魔王と蛇女
「メア…お前の予言では奴が俺の『花嫁』ではなかったのか。なぜ男なのだ。」
胡乱げに、魔王スピノザが部下の蛇女メアに告げる。
「私の予言は百発百中ではないのです。確率が高いだけですので、イレギュラーが生じることもありますわ。」
「そうか…。」
「けれど、間違いなくあの子は魔王様の『花嫁』です。魂の素養が、かつて貴方が愛したあの方と同じ…。」
「そうか…。」
スピノザは、ふぅと溜息を1つつくと、かつて愛した1人の天使のことを思い出した。
彼女は誰よりも無垢で純粋で慈悲深い天使だった。ある時、まだ魔王ではなかった頃に戦争でボロボロになった所を助けられてしまった。
「いらん!いっその事殺せ!魔族が天使に施しを受けるなど恥だ!」
「はいはい、そこまで元気なら消毒も我慢してくださいね〜。」
「ぐ、うぅぅぅ……。」
魔族と天使。互いに相容れない存在だ。分かっていた。だけど、いつしか惹かれあってしまっていた。そんなある日のことだった。
「お前、堕天して俺の花嫁になれ。」
「そんなプロポーズの仕方がありますか。もっと言うべきことがあるでしょう?」
「……っ。す、」
きだ、と、愛していると口を動かすはずだった。
「居たわ!裏切り者の堕天使よ!」
「殺せ!魔族もろとも殺せ!」
大勢の天使達が2人を取り囲んでいた。
あぁ、やはりこれは許されない恋なのだと、天使達が魔法を詠唱し始めた時、スピノザは彼女だけでも守ろうと口を開いた。
「俺と此奴が恋仲だと?笑わせるな!俺は誇り高き魔族!天使を愛するものか!そんなに憎ければ俺だけ殺せ!」
すると1人の年老いた天使が口を開いた。
「ほう?ではお主の手でそこの裏切り者の天使を屠ってみせよ。愛していなければ出来るだろ?」
「な…んだと?」
「この勢力にかなうかね?それに、どちらにしてもそこの天使は殺す。魔族と睦まじくするなど汚らわしい。お主の手で屠ってみせれば命だけは助けてやる。」
「そんなこと、できるわけが……」
その時だった。彼女は所持していたナイフをスピノザに握らせ自分で胸に突き立てた。
「お前!何をしている!」
「いいの…これで、あなたが生き残れるなら…私…」
「待て、まだ逝くな…!お前に、まだちゃんと伝えていないだろ……!」
「そう、だね…えへ。でも気持ちは…伝わったから。ありがとう…。だい、すき…。」
そこまで言い終わると彼女の目からすうっと光が消えた。
「ふん、身を呈して魔族なんぞを守るとは……まぁよいわ。興が削がれた。皆、帰るぞ。」
天使達はやれやれ、といった風に飛び立っていった。
惨めだ。
想い人に守られ、彼女にろくに想いも告げられなかった。
スピノザは彼女の名前をぽつりと呟く。
「マリア……。必ず、生まれ変わってこい。その時こそ、添い遂げよう…。俺はいくらでも待っている。」
スっと指をマリアの胸元に近づけるとスピノザは呪文をかけた。
「”フトゥーロ”」
するとマリアの体から黄色く発光する何かが出てきて天高く上っていった。
その後、スピノザは愛する人を土に埋めた。
「おい、風の噂で聞いたんだが、魔王が誕生したんだと。」
「魔王?」
「あぁ、手始めに天界騎士団の幹部の1人とその部下を惨殺したらしい。」
「幹部って…。名前は?」
「オブリオだ。」
「千人くらいの軍隊じゃないか!」
「恐ろしいもんだ…。」
天使達が怖々と噂話をしている。マリアの仇討ちをなし、魔王と呼ばれる存在にスピノザはなった。
『魔王』を倒す、という勇者や、神が気まぐれで転生させてきた冒険者達が戦いを挑んできたがスピノザは決して負けなかった。
愛する人が生まれ変わって、また共に過ごせるまで…。暇を潰すかのように挑まれては殺戮の限りを尽くした。
そうして、何年もの時が過ぎ、やっと巡り会えたマリアの転生者が男だった。
「しかも、記憶がないときた……。」
ふーっと、また魔王は盛大な溜息をつく。
「あら、共に過ごせばそのうち思い出すかも知れませんわよ?」
「だといいがな…。」
とりあえず、魔王城に連れてくるところまでは成功した。あとは神のみぞ知るところなのだろうか…。
「まぁ、神に顔向けできるような生き方をしてはおらんがな…。」
口の端を上げて魔王は自嘲気味に薄ら笑いを浮かべた。