検証実験
十月十一日。火曜日。
僕は食い入るようにテレビを観ていた。
ワールドカップアジア最終予選。
日本対オーストラリア。
幸か不幸か、日本は前半五分に先制点を決めた。
僕の記憶通り、ゴールを決めたのは原田選手だった。
ゴールが決まる過程まで、僕の記憶の映像と完全に一致していた。
僕はいいようのない不安に襲われた。
不気味な実験映像でも見さされているみたいだ。
もしもこのまま試合が進み、後半五分に失点してしまったら僕の現状把握は間違っているということになる。
僕は現状を過度なストレスにより一時的な記憶障害が起こり、十月十六日までの記憶が捏造されてしまっていると結論づけていた。
捏造された記憶というのは、簡単にいうと妄想だ。
その妄想が現実ものと重なってしまうと、もはやそれは妄想とは呼べなくなる。
それはただの現実で実際に起こった事実だ。
事実だとするならば僕は記憶障害ではなく、実際に一週間巻き戻っていることになる。
それは非常に困る。
なぜなら単なる記憶障害なら現代の医学で説明がつく。
解決方法もあるだろう。
しかしタイムリープならば、現代の科学で説明がつかない。
解決方法もあるか分からない。
そもそも解決しなければならないことかも分からない。
このまま試合が進み後半五分に日本が失点をしてしまうと高坂との賭けには勝つだろうが、自分自身の賭けに負けてしまうことになる。
つまり僕は自分の予想通りの試合結果になってしまうと、自分の現状の予想を外してしまうことになるのだ。
僕としてはストレスによる記憶障害であってほしい。
そのほうが色々と都合がいい。
神に祈るように手を合わせ、試合を見ていた。
仮に後半五分に失点したとしよう。
そんな偶然も……もしかしたらあるのかもしれない。
しかしPKで失点してしまったらどうだ?
同じ時間に同じ選手が得点。
それも全く同じ得点パターンで。
未来予知でもそんなことは不可能だ。
このまま試合予想が当たった場合、僕の記憶は書き換えられていないことになる。
それは必然的に僕が一週間過去にタイムリープをしてしまっているという証明になる。
そして僕の祈りは虚しく、オーストラリアは無事、後半五分にPKを獲得し得点したのだった。
試合結果はもちろん、一対一のドローだ。
二つの意味で喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない試合結果となった。
僕はしばらくテレビの前で放心した。天井のLEDを見つめて、こんな色だったのかと改めて認識した。
そして僕は家族とも口を利かずに自室に戻り、ベッドの中で小さくなった。
夢が早く覚めるようにと願いを込めて。