研究者のサフィールがあらわれた
ギルドホールは暗い雰囲気に満ち溢れていた。
周囲は下を向き、誰一人として目を合わせようとはしない。
なんだろう、これは。
「ジャーファル…くそッ!」
「ショーン。自分を責めないで…」
「これが責められずにいられるか!?魔獣に遭遇して撤退を提案したのは俺だ…。ジャーファルが魔獣を可能な限り救済したいと思っていたのは知っていたのにっ…!」
「でも撤退しなかったら格下とは言え私たちも無事ではなかったわ…」
膝から崩れ落ちる男女のパーティーを、俺は見た。
浮かれた遠足気分が一転、足を踏み入れた事を後悔した。
「ジャック、こんな感じがギルドのデフォルトなのか?」
目の前の光景を信じたくなくて思わずジャックに尋ねていた。
もっとアットホームな職場を想像していたから勝手にギャップにやられた。
「…そう、だね。今度は運悪くギルドの闇を見てしまったね」
沈鬱な面持ちで言われた。
考えてみれば当然の事だが、この世界で戦闘があれば勿論人が死ぬ。化け物が跋扈する分死傷者は生前の世界よりも多い事だろう。
それを察せなかったのは失敗だった。ギルドはそういう所なのだと考えもしなかったのだ。
「時間を置いてまた来よう。今はさすがにやめた方が良さそうだ」
ジャックが頷くのを確認してから黙ってギルドホールから出る。
「さて、時間を置くとは言ってもどこに行こうか…」
「それなら観光とかかな。都市内の蒸気機関ミュージアムとか歴史資料館とか。軽食ならカフェがあるし、武器屋、防具屋、道具屋。まぁ、異世界のベーシックなラインナップは殆ど抑えてあるねぇ」
「取り敢えず情報優先で蒸気機関ミュージアムか歴史資料館に辺りどうだ?」
「キミ、まさか蒸気機関って聞いて少し興味湧いた?」
「…まあな。今さっきの事があるから不謹慎かもしれないけどさ。…ま、どんな事であれ情報はあるに越した事は無いと思ってな」
ふぅん、とジャックは感心したように頷いた。
「なら左手に見える平たい建物だね」
ジャックに指示されるがまま移動し、平たい建物の前に立つ。
ドアを開けると小気味良いベルの音が響いた。
中は鉄の匂いで一杯だった。現地語の説明文は一切読めないので展示物だけしか楽しめない事を失念していたが、それでもメカメカしい重厚な見た目は俺の中の少年を刺激するには十分だった。
「メインの展示は最初期の蒸気機関、『ルカ』。これだけ大きいと迫力が違うねぇ」
俺は頷くと『ルカ』を見上げた。高さは四メートル程、全長は五メートルになろうかという巨大な鉄の塊だ。
ジャックの説明によると第一魔素を利用しない、単に燃料を燃やす事で動力を生み出すものであるらしい。
「って事は今の蒸気機関は第一魔素を使ってるのか」
「そのようだねぇ」
そしてーーふと気付く。
「そう言えば、入館料無料で学芸員も無しって無用心だよな」
「まぁ、ここは外で腐る程見れる蒸気機関のミュージアムですから余程の物好きか酔っ払いしか来ませんからね。私達は専ら自分の研究に没頭してますし、仕方ない事でしょう」
ぬぅっとフェードインして来たのは眼鏡を掛けた如何にも研究者然とした男だった。
長身で白衣を纏っているのがサマになっている。
「私がこのミュージアムのオーナーをしているサフィールです。以後お見知り置きを」
「俺はハールーン。こっちのカボチャ頭がジャックだ」
咄嗟にハールーンを偽名に使う事を思い付いて実行する。
ジャックは有事の際は多分名前で呼びそうだから不信感を抱かれないようにそのままの名前で紹介した。
俺はこの世界には日本人がいる前提でものを考えている。
日本人の名前で自己紹介をすれば少なからず日本人と邂逅する可能性が高まる。
日本人との邂逅は酷くリスキーだ。
明確な悪意を持って俺の敵に回れば苦戦は必至ーーいや、十中八九負ける。
より地域に根付いた人間の方が地理にも明るいだろうし、素のアドバンテージが違う。
ジャックがいるからと言って実際の地理を経験した人間と知識しか無い人間で比較すれば雲泥の差だ。偽名も方便である。
「おや、気配が希薄だと思えばジャック・オ・ランタンですか珍しいですね」
「俺の頼れる相棒さ」
ジャックも空気を察したのか頻りに頷くのみで一切喋らなかった。
「時間があれば蒸気機関好きの趣味人の友人として一緒にお茶にでもしたかったのですが…」
「お構いなく、俺はお茶するなら女の子と一緒がいいからな」
ニッシッシと嫌味にならないように大袈裟に笑う。ほんのジョークさ、と後付けするのも忘れない。
大学で悪友の誘いを断って女の子の用事に付き合うときに身に着けた定型句だ。
案外角が立たないから常用している。
「おやおや、寂しいですねぇ」
「見るものは見たし、そろそろお暇するか」
「また来て下さいね」
そうして俺たちは蒸気機関ミュージアムを後にした。
「なあ、ジャック。あのおっさん、何か胡散臭かったよな」
「それより僕としては初対面の人に平然と偽名使ったのがねぇ…。キミにはJapaneseサマライsoulが無いのかと思ったよ」
「サマライじゃなくて侍だよな」
日も半ばまで落ちている。思ったよりも長く蒸気機関を眺めていたらしい。
「今度こそギルドだ。気合い入れて行こう」
そして俺たちは本日二度目のギルドホールへ足を向けた。