったけど学生の身分で借りるような部屋ではないと思った。
一月の家賃を聞いたら、いまはなき我が家の食費半年分が軽く賄える金額だった。絶句した。
これが格差社会ってやつかー……なんて感傷に浸った。
掃除を始めてぼちぼち時間が過ぎて気がつけば日が替わっていた。まあ、始めた時間が時間だったし。ちょうどダイニングの掃除があらかた終わったところだった。
区切りがよかったので、とりあえずこの辺で一旦終了。
「うん。うん」
なんか知らんが腕を組んで鈴郷さんは満足気に頷いていた。
「やっぱり綺麗な部屋はいいわね。あの惨状をものの4、5時間でここまで綺麗にするとはね。よくやったわ有松」
「どういたしまして」
ピカピカである。
自分でもよくやったと少しだけ自分で自分を褒めてやりたい。
しかし、久しぶりに骨が折れる激闘だった。
強敵そのいちカップラの容器。いくら捨てても捨てても次から次へと温泉のように溢れ出てくるカップラの容器。途中で終がないのかとさえ思うようになるほどだった。
あと、地味に強烈だったのが、強敵そのに鈴郷さんの衣類だ。主に下着。
服やらだけならともかく下着すら脱ぎっぱなしだったのだ。しかも、これはこれで相当な数があった。健全な男子としては美人の履いていたという生々しい下着2、3枚を手にトイレに駆け込みたかったのは言うまでもない。今回はなんとか理性が勝ちはしたが、今後いつ理性が負けるとも知れない。
これから鈴郷さんの貞操が守られるか、否かは神のみが知る。いやまて、頑張ってよ俺の理性。
鈴郷さんいわく、下着は全て使い捨てなのだとか。洗濯なんて出来ない、かといって一度履いたものを洗わずに使いまわすのは生理的に、むしろ、女の子として無理だと。
「鈴郷さんは一人暮らしを始めてどれくらいたつの?」
「高校に入学してからだから、もうすぐ一年ね」
二月の下旬、もうすぐ三月、もうすぐ進級。
となると入学してから今までってことだから下着は軽く300以上あったのか?
「始めのころはちゃんと捨ててたんだけどねー。最近はめんどくさくてほったらかしだったわ」
今、思った。いや薄々気がついてたけど鈴郷さんはダメ人間だ。そして貧乏の敵。これだからゆとり世代は。同級生だけど。
基本的に捨てるという発想のない俺は鈴郷さんの衣類は一まとめにしといた。明日にでも洗濯するつもりだ。
※
「無難に押し入れね」
「文句はない。だけど無難って言葉に引っ掛かりを感じるんだけど」
「住み込みの寝床の定番っていえば押し入れじゃない」
青狸しかり。
そんなこんなで私は有松に寝床を指定していた。
「それじゃ、布団は……って、そうだ。布団一組しかなかったわ」
今は2月。流石に布団なしで寝るには厳しい。具体的にはまだ寒い。
「んー……俺は別に布団なしでも構わないよ。寒いのには馴れてるから」
「まさかとは思うけど有松の家には布団すらなかったの?」
「近からずも遠からず」
かわいそ、と思った。それは失礼なことなのかも知れないと思いながらも私はそう思わずにはいられなかった。
「寒くは、ないの?」
「さぁてね」
有松は言葉を濁して、苦笑を浮かべる。
「屋根があればそれでいいと思う」
「……」
不意に頭に浮かんだのは寒空の下、公園のベンチで身を震わせて眠る有松の姿だった。
イメージの中の有松が「ひもじい」と寝言を漏らした気がした。結構ベターな想像だった。
私にはわからない。
「あ、有松!あんたは私の、だ、だ、だだだ――」
年甲斐もなく吃る。いや、年齢関係ないけど。緊張していた。これでも私は普通の女の子。今から言おうとしていることは少し、いや、かなり恥ずかしい。
「だ、抱き枕になりなさい!はい、決定!文句言ったら今すぐ追い出すから!」
「んなっ!?」
有松わかりやすくビックリ。そりゃそうだ。
私は有松の腕を強引に引ったくると、何も言わせないまま、ダイニングから、もとから比較的綺麗であった寝室に引っ張っていく。
そこにはベットがひとつ、私がいつも使ってるものだ。
「せい!」
「ちょ!?」
すかさず私は部屋の電気を消して、有松の後ろに回り込みタックルをくらわした。ベットに押し倒された有松。そんな有松に高らかに宣言。
「か、観念しなさいッ!?」
「観念!?え!?何を観念するんですか!?」
いや、そう聞かれては私が困る。ノリと勢いで言ったことだし。
「とりゃ!」
そのままのノリと勢いで私も有松がいるベットに飛び込んだ。
すかさず有松おも巻き込んで掛け布団を上から被る。
「ね、寝るわよッ!」
目の前に迫る耳まで真っ赤に染めた有松の顔。伝わる人の熱。呼吸してるのがわかる。心臓がドクンドクン動いてるのがわかる。あ、これは私の心臓がだ。
「……」
「……」
訪れるなんともいえない嫌な沈黙。
「な、なんか喋って」
耐え切れず私が口を開いた。
「え?寝るんじゃなかったの?あ、じゃぁ……その……ちゅーしてもいい?」
「な、ななな何馬鹿なこと言ってんの!?」
「いや、そういう雰囲気なのかと……」
「あ、あんたにはまだ早い!」
「ご、ごめん」
「……」
「……」
また沈黙。
「ね、寝るわよ」
とは言ったもののお互い目を閉じない。ずっと見つめ合ったまま時間が過ぎる。なんとなく先に目をつぶったほうが負けな気がした。
「ね、寝ないのか?」
「あんたこそ」
「……いやその」
「……」
「……」
「じゅ、じゃあ」
「なに?」
「せーので目を閉じましょう」
「わかった」
「いくわよ」
「おう」
「「せーの」」
「……」
「……」
「……なんで閉じないのよ」
「……鈴郷さんだって」
「……」
「……」
「……よっと」
「……あ」
ごそりと有松が布団の中で身じろいだ。襲われる!?あらぬ想像が脳裏を過ぎった。が、そんな想像を他所に有松は私に背を向けただけだった。
「こ、これで大丈夫?じゃないか?」
「ん……まあ……大丈夫……?」
いや、なにが大丈夫なのか。混乱してなんかよくわかんないことになってた。
お互いの鼓動と時計の秒針のオト、それに遠く聞こえる車のエンジン音。こんな時間でも街は動いているんだなと、勤めて余計なことを考えながら心を落ち着ける。
随分、落ち着いた。そして、落ち着いた私は目の前の背中に抱き着いた。
「え!?ちょ!鈴郷さん!?」
「あ、あんたは抱き枕なのよ!?」
やっぱり落ち着いたのは気の性だったみたい。まだ、混乱してる。混乱してる。本当に混乱してるんだからね!?
「あ、あの……その……」
吃る有松。そりゃそうだよね。逆に平気にされたら、それはそれでなんか悔しい。
「……あ、あったかいな」
有松はそうぼそりと呟いた。
「……そうだね。あったかいね」
これが人の温もりなのかと思った。