蜘蛛糸の果て2
《一凩》
「私は…女郎蜘蛛を過信していた。女郎蜘蛛は確かに戦闘に於いては天才だった。でも、決して万能じゃあない」
茶化すように「あいつは馬鹿だったから」、と付け加えたけんど…そう言うウタ婆の表情は筆舌に尽くし難いものがあった。
「言わなかったんか…ハザミの魔獣は取り憑く事に長けるって」
ウタ婆は力無く頷くと大きく息を吐いた。
「今…女郎蜘蛛の一人娘が女郎蜘蛛と旅をしてないって事はつまりそういう事だよ」
「女郎蜘蛛は殺されたんだ…女郎蜘蛛の一人娘に…アラクニドにね!」
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《女郎蜘蛛》
何故か帰宅が遅くなったアラクニドが理不尽にも何故か襲い掛かる。
女郎蜘蛛には訳が分からなかった。
ただ一つ、はっきりと分かること。
それはーー本能が『戦ったら駄目だ』と警鐘を鳴らしていると言う事ただ一点のみ。
「ったく…世話の焼けるーー」
弟子だと、そう言おうとした女郎蜘蛛にアラクニドが投擲した二本の短剣が迫り来る。
他ならぬ女郎蜘蛛自身の鉤爪を刃に使用した『ペインオブノーリターン』だ。
シッパーレ・アモーレ・ニードの糸の排出器官は節足動物じみたーーそれこそ蜘蛛のような下腹部にあるのだが、この鉤爪も魔力を通せば全く同様の性質を持つ。
「甘い」
当たれば返す刃で苛烈な追撃が迫るのを予見しながらも女郎蜘蛛は不敵に笑った。
女郎蜘蛛は周囲の糸で自らを囲う。
自然界最強とも名高い糸で出来た結界、その名もーー。
「絶対拒絶封糸『穴熊』!!」
絡み合う糸の壁が短剣とギリギリとせめぎ合いーー糸の壁が二本の短剣を防ぎ、弾き飛ばす。
だが、当然のようにその短剣には糸が巻き付いている。
「師匠!避けて!!」
逼迫した様子でアラクニドは泣き叫ぶ。
「当然だろ、馬鹿だな」
ブーメランのように返す軌道を描きながら二本の短剣が走る。
それを女郎蜘蛛はーー。
「女郎蜘蛛流の戦い方、もう一回だけレクチャーしてやるよ馬鹿弟子」
素手で殴り飛ばした。
女郎蜘蛛の戦い方はトリッキーだが無駄と言うものが一切ない。
手もとへと短剣を手繰り寄せたアラクニドが結界へと踏み込むがーー。
「ダダ甘い」
「絶対拒絶封糸『銀冠』」
踏み込んだ足を粘性のある糸が絡め取り両足をぐるぐる巻きにして床に縫い付ける。
「蜘蛛は構えちゃいけないって言ったろ?飽くまで自然体がファイティングポーズなんだからよ」
蜘蛛は戦う際に構えを取らない。
一見威嚇しているように見えるポーズを取る事もあるが大抵はそう言う場合蜘蛛は大抵『逃げ』を考えている。
だからその逆、特に何もしない場合こそが戦いの意志の発露に他ならない。
だがーー初撃を防いで以降女郎蜘蛛の顔には一切余裕が無かった。
気付いてしまったのだ。
戦えるつもりだった筈なのに…アラクニドを傷付ける事に対して躊躇してしまっている自分に。
女郎蜘蛛とアラクニドの技量の差は明白、素の身体能力も女郎蜘蛛が勝る。
だからと言ってアラクニドは女郎蜘蛛の弟子。手加減や躊躇が許される程甘い訳が無かった。
ヌルリと糸の隙間からアラクニドが抜け出すのを目視した女郎蜘蛛の思考に空白げ生まれる。
粘性のある糸が相手を絡め取れば大抵はそれで止まる。だが、それをどう抜け出したかが分からない。
「!!?」
刹那の思考にアラクニドは罠を張り巡らせていた。
そしてアラクニドが罠を張り終えてからやっと先の脱出の絡繰を見破った。
服にあらかじめ巡らせていた糸を剥がしたのだ。
糸で高速移動する為には全身に糸を絡める必要がある。
だが、それを捨てれば粘性も無視する事は容易に出来る。
「へぇ…やるじゃねえか」
無力化に失敗した女郎蜘蛛だったがその目には希望が宿っていた。
アラクニドは次を防ぐ手立てが無い。なら、雑にもう一度『銀冠』をすれば無力化は可能だと考えたのだ。
がーー女郎蜘蛛は顔をしかめる。
アラクニドの糸が女郎蜘蛛の糸を上書きするようにして糸が配置されていたのだ。
「逃げて…逃げてよ師匠!!」
「馬鹿か!弟子を鉄拳制裁せずして何が師匠だ片腹痛いッ!!」
女郎蜘蛛は少しずつ、本当に少しずつ自分の気持ちを理解し始めていた。
傷付けたくない。
何故泣いているのか知りたい。
……側に居て欲しい。
それがどういったものかは分からない。
けれどそれを無くしてしまったら何かが空っぽになってしまう予感があった。
「絶対拒絶封糸『穴熊』!!」
だから、女郎蜘蛛は戦う事を選ばない。
アラクニドを正気に戻せるチャンスを粘り強く待つ事にした。
「罠だって囲んじまえば形無しだろうが」
上書きの上書きと言う強引な手で罠を無効化するがーー。
「駄目…そんな事をしたら…」
女郎蜘蛛自身が張り巡らせた糸の檻でーーアラクニドの糸が女郎蜘蛛の体を貫いた。




