第8話 地下通路
翼は廊下の窓から空を見上げていた。どんよりとした分厚い雲が空を覆っている。もしかしたら一雨来るかもしれない、と考えながら、なかなか職員室から出てこない大雅を待っていた。
しかし、職員室に入ったと思えばかれこれ二十分は経っている。さすがに長すぎないか、と訝しげに思っていると、勢いよく扉が開いた。
「ちっ、あんの親バカめ」
珍しく悪態を吐きながら出てきた大雅を訝しげに思いながら、翼は声をかけた。
「あれ、どうした?」
「あいつを迎えに行くんだろ。俺も行く」
「え、そう? いや、でもなぁ……」
なんだか煮え切らない様子に首を傾げると、まぁいっかと大雅は手招きした。そのまま黙ってついていくと、学園の裏手に出る。
鬱蒼とした槐の森が広がっていて、植物の爽やかな香りがしてくる。めったにこない裏側が珍しく、きょろきょろと周りを見渡しながら進むと、やがて小さな小屋が見えてきた。
どこにでもある、小さな物置小屋。その扉を開くと思いきや、大雅はその手前の地面に手をついた。
「唵」
スイッチを入れるように手の平から霊力が流れ出すと、それに呼応して地面から何かが迫り上がってくる。小さく振動を起こしながら出てきたのは、取っ手がついた銅板だ。翼は初めてみるそれに驚く。
「なんだこれ?」
「ふっふーん。まだまだ下っ端のおまえは知らないだろ」
じゃじゃーん! っとわざわざ声に出して、取っ手を持ち上げた。
「秘密の地下通路の入り口なり~!」
覗き込むと、中は降りるための梯子がかろうじて見え、あとは真っ暗でよくわからなかった。ただ湿った風が吹き荒れる音が聞こえてくることから、広い空間が存在することがわかる。
しかし、こんなものがあったなんて知らなかった。
大雅は慣れているのか、梯子に手も触れずさっさと飛び降りてしまう。翼もそれに続いて飛び降りた。頭上では扉が閉まり、鍵がかかる音が響いた。
トンっと軽く着地すると、広がっていたのはトンネルのような地下通路だった。縦横、目視で約十メートルほどの石積でできた空間。想像していたよりも広いのはいいが、肌に纏わり付くような湿気に翼は顔をしかめる。
「ここは?」
「陰陽院御用達の地下通路。便利だぞ~、何せ大和中に張り巡らされてるからな。ここを通れば遅刻もしない」
そう言って歩き出す大雅についていきながら、翼は一つの謎が解けた。
「どうりで俺よりも遅く出てるくせに、着くのは早いわけだ」
毎朝早くでないと遅刻するぞ、と何度注意しても畳に寝転んだまま間抜けな返事しかしないと思った。それを見て、いつも緋鞠も笑って注意していたけれど、今朝は喧嘩別れのようになったせいでそれもなかった。
(……いや、一方的に突き放しただけだな)
緋鞠は一度も、翼を攻めたようなことは言わなかった。一方的に怒って、傷つけただけ。視界に一瞬映った顔は、悲しげでもしかしたら泣きそうだったかもしれない。
こんなことになるなら、あんなこと言わなければよかった。……俺なんかほっとけばいいのに。
そう思っても、口に出せばまた傷つけることになるのだろうか。答えのみつからない自問自答に、ため息をついた。
しばらく歩くと、分かれ道が現れた。大雅はじーっと二つを見比べて、からくり人形のように同じ場所を行ったり来たりぐるぐる回る。そしてピタリと立ち止まると、阿呆面を翼に向けた。
「どっちだっけ?」
「俺が知るわけないだろ」
「じゃあなんかないの? 神野の調査用に霊力探知機とかGPSとかもらってない?」
「そんなものはない! 」
「えー使えねぇ」
「おまえも地図ぐらい頭に入れとけよ……」
「俺はおまえみたいに優秀じゃないのー。あ、そうか。今度おまえに地図貸すから覚えて」
「重要機密じゃないのか?」
「どうせ卒業したら全員に知らされるし、問題ないだろ。それよりも覚えてくれたら俺が楽できる」
「あ、そ。……ん?」
ふと、疑問に乗ったことを口にした。
「そういえば、なんで地下を通っていこうと思ったんだ? 普通に監視館にいけばよかったんじゃないのか?」
監視館とは、地下牢を管理するための監視施設である。確か大和の北西にあり、軽い罰レベルでならすぐに出してもらえるはずだが。
すると、大雅は「ああ」と思い出したような、間抜けな声を出す。
「それがさぁ……」
──遡ること少し前。
大雅は緋鞠を引き取るため、監視館の管理部門に電話を掛けた。しかし、電話の相手が悪かった。人の話も聞かず、ねちねちと人の揚げ足ばっかり取るクレーマー気質の中年男性が相手だったのである。
速攻で切りたかったが、生徒のためだ。ここは俺が大人になるしかない。どうにかなけなしのやる気を集めて頑張って会話した。しかし──。
『お宅の生徒しつけがなってないんじゃないの!』
そんな会話が延々と続けられた。もはや念仏を聞いてる方がなん万倍もマシ。いや、マシとかじゃない最高。よく眠れるしね。
なんだが会話するのもバカらしくなって生返事を繰り返していた時だった。
『大体うちの大事な息子に怪我をさせるなんて本当に』
「あんたの息子かよ!!」
なにそのミラクル。あー、だから最初に受付の窓口から繋がるのに時間かかったのか。ていうか、おまえのクソガキのせいでこっち睡眠時間削って……、などなど不満がついに爆発した。
「ふざけんなよ。年下の女子いじめやがってこのやろう。男なら女に優しくするもんだろうが!」
『な、なんだと!? そっちは女の前に無名だろう! 無名なんだから、あっちが敬うべきだろうが!』
「敬えるようななにかがあればな! おまえの息子、性格悪すぎてぶん殴りたくなるのもめちゃくちゃわかる。ていうかその場にいたら俺がやるわ」
『ああ!? んだとこらお』
「ガキのケンカに権力使ってんじゃねぇよ、バーカ!!」
勢いよくスマホの電源をぶち切り、塩をまいて机にしまった。そして、今に至る。
「……で、引き取れないと?」
「イエス」
晴々とスッキリした笑顔で答える大雅に、ブチッと沸点がきれる。勢いよく胸ぐらを掴み上げ、思いきり前後に揺らした。
「おまえがバカだバーカ!! なにやってんだ!?」
「えーだってムカつくじゃーん。あんなくそ親父に頭なんか絶対に下げたくないね」
「おまえが頭下げれば済むことだったのに!」
「きっと神野はそんなこと望まない……!」
「おまえが言うな気色悪い!!」
「ほら、そろそろ行かねぇと! 俺ひーだり!」
「ちょ、待……」
大雅は翼の手を振り払うと、左の通路に向かって走り去った。残された翼は、怒りを静めるのに長く息を吐く。
帰ったら、あいつが嫌いなしめじ料理をたっぷり作ってやる。
そう心に決め、翼は右の通路へと進んだ。




