事件編3:停滞と沈黙
「二人とも、紹介しよう。今日この村にやってきたばかりの『シャイニー・アイアンバー』だ。仲良くやって欲しい」
ケイジが私を紹介すると、二人の目は大きく見開かれた。二人とも私の名前を知っているのだろう。
「シャイニー・アイアンバーですって!? 大物じゃないの! しかもまさかの女子キャラなの?」
ひときわ大きな反応を見せたのは美少女だった。その可憐な容姿からは想像のできないハスキーな声が印象的だ。
「有名なのか?」
首を傾げるケイジと、美少女の温度差が激しい。
「有名も何も、『フレキシブル・ペニス』の開発者よ! ああ、ケイジは真面目っ子だからそういうものには縁が無かったかしら?」
興奮気味の美少女によって暴露されてしまったのは、自作MODの中で最も有名な「フレキシブル・ペニス」、通称「オチンチンMOD」だった。男性器の大きさ、角度、形を自在に調整し、隠しオプションも用いれば、下半身に関するあらゆることが可能になるMODである。やけっぱちで作ったネタMODのつもりが思いがけずウケてしまい、総ダウンロード数は三百万を超える。そして、オチンチンMODがそれだけウケても、本命である銃MODの総ダウンロード数は百に満たないという、現実の残酷さよ。
いつしか私はMOD界隈で「オチンチンの人」と呼ばれるようになったけれど、できることならば「オチンチンの人」ではなく、「モシン・ナガンの人」だとか、「銃MODの人」と呼ばれたかった。
こちらの落ち込みっぷりとは対照的に、美少女は未だ興奮醒めやらぬ様子だ。
「シャイニー・アイアンバーさん、お会いできて光栄だわ。私は『ベルたん』っていうの。見ての通り、ドレスとそれに合う装飾品、髪型をゲームに追加する『ロココ・インフェルノ』っていうMODを作っているの。ここの住人は男キャラばかりだから、ドレス着る人が居なくてつまらないのよ。女子キャラが来てくれて嬉しいわ」
そう言ってベルたんはレースの手袋に包まれた右手を差し出した。私も右手を出して会釈しながら軽く握ると、ベルたんはにっこりと笑顔を返した。
陶器のように白くマットな肌。青い瞳は中央部から周辺部にかけて色が明るくなるようなグラデーションで、一瞬瞳自体が発光しているように錯覚してしまう。肌はフェア・スキン、瞳はグローアイズ。髪型は自作。ベルたんの容姿に関するMODの構成はこんなところだろう。
そんなベルたんの青い瞳をよく見ると、やはりケイジと同様に数字が刻まれているのが分かった。数は94。
「あー、オチンチンの人に会えるなんてすごいわ。もう興奮しちゃう。オチンチンについて色々とお話聞きたいわ! 今日は何て素敵な日なのかしら!」
私の右手を握りしめながら早口でまくし立てるベルたんをたしなめたのは、ヴァンデルアーのそっくりさんだった。
「いい加減にしておけ。彼女はお前とは違うんだ」
「どういう意味よ。あんた今日感じ悪くない? 委員長! 筋肉モリモリマッチョマンの変態が、言いがかりつけてきまーす!」
二人の間にケイジが割って入る。
「まあまあ、フランクの紹介がまだだし。ベルたんはまた後でゆっくり親睦を深めれば良いだろう。てか俺、委員長じゃないし」
そう言われたベルたんは口を尖らせて、握っていた私の手を離した。
ベルたんと入れ替わるように、ヴァンデルアーのそっくりさんが右手を差し出す。
「俺は『フランク』。キャラクターメイキング時に使えるジャック・ヴァンデルアーのフェイスデータと、装備品を追加する『ヴァンデルアー・スペシャルパック』というMODを作っている。シャイニー・アイアンバーに会えて光栄だ。宜しく頼むよ」
握手に応じると、フランクは笑顔を返してきた。白い前歯が少しだけ見える。前歯二本に数字が刻まれているのが分かった。数は14。
私自身は「ヴァンデルアー・スペシャルパック」を使用してはいなかったものの、それなりに注目はしていた。何しろ私もアクション映画の類は好きで、それが高じて銃MODを作るに至っているのだから。
このスキンヘッドのヴァンデルアーは「ギットマン」に出演した時の外見だろう。黒いスーツにえんじ色のネクタイという服装もそのままだ。出演当時のヴァンデルアーは三十五歳ぐらいだけれど、スクリーンの中では実年齢より大分若く見えた。今、目の前にいるフランクも同様に二十五歳ぐらいに見える。
髪の毛は無し。肌は私のものよりやや野性味のある風合いで、茶色い瞳はキラキラ感は無いものの、デフォルトのものより明度と彩度が高い。肌は「ベター・ピープル」、瞳は「ナチュラル・アイズ」といったところだろう。
「今日は二人だけか? 他の連中は?」
店内を見回したケイジが尋ねた。
「オカジマは、おウチで作業しているみたい。オプティガンはさっきまでここに居たけど、オカジマを手伝いに行くって、出ていったわよ。オナルは何やっているのかさっぱり。最近おとなしいわね」
「そうか。じゃあ、俺はシャイニーを『ヤドクガエル亭』とオカジマちゃんのところに案内してくる」
ケイジに手を引かれて、私は立ち上がった。
「彼女、わけのわからない状況に投げ込まれたばかりで、疲れているだろう。あまり連れ回さない方が良いんじゃないか?」
フランクはその強面な外見とは裏腹に、意外と気遣いのあるタイプなのかもしれない。もっともこの世界では外見なんてあてにはならない。
「大丈夫さ。それと、歓迎会をやるから十八時に『ファイヤーピーク』に集合してくれ。もし、オカジマちゃんやオプティガンに遭ったら彼らにも伝えておいてくれると助かる」
ケイジと私はカフェを出た。振り返ると、ベルたんとフランクが手を振っている。
彼らに手を振り返すと、ベルたんがウィンクした。
ドレスを纏ったビスクドールのようなベルたんと、寡黙な暗殺者を演じたヴァンデルアーそのままのフランク。この二人が同じ空間に存在しているのが何とも奇妙だ。
カフェを後にした私たちは、町の外れにある建物にやってきた。二階建てで白壁の、デフォルトのゲームに存在するものと同じ様式の建物だった。建物の前面には花壇があり、素朴で穏やかな美しさが心を癒す。軒下には金属製の看板が下がっていた。看板にはくすんだ青い塗料で、カエルをデフォルメしたような絵と、「HYACINTHUM RANAE」という文字が書かれている。
「それさ、なんて書いてあるのか分からなくてね。とりあえず青でカエルっぽいものが描いてあるから、『ヤドクガエル亭』って呼んでいるんだ」
建物に入ると、中には小さなカウンターと、飲食スペース、そして上階への階段があった。このゲーム世界のあちこちで見られる、宿屋に共通の間取りだとすぐに分かった。ただし、ゲーム中では常に人が居たのに、ここではやはり人の気配が無い。
「階段を登って一番手前の部屋だよ」
無人のカウンターをやり過ごして、上階への階段に向かった。中央は吹き抜け。それを囲むように通路があり、通路壁にはそれぞれの客室へと繋がるドアがある。
ケイジは一番手前のドアを開けて、どうぞ、と私を中に入れた。
中には天蓋付きのベッド、洗面器を置いたサイドテーブル、シェルフには水差しと、数冊の本、そしてベッドの上には人間大の黄金像が横たわっていた。
近づいてみると、それはロングヘアーの若い男性で、神話の登場人物のようなキトンを身に纏っていた。像にしては、髪の毛や服の質感が細かすぎる。像の胸が微かに上下しているのが分かった。もしやと思い、彼の顔の近くに手をかざすと、予想通りに呼気が当たるのが感じられた。
像ではなくて、金の皮膚を持つ人間だ! 黄金の肌に、同色の髪と衣服。
「シャイニー。俺たちの肉体は不滅だけれど、残念ながら精神はそうじゃない。壊れてしまうんだ」
「彼は私たちと同じプレイヤー……だった?」
「そうだよ。俺たち同様にプレイヤーで、MOD開発者。『オッパイ・スターマン』っていう、この村で一番の古参住人だよ。俺がこの村に着いた時、彼はここで長い時間を過ごしていて、人との接触に飢えていた」
ベッドの上の人物をあらためて見た。黄金の肌を持つ神のような美青年、ただし心は神ではなく人間だ。そして孤独に勝てる人間はそう多くはない。
「彼は親切な人物だったけれど、当時の俺はそんな彼を少々鬱陶しく感じてしまってね。距離をおくようになっていった。そのうちに、オカジマがこちらに来て、スターマンとの関わりは完全に無くなった。しばらくして、スターマンを長いこと見かけていない事に気がついて、村中を探し回ったんだ。見つけた時にはこの状態だよ。肉体は生きているけれど、呼びかけても、揺り動かしても何の反応もない。完全に生ける屍に成り果てていた」
ベッドの上の人物を見下ろすケイジの横顔は美しく、そして悲しげだった。もしかしたら、スターマンがこうなった原因は自分にあると思っているのかもしれない。
「シャイニー、この村で俺たちの精神は少しずつ磨り減っていく。対策は磨り減ることを避けて、維持するしか無いんだ。孤独や退屈は停滞を招き、停滞は精神を削り取る。その先にあるのが精神の死だ。シャイニー、まず出来るだけ一人にはならず、他者と交流して欲しい。そして、この世界でもMODを作り続けて欲しい」
ケイジはこちらを向いて、私の両肩に手を置いた。
「互いに刺激を与え合う事が大事だけれど、強すぎる刺激はより強い刺激を求めるようになって、結果的に停滞を招く。そうならないよう、この村では特別な理由が無い限り、二つの事を禁止している」
私の肩に置かれたケイジの手に力が入るのが分かった。ピンク色の髪の向こうから琥珀色の瞳で見据えられ、思わずこちらも体に力が入る。緊張で汗が首筋を伝うのが分かった。
「一つは他プレイヤーの殺害。もう一つは自傷行為。シャイニー、分かってくれるね?」
緊張で言葉の出なかった私は無言で頷いた。それを見たケイジは、ほっとしたように顔を綻ばせて、私の肩から手を離した。
「禁止とは言っても、何か罰則があるわけじゃない。俺の個人的なお願いの域を出ないゆるいルールだよ。互いの信用だけが頼りのルール。そう緊張しないでくれ」
緊張から解放された私の口からため息が漏れた。行こうか、とケイジに促され、私たちはスターマンの眠る客室を出た。
ヤドクガエル亭を出た私たちは、来た道を戻った。
「次は、オカジマちゃんのところに行こうか」
ベルたんとの会話でも聞こえた「オカジマ」という名前が気になって仕方ない。
「オカジマさんというのは、もしかして『百万回死んだ護民官』を作った『犯島』さんですか?」
「そうだよ、知り合い?」
「とんでもない。 彼のMODで遊ばせてもらっていた、一ファンですよ」
「そうなんだ。そりゃ彼も喜ぶよ」
私はオカジマが開発したMODは全てダウンロードしていた。彼のMODはミステリ色のあるストーリー性の強いクエストMODだった。総ダウンロード数こそKeiZ-UIには及ばないものの、その作家性の強さ故にファンの多さではケイジを超える。短いスパンで新作MODを公開する多作なMOD開発者でもあった。隠し要素も多く、その情報を得ようと彼のブログは多くのファンが訪れる。私もオカジマのブログはよくチェックしていた。
オチンチンMOD が三百万ダウンロードされているのに、ブログ来訪者は日に十人に満たない私とは雲泥の差だ。
ただ、一つ疑問がある。ブログから得た情報では、オカジマは個人名ではなく、ユニット名のはずだ。『犯島F(ファンタジー)』と『犯島A(アナーキー)』の男性二人組で、共に三十歳。同じ会社に勤めているらしい。
確かケイジはこの村の人間は私を入れて八人だと言っていた。今まで対面したのはケイジ、ベルたん、フランク、スターマン。それ以外で名前を聞いたのは、オカジマ、オプティガン、オナル。それに私を加えるとちょうど八人。だとすれば、この村に居るオカジマはF(ファンタジー)か、A(アナーキー)のどちらか片方だけ。さてどちらだろうか。
「あれが彼の家だよ」
ケイジが指差す先にあるのは、現代的な庭付きの二階建て住宅だった。庭にはプールがあり、芝生は綺麗に刈り込まれている。映画や海外ドラマで見かける、郊外の一軒家風。邸宅やら城やらで殺したり殺されたりするMODを作っている人間の住まいにしては、びっくりするほど普通だ。てっきり、古めかしい洋館で、門をくぐった途端にギロチンの刃が落ちてきたり、謎の悪天候に見舞われたりする展開を想像していたのに。
私とケイジは門を通って玄関へと向かう。ケイジは自宅に帰ってきたかのように、呼び鈴も鳴らさず、無施錠の玄関ドアを開けた。
次回、AかFか