薄氷の花嫁2
『Apocrypha』は上半身だけのがしゃどくろに烏の羽根と内臓を取り付けたような姿をしていた。
そして人間で言えば胃にあたる部分にウゾウゾと蠢くやけに生物的なドアがはめ込まれている。
「……俺一人、か」
努めて冷静に考える。
ジャックの苦悩、篝の懊悩、そして唯の絶望を。
一人でとジャックは言い、死なないでと唯は言った。つまり…俺に望まれている事はたった一つだけ。
「一、今回は俺だけで行く」
たった一人でこの魔獣を打ち倒す事。
恐らくこの魔獣を倒しても大団円にはならない。イガラオも懐中時計のくだりで全部持っていかれるのだと言っていた。
唯の口振りからしても寿命を全部持っていかれるようだったから多分間違いは無い。
…こうなってしまった以上は…もう手遅れなのかもしれない。
だから、唯の希望通り俺が一人で絶望を打ち砕くべきだと思う。
「……くっ」
一は渋面を隠しもしなかった。
その目は怯えをありありと映し出している。
恐らく一には今の俺が重なって見えるのだろう。
かつての親友、『剣聖』の梶と。
彼は篝との戦いに敗れ死亡した。今回の構図もそれに近しいものがある。
女の子の為に男が挑み…その結果敗北し命を落とす。
『剣聖』の件では共に戦う事が出来ずに『剣聖』を死なせた。
今回、共に戦えずに死んだらと、そう考えているのだろう。
だから、一凩は黙って待つ事が出来ない。
彼は死地だと分かっていて親友を送り出すすような真似が出来ないのだ。
「篝…何でや…。何でワリャの前に立つ。そこを早く退いてくれ。…さもなくば、ワリャが酷いことをしてしまうかも知れへん。なぁ…頼む」
「…ダメだ。私とて団長の命は心配だ。だがーー」
篝は長巻を構えると一の方に向ける。
「ーー唯は自分の最期を団長…杉原清人に託したいと言っていた。私も女だ。人を想うその心は承知している。だから、この場だけは一人の女として立ちはだかろう」
一の瞳が揺れる。
そして悔しそうに唇を噛み締め俯く。
「………や」
か細く今にも消え入りそうな声だった。
「…清人、あんさんは意地でも死ぬなや。絶対に挫けるなや。…絶対にめげるなや。…ワリャからは、それだけや」
震える親友の声に「応」と頷くとジャックの作った蔓の門を潜ろうとしてーー。
「清人、びしっと決めて来て。私、待ってるから」
アニは俺の背に向かってそう言った。
それにサムズアップで応えると俺達と魔獣を仕切る蔓の門を抜ける。
「…待たせたな。いや、それだとちょっと味気ないか」
「ゴメンな遅れて。待ったか?」
それはついぞ言えなかった台詞。
棺桶から大斧を取り出し、『英雄の外套』を身に纏うといつものように大斧を担ぎ『Apocrypha』を見据えた。
すると腐臭のする液体を垂らしながら魔獣は骨の手で腹部のドアをこじ開け、絶叫する。
入れと、そう言っている気がした。
「それじゃあ、行くか」
…隠し事をされた苛立ちは無い訳では無かった。こうなる事を予め知っていたなら…と。だが今となっては後の祭り。
だが…不思議と誰かを恨む気持ちにはならない。
それは多分、俺が唯に惚れているからだろう。そんな部分まで「唯らしい」と思えてくるからだ。我ながら甘いとは思っている。
けれどこれで最期だ。…最後なのだ。
だから今は…盛大にさよならを言いに行こう。他にも言いたい事は沢山ある。けれど…送り出すのだから多分さよならが相応しいのだろう。
そんな事を考えながら俺はドアを潜った。
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その部屋の中は赤かった。
生物の体内に侵入したような感じ、と言えば分かりやすいか。バイキンにでもなった気分だ。それに、心なしか心音まで聞こえているような気さえする。
「定番の雑魚のお出ましか…」
そんな部屋で待ち構えていたのは数体の亡霊だった。頭部は山羊の骸骨、身体は向こうが透けて見え、手には短剣を持っている。
「悪いけど、押し通らせて貰う…ッ!!」
『加速』と『跳躍』を併用して縦横無尽に部屋を走り回る。
死角を攻めようと大斧を振るうがやはりと言うか透過した。
「物理がダメなら魔法じゃおら!!」
(偽)イルク・アルクをばら撒く。
こちらは効いたようで二体が粒子になって消滅した。
同様の手順で他の亡霊を消滅させると、先へと進むであろうドアが現れた。
先程の肉ドアと違い豪奢なドアだ。
多分その先にはーー。
ドアノブに手を掛け、捻る。
するとその先には青い薔薇が舞い散る大舞台があった。
そしてその舞台に立っているのは。
「…お待たせ」
「………」
黒いサテンのドレス、マロンペーストの髪、そして…口元以外を隠すマスクに溶岩を固めたような見た目のサーベル。
「折角の舞台だ。踊るしかないよな」
「なぁ、唯」




