子供みたいね
喫茶店を出た僕らはショッピングを楽しんだ。
特に買いたいものはなかったので、本屋やCDショップ、雑貨屋などを転々と回った。
そんなことをしているとあっという間に時間は過ぎていった。
この季節の日照時間は日を重ねるごとに目に見えて短くなっていく。
店から出ると、街が夕焼けに染まっていた。
光が強い薄オレンジ色の空だった。
僕はこの色がちょっとだけ苦手だった。
白い空は黒い空よりも僕を不安にさせる。
理由はなかった。
堀池が僕の門限を訊いてきた。
つまり、何時に帰るのかということを訊いているのだろう。
僕は遅くなっても構わなかったので「何時でも大丈夫だよ」と応えた。
彼女は「よかったら、晩御飯どこかで食べていかない?」と提案してくれた。
***
「よく考えたら、僕は女の子と晩御飯を二人で食べに行くのは初めてかもしれないんだ」
記憶を遡る。見当たらない。悲しいことに僕は異性と食事をしたことがないらしい。
そんな僕に「私が初めての相手でよかったのかな」と彼女は少し不安気にいった。
どうしたのだろうか。
今日は堀池らしくないなと思った。
学校ではいつも自信たっぷりで、明るくて、すごく気遣いが出来る子だ。
ただ、こういう類の気遣いはあまりしないはずだ。
これは何か失敗することを怖れているような、そういった類のものだ。
それに加えて、なんだか今日はいつもよりも女の子っぽい。
普段のきっちりとした制服とは違って、私服だからそう思うのかもしれない。
「堀池が相手で不満なら、僕は一生女性と食事をしても満足できないよ」
「大袈裟ね」
彼女は僕の背中を軽く小突いた。
結局近くにあったファミレスに入った。僕はハンバーグ、彼女はオムライスを注文する。
「私たち子供みたいね」
隣のテーブルで同じものを食べている子供たちを見つめた。
「大人が好きなものを子供は嫌うけど、子供が好きなものは大人だって好きさ」
僕は肩をすくめて言った。
子供はいつだって無知がゆえに純粋に感性だけでそのものの価値を測っているのだから。
ケーキは昼間の喫茶店で食べたので、僕たちは食後の飲み物は頼まずに店を出た。
つい数時間前の温暖な気候はなりをひそめていた。
風は冷たい。肌寒い。それに堀池の格好はお世話にも暖かそうだとはいえなかった。
風邪をひかれても困るので、これはさっさと帰ったほうが良さげだな。
「そろそろ帰ろうか」
彼女はこくりと頷いた。
僕たちは駅までの道を歩き始めた。
交通機関の関係で少し先の駅まで歩かないといけない。
繁華街から離れると人通りは疎らになる。
華やかさは消え去り、代わりに月光が存在を主張し始める。
徐々に間隔が広がっていく街灯が、僕たちを仄かに照らしてくれる。
公園のそばを通り過ぎるときだった。
彼女が僕の左手の袖を後ろから引っ張った。
彼女は右手で僕の袖を引っ張り、左手の甲を口元にあてている。
視線は斜め下を向いていて、僕と視線を合わせない。
「もうちょっとだけ……一緒にいてもいいかな?」
「いい……よ」
胸が高く鳴った。
異性に興味がない僕でも、これにはまいった。
「じゃあ、公園……行こうよ……」
彼女が公園のベンチに座ったので、僕もその隣に座った。
そしてぼんやりと月を見上げた。
あれは満月なのか、それとも少し欠けているのだろうか。
よくよく考えると、こうして空を見上げるだけで宇宙が見えるっていうのは不思議なものだ。
子供のころは、夜空と宇宙は同じものだけど違うものだとどこかで分けて認識していた。
夜空には地球を覆う薄いドームのようなものがあって、そこにプラネタリウムのように光が投影されているような、ともかく自分たちの真上に直接宇宙が繋がっているなんて感覚は僕には持ち合わせていなかったのだ。
堀池を見た。
彼女もこちらを見ていたらしく、僕たちは目があってしまい、お互い咄嗟に視線を外した。
恥ずかしい。
という感情が沸々と湧き上がった。
心臓の音が聞こえそうだ。
なんなんだ。
この感情には名前があるのか。
「やっぱり夜は冷えるな」
僕は沈黙を破るためにとりあえず何か話し始めることにした。
「そう……だね」
「……」
失敗した。
何故だ。
学校なら普通に話せるのに。
上手く話せない。
「あの……ッ!」
二人の声が重なった。
同じタイミングで同じ切り出し方をしてしまった。
「あ、ごめん……堀池から先にどうぞ」
「ううん、維月くんから言って」
「特に重要な話じゃないんだけどさ、今日行ったカフェのケーキ美味しかったよなって……」
今、僕の頭は正常に回ってはいない。
空き巣のように焦って話題の引き出しを全部ひっくり返して、なんとかして話を繋いでいるだけだ。
……カフェ。
そうだ。あのとき、あのとき堀池は本当はなんて言ったのだろう。
僕が聞こえたとおり「それだけ……?」と言ったのだろうか。
もしそれが正解なら、その意図はなんだろう。
一つの仮定が脳裏をかすめた。
しかし、その仮説は自意識過剰だと揶揄されるものだ。
そんなことを一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしい。
でも、もしそれが……、真実だったなら……僕は……。
「堀池……は、何を言おうとしたの?」
「え……」
堀池は口元に手を添えた。
そして、視線を僕から逸らした。
それはきっと癖なのだろう。
言いたくても言えない何かを言うときの一種の自己防衛。
学校では見たことがない癖。
言いあぐねている彼女と、呼吸を合わせて、言葉を待った。
「あの……ね、あの……す……」
彼女の声は震えていて、今にも消えてしまいそうだった。
草むらで鳴いている虫たちの合唱にも負けてしまいそうなくらい。
そして、彼女は決心したように顔をあげて、僕を見た。
顔を真っ赤にして恥じらいながら。
「あのね……、私、……維月くんのことが好き」
吐息よりも静かなその声は、しかし、しっかりと空気を震わし、確かに僕の耳に届いた。
言葉を受け止めて、意味を紐解く。
これは、友達としての好きではない。
人としてという意味ではない。
受け止めなければいけない。
ちゃんと、堀池の気持ちを受け止めてその上で僕の言葉で、返事を。