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賭事



 これはどういうことなのだろうか。

 曜日は間違っていない。

 昨日が日曜日だったので、今日は月曜日だ。


 しかし日付が本来の一週間分遅れている。

 現在、十月十日。

 本来ならば十月十七日を迎えるはずだった。



 まず、ゆっくりと深呼吸をした。

 三回大きく息を吸って吐く。

 そのまま洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗う。

 ついでに歯も磨いて髭も剃る。

 寝癖を直し、最後に両頬をパチンと叩いた。



 よし、これで目が覚めたはずだ。

 自分の名前も言ってみる。



「僕の名前は中村維月」



 大丈夫。

 ちゃんと覚えている。

 もう一度スマホで日付を確認する。

 残念なことに先程と同じ日付だ。



 十月十日。月曜日。

 本来ならば、十月十七日の月曜日。



 これは大変困ったことになった。

 いよいよ気でも狂ってしまったのかも知れない。

 しかし、そこまで不思議な話でもない。

 狂ってしまうきっかけはあった。


 昨夜の転落死。

 丁度僕の目の前、二メートル先に少女が降ってきた。

 重い肉の塊が落とされる光景を特等席で見てしまったのだ。


 PTSDなどの心の傷を負ってしまったのかもしれない。

 それで記憶の一部が狂ったのだろう。

 ストレスの負荷に耐えきれず、脳が記憶の一部を改竄したのだろうか。



 不幸中の幸いにも、僕が今自覚できている症状はこれだけだ。

 吐き気や動悸は起こっていないし、眩暈や手先の震えもない。

 健康体そのものである。


 このことは誰にも言わないでおこう。

 落ち着いて考えて、そう判断した。


 だって僕の体は健康だし、単純に『十月が一週間増えただけ』と考えればいい。

 誰かに話して頭がおかしくなったと心配されたり、精神病院に担ぎ込まれるのは望んでいない。

 ただ普通の学生として暮らせればそれでいいのだ。



 僕は普通の学生として生活するために、高校の制服に着替える。

 普通の学生として生活するために、学校へ向かう。

 いつも通りの日常だ。僕はおかしくなんてない。

 僕は特別な人生は望んでいない。

 波風立てぬよう、面倒を起こさぬよう、生きていたいだけだ。


 教室に着くと、親友の高坂祐一郎に挨拶した。



「おはよう、相変わらず元気そうだな」


 その返事を聞いて安心した。

 そうか、僕は端からみても相変わらず元気そうなのか。

 よかった。じゃあ一週間増えてしまったけど、また学校生活を始めよう。




 高坂と話していると、話題が明日のサッカーワールドカップアジア予選に移った。

 日本対オーストラリア。

 過去の戦績は八勝八分け七敗。

 強さはほぼ互角といっていい。

 日本が所属しているグループBの中では、最大のライバル国となっている。

 そしてその試合は十月十一日に行われる。


 つまり明日だ。 

 僕はこの試合の結末を知っている。



 日本は前半五分に原田選手が先制点を決める。

 今度は後半七分にオーストラリアがPKを獲得し、ジェディナイ選手がそれを決める。

 結果は一対一の引き分けになる。僕が持っている記憶が正しければ……の話だけど。




 しかし、これは丁度良い機会かもしれない。

 僕が未来から巻き戻されて現在にいるのか、それとも本当に精神的ショックによって記憶が改竄されてしまったのかを確かめることができる。

 得点なしのドローゲームだったら、検証を行っても信憑性は低いだろう。

 しかし僕はこの試合をリアルタイムで観ていたので強く記憶に残っていた。

 得点した時間も選手もしっかりと記憶している。



「なぁ、勝つと思うか?」

 主語はなかったが、おそらく日本のことだろう。

 僕は深く考えもせず反射的に返事をする。

「一対一の引き分け」

「それはあまり面白くない予想だな」



 そんなことをいわれてもしかたがない。

 僕はもう一対一の引き分けしか予想出来ない脳になっているのだ。

 日本が前半に一点、オーストラリアが後半に一点。


 それで試合終了。


 こんな素っ気ない返事をしたが、面白くない予想という点には同意だ。

 ハッキリとしない。

 試合終了後にどんな感情になればいいか分からない引き分けなんて予想は、普通はしないものかもしれない。


「せっかくだから賭けてみる?」

 僕はしらけている場を盛り上げるために賭けを提案をした。

 さっきまで味気ない空気だったが、一転して高坂は目を輝かせた。

 そして僕の提案に乗った。

 高坂は日本が勝つことに賭けた。

 

 賭けるものは、明日の昼飯だ。




「ねぇ、なんの悪巧みをしてるの?」



 僕は驚き声を上げてしまった。

 それがあまりに情けない声だったので、高坂と、その声の主に笑われてしまった。

 声をかけてきたのは、堀池亜由美。

 彼女は同じクラスの僕の友達であり、高坂の幼馴染みでもあった。



 彼女は今日も制服を規則正しく定められた通りに着ている。

 それが生徒会に所属しているためか、それとも彼女自身の性分なのかは分からない。


 目鼻立ちがすっきりとしていて小さい顔。

 肌は雪のように白く、絹のように美しい黒髪には艶があり、光に照らされるといっそう輝いて見えた。

 物を言う花、という言葉を体現するかのように、彼女は何をしても人々を魅了した。

 そんな彼女の髪を耳にかけるという何気ない仕草だけでも、心を奪われた男は少なくないと聞く。




「明日のサッカーの試合結果で、昼飯を賭けようって話をしてたんだ」

「なんだ……。それじゃ私は参加できないわね。これでも生徒会に所属しているから……」

 彼女は一緒に楽しめないことが残念だというような表情で、ため息を吐いた。


「ちなみに、僕が引き分けで、高坂は日本が勝つほうに賭けてる。堀池は日本が勝つと思う?」

 彼女は「うーん」と唸ると、腕を組み悩んだ。

 

 そして「サッカーのことはよく分からないけど……」と前置きしたあとに


 「私も引き分けだと思う」と笑って答えた。


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