2-3「心と体」
□Side Hearty□
灰にまみれた薄暗い屋敷。潜む色とりどりのモノは、埃被りの老人たち。くしゃみを誘う古ぼけた香りが、そこに漂っていた。
マルトンの町外れにある倉庫。何でも、ここしばらく人が中に入っていなかった、とのことで……。
「うっわ……想像以上ね」
フィオさんが声を漏らす。想像以上に汚いという意味か……もしくは、想像以上に広かったということか。
どちらにせよ、この古く広い倉庫から、『不快だから』と出て行くわけにはいかなかった。何故かと言うと……。
「まあ、やるしかないわね。仕事だし」
ここの掃除が、私たちのお仕事だから。
「フィオさん、凄いですね。昨日来たばっかりなのに、もう仕事ゲットしちゃうなんて」
「そりゃあ、早く取らないとね。こうやって行く先々で色々バイトしないと、絶対旅行費足りなくなるんだから。ま、可愛く頼み込んじゃえば一つや二つ、簡単にくれるんだけどね!」
そう言って笑うフィオさんは、なんだか悪い人に見えた。いやダメダメ、そんなこと考えちゃ! そもそも悪いことしてないし!
「それじゃ、あたしは左からやるから。ハーティは右からお願いね。ピカピカにすれば結構お金入るだろうし、精出してよ」
そう言って、フィオさんは倉庫の奥へと歩いていった。よし、私もしっかりやらなきゃ!
右奥の方には、2メートルちょっとぐらいの細長い木材が乱雑に倒されていた。触れてみると、陽に当たっていないからか、少し冷たく感じる。
私は木材を両腕にしっかりと抱え上げ、丁寧に壁に立て掛けていく。整列のように木材がぴしっと並んでいき、同時に床は広々となっていく。木の布団を被っていた床には、ほんの少しの木片だけが残った。よーし、次!
木材の少し左には、木の出っ張りが横一直線に。棚だ。その上には木箱がまっすぐに並んで、砂や埃を被っている。
「あんまり掃除されてないんでしょうか……?」
「まあ、そうかもね。食べ物飲み物は入れてない倉庫みたいだし、滅多に開ける機会ないんじゃない?」
そう言うフィオさんの方には、使い道のよく分からない鉄棒がたくさん転がっている。
私は白いスカートのポケットから、これまた白い布を取り出した。掃除する時に使って良いよーと、村の人から貰ったものだ。
布で木箱の上の埃を、少しずつ払っていく。
うっ……なんだか、鼻がくすぐられる……!
「……ふぇぇっくしょん!!」
盛大にくしゃみが出ちゃった。フィオさんがびっくりした顔でこっちを見る。
「うぇっ!? びっくりした……あ、木箱!」
「へ?」
足元で、何かが砕ける音がした。見下ろすと、両手に収まるぐらいのあの木箱が、埃を立てて盛大に砕けていた。
「……盛大ですね」
「悲惨でしょうが!」
「はい、これ給料ね。木箱は安物だから、気にしなくて良いよ」
髭の生えたおじさん……仕事をくれたおじさんが、微笑んで言う。
「はい……ごめんなさい」
あれから1時間ちょっと掃除し、倉庫は無事にピカピカになった。あのかわいそうな木箱を除いて、無事に。
私の手元には、25ギル……2日分の食費ぐらいのお金が乗った。お昼の陽に照らされた5枚の銀貨が、色白く光っている。フィオさんも同じ額を貰っていた。
「え、こんなにくれるの?」
「ああ。さっき倉庫を見てきたけど、相当頑張ってたじゃないか? 自分では分からないものだろうけどね」
「そうです! 頑張りましたよ、私たち!」
フィオさんの両手を握り、私はキッパリと言う。
「あんたは頑張りすぎて、エネルギーが事故起こしてるんだっつーの……」
うっ……おっしゃる通りです。で、でもっ──
『あぁ、ここにも居ない……!』
『落ち着いて、奥さん。きっとどこかで遊んでるだけさ』
『だって、昨晩からずっと帰らないのよ!?』
「何かしら……?」
突如風のように舞い込んできたざわめきを聞いて、フィオさんが一言漏らした。遠くの方で、何か騒ぎ声が聞こえる。
「行ってみましょうか」
そこには、不穏な空気が流れていた。私も、多分フィオさんも、すぐにそのことに気がついた。まるで何かを失ったような、悲しげな雰囲気だ。
「あの……どうかしましたか?」
「君たちは……確か、旅人の」
私が声をかけてみると、その場にいた男の人の1人が反応してくれた。数人の若い人たちと一緒にいる女の人が、そこで泣いていた。
「この人の息子さんと娘さんが、昨日の夜から帰らないんだ……まだ10歳かそこらなのに」
「どこへ行くって言ってたたのよ、その2人は」
「分からない……ただ、『ヴィルドラシル』がどうとか……となると、森へ向かったのかもしれないが……」
ヴィルドラシル。この町で讃えられている神木。宿屋のおばさんからお話を聞いていた。
「この町は、ヴィルドラシルがあった場所の北に出来たとされているんだ。だから、それが関係するとしたら、おそらく南の森に……南は猛獣も多い、危険な方角なんだが……」
南の森を指差しながら、男の人が言う。
「迂闊に探しに行くことも難しい、ってワケね……」
みんな、下を向く。言葉が出ない。黒い雨雲のような、暗く重い雰囲気が周りを包み、押しつぶす。
……ダメ。
「私……探しに行きます!」
「!? 行くって……危ない獣いるのよ!?」
「でも、行かないと……! 獣がいて、危なくて入れないのなら、森の中へ行っちゃった2人は、もっと危ないです!」
「でも……」
「ごめんなさい……行きます!」
それだけ言って、私は指さされていた森へと走って行った。周りの人の声がしても、立ち止まらなかった。
これが……『心のヒーラー』の第一歩だから!
「はぁ……はぁ……」
息が荒くなる。大きく吸った空気が、生ぬるい吐息になって吐き出される。森の中は風の音にざわめいている。
「……走っちゃダメ。良いことないんだから」
がむしゃらに走るのも良くない。あの時……家出して、全速力で転げ回るように走った時、それに気づいた。周りを見なきゃいけないと。
だけど……時間だって無限じゃない。良く目を凝らして、人影を探さなきゃ。
「……ええと、男の子1人と、女の子1人で……」
あれ? それ以外、何も聞いてない……。
「……この天然ボケが!」
痛っ……。
頭を誰かに突かれた。
「フィオさん……」
「リゴ君と、ミーアちゃん。せめて名前ぐらい聞いてから行きなさいよ」
フィオさんが呆れたような顔を見せる。またドジしちゃった……ホントに、いつも助けられてばっかりだ。
「でも、何でここが……」
「足跡、草がかき分けられてる跡、それから走ってる時のいろんな音。それぐらいあれば分かるわよ。根無しで旅とかしてると、色々できるようになっちゃうんだからね。あたしの足なら、あんたになんて余裕で追いつけるし」
フィオさんは、ポケットから何かを取り出し確認する。
円盤。彼女はコンパスもちゃんとポケットに入れて来ていた。
それより、とフィオさん。
「何であんな簡単に、探す気になれるのよ?」
「え?」
「え、じゃなくて。昨日会ったばかりの、話も殆どしてない人たちよ? そんな人たちの為に、こんなモンスターがいるところまで来なくても……やっぱヘンよ、あんた」
ヘンか……きっとその通りなんだと思う。
私にはよく分からないけど、フィオさん……普通の人からしたら、私はドジで、ちょっとズレてる。彼女と過ごしてきて、なんとなく分かった。私の直さなきゃいけないところ。
でも……ズレてたって、今抱いてる思いは、決して『偽物ではない』から。だから、自分の心には正直になる。直しちゃいけない、いや、直さなくて良い。『心』は、ドジでズレてたって、『そのままで良いところ』なんだ。
「私、心のヒーラーになるって決めましたから。マルトンの人たち、みんな泣いて、沈んで……心が痛んでました。だから、私が2人を見つけて、みんなを安心させたい……癒したいんです。それが、私の第一歩です」
「……そう。だけど、それじゃ70点よ」
フィオさんが言う。70点……?
「あんたが怪我でもしたら? 最悪、帰って来なかったら? 町の人たちはもっと心配する。悲しくなる。癒すどころか、心を傷つけることになるのよ。もっとしっかり考えて行動しなさい。だから、自分を大事に出来なかったあんたは70点」
「……大丈夫ですよ、それなら」
私がそう言うと、フィオさんは不思議そうに私を見た。
『だからあたしは……この旅を楽しむの。この人生をね!』
『あんたはきっと……『心のヒーラー』になれる!』
私に夢をくれた人。私を導いて、支えてくれてる人。まだお互いに何も知らないけど……凄く大事な人。
私の、残り『30点』になってくれる人。
「残り30点は、フィオさんが持ってますから」
「あたしが……?」
「フィオさんが導いてくれる。教えてくれる。だから、私1人じゃ70点でも……一緒にいてくれたら、絶対迷ったりしません。帰れなくなんてなりません。だから……フィオさん、お願いします。一緒にいてください」
思いが心の管を伝って、声になって届いていく。声は奇跡だ。全く違う2人の間を、同じ言葉で……思いで繋いでくれる。
「……ば、バッカ……恥ずかしいでしょ、そんな告白みたいなの……!」
フィオさんが何故か、ほっぺたを赤くしている。何だろう……暑いのかな、ここ……?
「……分かったわよ。そこまで言うなら付き合ってあげるわ」
フィオさんが言う。まっすぐに見つめてくるその瞳は、すごく凛々しくてかっこいい。
「あんたが『心』なら、あたしは『体』よ! 走って跳んで、崖登って……どこまでも体張ってあげるわよ!」
「フィオさん……!」
気づくと私の体は、フィオさんの方へといつのまにか向かっていた。
「おっと! 抱きつくのはダメね!」
「うあっ……!」
フィオさんに華麗に避けられちゃった体が、危うく転びかけた。
「……さてと。出てきなさいよ」
フィオさんが、突然言った。私じゃない、誰かに。
「……グルル……」
獣の吠える声。気づけば数匹のオオカミが、周りを囲んでいた。体長は1メートル弱ぐらいありそうだ。
「あんたたち、呻き声うるさすぎよ。普通に聞こえるから」
「フィオさん……」
「大丈夫。離れないでね」
フィオさんはそう言うと、私を優しく片腕に抱いてくれた。
「……見せてあげる。あたしの『神授』!」