事件編2:永遠を生きる
ケイジに名前を尋ねられた私は、困惑していた。正直なところ、名乗りたくない。
私も限定的な範囲では、そこそこの知名度があるものの、目の前にいるケイジには遠く及ばない。その上、私が開発したMODの中で最も有名なものは、あまり世間体の良いモノではないのだ。つまり下品というか……シモ方面というか……
とは言え、名乗らないのは感じが悪いし、後ろめたい事があるわけでもない。
軽く息を吸って心を落ち着かせた。明瞭な発音を心がけて、言葉を発する。
「私は『シャイニー・アイアンバー』です。呼び方は適当でかまいません」
「『シャイニー・アイアンバー』……うーん……聞いたことが無いな……」
ケイジは顎に手を当てて少し考え込んだ。ごくありふれた動作なのに、その容姿がもたらすマジックなのか、彼の周囲だけが何か一枚の絵画になっているようなドラマチックな陰影があった。
おそらく肌はフェア・スキン、髪はイー・エル・ヘアドス、目はブラック・マジック・ビジョン。彼が適用している外見関連のMODはこんなところだ。
「シャイニー、どんなMODを作っていたの?」
「私が作っていたのは『モシン・ナガン』とか『コルト・ベスト・ポケット』とか……自分で一番気に入っているのは『モダン・ウェポンズ』です」
一番知名度のあるMODについては触れずに答えた。
ケイジは何か腑に落ちたという感じで、頷いた。
「ふーん。MOD名からすると、銃器を追加するようなものかな。だとしたら申し訳ないけれど、俺の守備範囲外だね」
それはそうだ。何しろ私の銃器MODの総ダウンロード数はその三つを合わせても百に満たない。全世界で二千万回以上ダウンロードされているMOD開発者様から見れば、想像を絶する底辺の世界なのだから。
そんな底辺MOD開発者のモヤモヤとした感情を知るよしもないケイジは、余裕のある爽やかな笑顔だった。
「ま、趣味嗜好が完全に一致しなければ友達になれないなんて事、ないだろう? これから俺たちは長いお付き合いになる。できればそういう趣味嗜好の不一致も楽しむような気持ちで、どうか仲良くして欲しい」
そう言って彼は右手を差し出した。私も彼に応じようと右手を差し出そうとしたけれど、右手を持ち上げることが出来なかった。両手は縛られたままで、未だ自由になっていない。
「おっと。まずその縄をなんとかしたいよね。よし、コンソールコマンドを使ってみようか」
「ここではコンソールコマンドが使えるのですか?」
「使えるよ。コンソールコマンドだけではなく、MODも使える。使えるからこそ、俺たちの外見がこうして維持されているんだよ。使えるMODはゲームプレイ時に適用していたMODと自作MOD。そして他のプレイヤーから共有してもらったMODも使える。まずはコンソールコマンドの使い方を教えよう」
ゲーム中は数え切れないぐらいに使ったコンソールコマンドが、今この状況でも使えるとは意外だった。でもコンソールコマンドやMODが使えるとなれば、この世界の人間が私たちを「世界そのものを根本から改変できる、神の如き力」を持つ者として恐れるのも納得できる。
「コンソールコマンドの使い方は簡単だよ。コンソールウィンドウが目の前にあるかのように思い描くだけ。やってごらん」
ケイジの言葉に従ってコンソールウィンドウを思い浮かべるけれど、何の変化も無い。ウィンドウを思い浮かべる事は出来るけれど、それを「目の前にあるように思い描く」事が意外と難しかった。ウンウンと唸りながら時間だけが無情に過ぎていく。
そんな様子を見かねてか、彼が人差し指を私に向けた。
「難しいかい? じゃあウィンドウを思い浮かべながら、俺の指先を目で追ってみて」
ケイジは人差し指をゆっくりと動かした。細長く優美な指先は、横長の長方形を描いていた。その縦横比は丁度コンソールウィンドウの同じ。頭の中に思い描いていたものと、視覚が上手く噛み合って、目の前にコンソールウィンドウが現れた。
「ウィンドウが見えました!」
上手く噛み合った感動で、ついつい大きな声を出してしまった。
「次はコマンド入力。コンソールウィンドウ表示同様に文字を思い描く事で入力できるよ。MOD開発者なら、コマンドは一通り分かるだろう? 最初は発音しながらやってみると良いよ」
いちいち声を出すのは少々気恥ずかしい。しかし私は初心者、謙虚にいこう。
「エス・エイチ・オー・ダブリュー……」
—— SHOW
コンソールウィンドウに文字が入力された。一文字ずつ発音するのがまだるっこしく感じられた。
「……インヴェントリー」
—— SHOW INVENTORY↩︎
そうすると、現在私が所持していると見なされているアイテムの一覧がコンソールウインドウの上にあらわれた。
Captains Coat – 07005F8E – 1
Dress Blouse - 07005F8F – 1
……
Rope - 01002A8D - 1
最後に表示されたこれが私の手を拘束している縄に違いない。
—— REMOVE ITEM 01002A8D 1↩︎
ふっと手が軽くなった。私の手を拘束していた縄は跡形も無くなっていた。
「出来たみたいだね」
ケイジはにっこりと笑って、私の目の前で手の平をひらひらと動かした。彼の手の動きで掻き消されるように、コンソールウィンドウは視界から無くなった。
今度は自分の人差し指を動かしてみる。彼がやったのと同じような横長の長方形を描くと、再度コンソールウィンドウが現れた。
—— NOW↩︎
そうすると結果が出力された。
Wed. 13:14:52.691
この出力結果は一体どういうことだろう?
「どうかしたのかい?」
出力結果を訝しんでいた私を気遣って、ケイジが声をかけてきた。
「システム時刻を表示しようと思って、NOWコマンドを使ったのです。でも、曜日と時刻が表示されるだけで、年月日が表示されなくて」
ケイジの美しい顔に悲しげな影が宿った。
「このサンドボックス村では、曜日と時刻以外は意味が無いんだ」
彼の発言が全く理解できない。
「意味が無いって、どういう事なんですか?」
ケイジは小さくため息をついた。
「このサンドボックス村はね、コンソールコマンドやMODでどれだけ壊れたり、不整合が生じたりしても復帰できるように、毎週水曜日に強制的にロールバックされて初期状態に戻るんだよ。システム的に連続する時間は最長一週間。だから曜日と時刻以外は意味が無い。壊そうが、殺そうが、MODのスクリプトに無限ループを仕込もうが、水曜日になれば全ては綺麗に元どおり」
あらゆるチートで破壊の限りを尽くそうとも、外部への影響を防ぐ隔離環境であり、その隔離環境そのものの保全も配慮している。帝国筆頭魔道士様々だ。
「まるで、ネットゲームの定期メンテナンスですね」
違いない、と彼は笑った。生きることに疲れたような力無い笑い方だった。
「強制ロールバックはプレイヤーキャラクター、つまり俺たちのこの肉体にも及ぶ。欠損しようとも、死のうとも、毎週水曜日の朝にはこの世界に来た時の状態で復活する。持ち越せるものは、精神とストレージの中身だけ。シャイニー、酷なことを告げるようだけれど、俺たちはこのサンドボックス村で永遠を生きている」
永遠だなんて、安っぽい宣伝文句でしか聞いたことがない。宇宙でさえ有限だというのに。そんなものをいきなり突きつけられて、まともなリアクションのパターンが思い浮かばない。
「ケイジは死んだことがあるの?」
「あるよ。何度も」
彼の答えは短く簡潔だった。何の感傷も挟む余地が無い。
「死ぬとどんな風に感じるの?」
「痛みや苦しみは有る。その後意識が無くなる。気が付いた時には水曜日の朝八時だよ」
淡々と彼は答えた。一体何度、死と復活を繰り返したのだろう。軽く深呼吸して心を静めた。
「ケイジはこの村で何度のロールバックを経験したの?」
そう言うと、彼はぐっと顔を近づけてきた。顎先で切りそろえられた淡いピンク色の髪と、それに縁取られた美しい顔が、鼻先が触れそうになる。
「シャイニー、俺の目を見て。右目を」
長い睫毛が影を落とす彼の目を覗き込んだ。澄んだ琥珀色の瞳は、角度によって光を反射しキラキラと輝く。そして彼の右目の虹彩は、琥珀色の上に青色で数字が刻まれていた。
「132」
彼の瞳に刻まれた数字を読み上げた。
「この瞳のMOD——ブラック・マジック・ビジョンのソースを共有してもらって、任意の文字列を出力できるように改造したんだ。それで、この村に来てから過ごした週数を表示している。今朝のロールバックで百三十二週目。年数で言えば二年半ってところかな」
二年半。普通に生活していればどうということはない期間。しかし、ここは隔離環境。フィクション作品で悲劇的な展開が起こるには十分な期間だ。現実の世界はもっとひどい。たかだか一週間かそこらで正気を失わせる新人研修なるものがまかり通っているのだから。
このサンドボックス村は、楽園の孤島か、はたまたブラック企業の研修所か。前者であることを願うばかりだ。
「そういう訳で、俺たちは長いお付き合いになる。どうか仲良くして欲しい」
ケイジはそう言って再度右手を差し出した。フェア・スキンがもたらす肌テクスチャは白く、無駄毛も毛穴も、シミはおろか色むらさえ無く、まるで人形の手だった。私も自由になった右手を伸ばした。スムース・フェイスの肌テクスチャが適用された私の手は、彼のものとは違って人間的だ。色むらや産毛もあれば、関節部にはシワもある。それでも皮膚の肌理は細かく、透明感が有り、彼の手と同様に細く長い優美な指には、およそ労働の痕跡というものが見当たらない。パーツモデル並みの美しさを持つ人間の手だった。
「よろしくお願いします」
そう言ってケイジと握手を交わした。非人間的に見える彼の手は、その外観とは裏腹に、人間の皮膚のような暖かさと柔らかさが備わっていた。
「よろしく。今日から俺たちは、この町で一緒に永遠の暇つぶしをする仲間だよ。早速だけど、町を案内するね」
こうして私はケイジと歩き始めた。目の前の石畳の道はまっすぐに続いている。
「この町は元々は建物がまばらだった」
ケイジはその美しい笑顔で私に語りかけた。艶やかな髪が光を反射して、まるでピンク色の後光を放っているように見える。
「より便利になるように、退屈しないように、俺たちで設備やコンテンツのMODを作って、町を拡張したんだ」
街並みはデフォルトのゲーム世界にあるような、白壁が経年変化したようなガラス窓の無い建物と、近代風の建物、そして現代風のものが混在していた。高層ビルのようなものまである。
「あの建物も、俺たちが作ったものの一つだよ。まずはそこへ行ってみようか。ここの住人がよく溜まり場にしていて、雑談したり、作業するのに利用しているんだ」
彼が指差した先は、十九世紀ぐらいのパリの街角にありそうなテラス席のあるカフェだった。テラス席には人影はなく、ガラス窓は光を反射して中の様子を伺うことはできない。入口は回転扉になっている。
ケイジに続いて回転扉を通り抜けると、その先は広くて明るい店内だった。片側は窓、もう片側はカウンターとガラスケースで、中にはケーキや軽食類が並んでいる。店内には四人掛けの円形テーブル席が十組ほどあるものの、殆どが空席だった。何しろ客は二人だけ。彼らの視線が私に集中する。
客の一人は人形のような美少女だった。彼女が瞬きをすると違和感を覚えるほどに、その美しさは人間離れしていた。光沢のあるブルーグレーのドレスと、同素材でできた帽子はレースやリボンがふんだんに使われている。帽子からは縦巻きにカールされた輝くような金髪がこぼれ落ちていた。
もう一人の客はスキンヘッドの男性だった。黒いスーツにえんじ色のネクタイという現代的な服装の彼は、ケイジやこの美少女のような人形じみた容姿ではなく、十人隊長殿のようなゴリラでもない、自然な美男子……もとい、超有名な美男子だ。彼の容姿はヨーロッパ出身のアクション俳優「ジャック・ヴァンデルアー」の若い頃そのものなのだ。
ケイジが私を二人が座るテーブルへと導いた。無遠慮な視線を痛いほどに感じながら、席に着く。
次回、ドレスとハゲ