第31話《がぱりーん》
メガネがある。
メガネがぷかぷかと宙に浮いている。
私はそのメガネにチョップする。
メガネがパリーンと割れた。
メガネがパリーン。
メガネガパリーン
ガパリーン。
がぱりーん。
「がぱりーん!」
「は、はい?つ、ツキ姉さん、急にどうしたの?」
「赤緒」
「ん?」
「がっっぱぁりぃーーん!!」
「は、はぁ?」
メガネがぱりん、メガネがぱりん。がっっぱぁりぃーーん!!がっっぱぁりぃーーん!!
「ヒャッホー!」
「……姉さんはお眠のようね」
「ああ、なんだ寝ぼけてるだけか。びっくりした」
「いぇやっはー!」
「たまにあるのよね」
「がぱりーん!がぱりーん!」
※
「そういえば、有灯ちゃ――」
バキッ!
「うごっ」
「呼び方が違う」
「うぅ……ご、ごめん……それで、そのハニー?」
「なに?ダーリン」
「今日は帰らないの?」
ツキ姉さんを寝かし付けて、時計を見ると時刻は10時過ぎ。
いつもならば9時頃には帰宅する有灯ちゃんだが。今日はまだ帰宅するそぶりを見せず、リビングでぼけっとデレビ見ていた。
「明日、土曜だし」
そういえば、そうだった。学校にいってないから完全に曜日の感覚がなくなっていた。そうか、なんやかんやで、俺がここに住まわせて貰って、もう一週間ってところなのか。
「じゃあ今日は泊まってくんだね」
「ん」
短い返事が返ってくる。
「そういえば、有灯ちゃんって何処で寝るんだ?」
確かここにはツキ姉さんが今使ってる布団一組というかベットが一つしかなかったはずだ。
「姉さんと同じ布団よ」
「へぇ」
一つの布団で姉妹が一緒に寝る……。
まさか!姉妹でめくるめく、トレビアンというかレZビアンな展開に!?いやまて、それは流石に飛躍しすぎか。それにエロ自重しろ、俺。なにがレズBアンだ。それはいろいろとアウトだろう。
まあ、純粋に仲が良いのだろう。姉妹仲が良くてなにより。仲良きことは美しきかな的な。
「……」
「……ん?有灯ちゃん、どうしたの?」
なにやら有灯ちゃんが薄目で俺を見ていた。
「……ダーリンってどこで寝てるの」
「ツキ姉さんと同じ布団だけど」
瞬間、ピキリと場の空気が凍り付く。っていうか氷結した。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……おい」
「は、はい……?」
「……ちょっと顔貸せや、変態」
ぴんぽんぱんぽーん。
これより先はしばらくお見苦しい映像が続きますので、お客様のご気分を害すると思われます。ですので、しばらく映像を差し替えされてもらいます。
お花畑の(バキッ)映像。
有松赤緒はその日リビングの床で深い、深い、寝りについた。
※
お腹が空いた。
最後にまともな食べ物を口にしたのは何日前のことだったろうか。
ああ、あれか。一週間ぐらい前に道端で知らないお婆さんに貰ったやきのりが最後だった。
もとより、無一文で旅に出たわけだし、出発するときに赤緒から貰った食パンは初日で全部食べてしまったわけだし、完全に行き当たりばったりだっわけだし。
いつものことなんだけど!
でも、そろそろ限界が近い。この一週間、水道水だけだったわけだし、塩すら摂取してないわけで、よく生きてると思う。
よし。久しぶりに帰ってきたことだし、家に帰る前に赤緒の所に寄って、なんか恵んでもらおう。
といっても、あそこには食パンしかないから、食パン確定だろうけど。
まあ、それをお土産にすれば強奈ちゃんの怒りも少しは収まるだろう。赤緒の食パンは鎮静剤の替わりだ。
今回は何も言わずに出発した上に、今まで一回も連絡していない。そもそも携帯の充電が1日ともたなかったのだからしかたない、よね?出発前に充電してなかったけど。
しかたないとはいえ、強奈ちゃんが怒っているであろうことは確定事項。今更だから腹は括るけど……今日はお説教やらDVのフルコースかなぁ。あ、DVはドメスティックバイオレンス、家庭内暴力の略な。
と、そんなこんなで俺は赤緒の家であり、パン屋さんでもあるベーカリー有松に向かった。
向かったのだが……。
「あれ?さら地になってる?」
来てみたはいいが、そこは剥き出しの地面が広がるだけのただのさら地だった。ご丁寧にたてられた看板には空き地と書かれている。
これって……え?場所、間違えたか?いやいや、そんなはず……確かに場所はここであってる。もう何百回と来てる場所だ。そうそうに間違えるわけがない。
だったら、これは一体?
「ま、まさか!俺はタイムスリップしてしまったの、か!?」
ここは俺がもといた時間軸から未来or過去の時間軸で、それ故に赤緒の家が消失しているのか!?
「タイムスリップ?そんなわけないじゃないですか……まったく、なに考えてるんですか、霞さん」
聞き覚えのある声が俺を呼んで、我に返った。この声は確か……。
「おぉ!絵奈ちゃん!久しぶり!」
振り向くと、呆れた顔をしていたが、予想通りの懐かしい顔があった。
新田絵奈。赤緒の幼なじみでいろいろと付き合いがあった女の子。数年前に家庭の事情でこの町から引っ越していってしまったが、どうやら帰ってきていたようだ。
「かれこれ数年以来だね。元気してた?」
「はい。ぼちぼちですね。霞さんは相変わらず突拍子も脈絡もないアホな妄想ばかりしているみたいで元気そうですね」
「妄想とは失礼な!」
「タイムスリップがどうの言ってましたよね?」
「いや、俺、タイムスリップしたのかと思って」
「やっぱり、妄想以外のなにものでもないじゃないですか……タイムスリップなんかしてるわけないでしょ」
「むむむ……だったらこれはどうなってるんだ?」
赤緒の家があったはずのさら地を俺は指差した。
そこには本来有るはずのものがない。
「……実は潰れたらしいです」
絵奈ちゃんは苦々しく俺に告げた。
「潰れた!?」
予想だにしなかった現実。俺は思わず声をあげていた。
「詳しくはわかりませんが、聞いた話です。またこっちで暮らせるようになって帰ってきて、べ、べつに私が会いたかったわけじゃないんですけど!有松がそろそろ私のことが恋しくなってるんじゃないかなぁ〜と思って、わざわざ!わ・ざ・わ・ざ!有松の高校に編入したわけなんですけど……当の有松は既に学校を退学してて、それで、いろいろと話を聞いてるうちに潰れたってことがわかって……」
「なんでそんなことに……原因は?」
「すいません。詳しくは私もわからないです」
「……」
……潰れた、か。
あの赤緒がいたにも関わらず潰れたとなると、あの親父さんがまたなんかやらかしたのだろう。
なにもない空き地をぐるりと見渡した。
綺麗さっぱりなにもない。
想い出があった。楽しかったことも、辛かったこともたくさん。
それが真っ向から否定されたような消失感を味わう。
なくなったのか。
何故だろうか。心は不思議と平然としていた。荒れるでもなく、騒ぐでもなく。
おそらく、まだ頭が現実に追いついていないのだろう。
用は、まだ信じられないのだ。
ここが無くなってしまったことが。
そういえば、赤緒はどうしたのだろうか。
家がなくなり、学校も退学。複雑な家庭事情の赤緒には頼れる親戚はいない。
それに普段はしっかりしてる赤緒だが、何気にネガティブ思考なあいつのことだ、突然のことにどうしていいのかわからず、公園のベンチで途方に暮れるに違いない。食パンをもしゃもしゃと食べながら。
そういえば、初めてあった時も赤緒は公園のベンチで一人、もしゃもしゃしていた。あの時は確かジャムパンだったが。
あの日のことはつい昨日のことのように思い出せる。
といっても、あれからかれこれ10年ぐらい経つのか。まだ、赤緒が小学校低学年の時で、俺が高校生の時の話だ。
それはそうと、想い出に浸っている場合ではなく、今は赤緒の行方のことだ。
「絵奈ちゃん、赤緒はどこにいるかわかる?」
「赤緒、ですか……それが実はですね――」