#7-6「それでも、生きて」
「っ……こんな時に!」
宙に浮くナイフが、笑いながらドアを切り裂いていく。束の間の安全地帯は崩れ去り、私達はまた人形の悪夢に飲み込まれていく。
「エレメントワーク!」
フィオさんはドアの前へ駆け出してナイフに触り、そして唱えた。物体を作り変える神授。あれなら、ナイフを殺傷力の無い別のモノに変えられるかも。
「グッ……ヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「なっ……!?」
だけど、ナイフは何事もなかったかのようにドアを切り続ける。異様な切れ味を誇るナイフは、ドアをゼリーのように容易く縦に断った。
「ウガアアアアアアッ!!」
「きゃっ!?」
敵は1人ではなかった。トゲの付いた鎧が切れ目の入ったドアを蹴り、いとも簡単に吹き飛ばした。
「ステラちゃん!」
壁に当たって砕け散ったドアは、木の破片になって部屋中に飛び散っていく。私はとっさに、座り込んだステラちゃんを抱えるように庇った。木が頭に当たって痛いけれど、運良く突き刺さって出血したりはしなかった。
「はいどーも! じゃあね!」
ユイナちゃんがすかさず、ナイフごと鎧を蹴り飛ばす。凄まじい勢いで壁にぶつかった鎧は砕け散り、ナイフは使い物にならないほどひしゃげた。それほどの力を受けながら壁は無傷。ドアは壊せても、外壁を壊して脱出することは出来ないらしい。
「ようやく見つけました。手間をかけさせないでください」
脱出を諦めひとまず部屋を出ると、右からそんな声がした。
「げっ、ミルカ……?」
先頭のユイナちゃんが、嫌そうな声色で呟いた。十体以上の鎧の幽霊を引き連れ、黄緑の髪を揺らして、恐ろしい人形が呼吸も拍動もなく迫ってくる。
「相手してらんない! 行くわよみんな!」
「無駄ですよ」
フィオさんの一声で踵を返し走り出した私達は、だけど一歩目ですぐさま停滞した。当然だ。振り返った先、背後から迫りくるフォークとナイフの数十の大群を、狭い廊下で避けながら通り抜けるのは無理だった。
「そんな……」
ユイナちゃんが戦うにしても、これでは無理がある。私は解決策も浮かばないまま、真っ白になりそうな頭で食器の大群を見つめるしかなかった。
その最中、笑い声を上げていない一本のフォークと目が合って。
「……ナア、ホントウニヤルノカ?」
彼がふと言った言葉を聞いて、耳を疑った。彼らはみな、理性の無い怪物だと思っていたから。
「ナンダオマエ!」
「ミルカノイウコトニ、サカラウノカ!」
「ウッ……」
周りの食器たちが、そのフォークを糾弾するようにつつき始めた。嫌な金属音が繰り返し響く。
「……へえ。アンタの軍団も一枚岩じゃないみたいね?」
フィオさんはその様子を眺めながら、ミルカさんにそう言った。周りの鎧の幽霊達も、彼女に顔を近づけて「どうしよう?」と聞いている。そう見えるだけだけど。
「その子が特別臆病なだけなのです。活路があるなどとは思わないことです」
そんな中で、彼女は顔色ひとつ変えないまま、指をパチンと鳴らした。
「…………えっ!?」
「うおっ!? なにこれ!?」
私とユイナちゃんが同時に声を上げた。瞬きする間に、いやそんな一瞬すら無かった。彼女が指を鳴らした直後、一瞬で部屋がぐんと広くなった。
違う。ぐんと広がったその部屋は、最初に来たお屋敷の玄関だった。廊下が広がったんじゃなく、場所が変わったんだ。
「ほんと、何でもアリの屋敷ね……もう驚かなくなってきたわ」
鎧達や食器達もまた、玄関の中心に飛ばされた私達を取り囲むように陣形を変えていた。さっき以上の袋小路かもしれない。
「この通り、この屋敷は完全にミルカの思いのままです。分かったら大人しく魂を取られるが良いです」
どす、どす、どす。けたけたけた。袋の鼠になった私達に、重たい金属の足跡と不気味な笑い声が近づいてくる。円形の絶望が、じりじりと距離を詰めてくる。
「……待って!」
座ったままだったステラちゃんが立ち上がり、声を上げた。
「あーしの魂あげる。だから、3人のことは見逃して」
「ステラちゃん!」
「アンタ、まだそんなこと……!」
声をかけても振り向いてはくれない。彼女はただ、震える瞳でミルカさんをじっと見つめる。見つめられた彼女は手を挙げて、幽霊達の動きを制止した。
「ふむ……1人確保なら悪くないのです。ミルカ達に負けはありませんが、このまま抵抗され続けると屋敷の装飾品がいくつか壊れそうですし」
「勝手に決めんな! ステラ、考え直そうよ……明るくて諦めないのがステラじゃん」
ユイナちゃんはそう言って、ステラちゃんを見つめた。
「違う。明るくなんてないし」
だけどステラちゃんは、分かった、とは言ってくれなかった。
「さっき言ったっしょ? 友達の口調を真似したって。ホントは明るくなんかない。これがあーし。暗くて、すぐ諦める」
その目に光は無く。彼女の飾られて艶めいた髪も爪も、輝きを失って澱んで見えた。
「友達だけじゃないの。里の人が、あーしを庇って何人も死んだ。はぐれちゃって分かんなかったけど、親も死んだかもね」
「……ステラちゃん……」
「みんなを死なせて生き残っちゃった上に、こうやって帰らせてすらもらえないんだもん。もう、頑張るのイヤになっちゃった」
それはもう、私には理解してあげられない絶望だった。
絶望しながら家を出た後、フィオさんという希望に出会えた私とは違う。絶望に包まれながら抱いた、『帰りたい』という唯一の希望すら叶わない。彼女の絶望の先にあったのは、また絶望だったんだ。
「あなたの身の上話は尋ねていませんが……良いでしょう。それならあなた1人で勘弁してあげるのです」
『わかる』なんて、言えるはずない。だから、何も言葉が浮かばなかった。説得ができない。止められない。
「?」
だから、ステラちゃんに歩み寄っていたミルカさんが足を止めたのは、私のせいではなかった。
「……わかるよ。ステラ」
ユイナちゃんがそう言いながら、ミルカさんの前に立ってその道を遮っていた。
「僕も、親が死んだんだ」
「……ユイちん?」
「僕が鈍臭かったせいで、父親も母親も悪い奴らに殺された。殺した奴らも憎かったけど……それより、何もできなかった自分が憎かった。僕のせいで大好きな人達が死んだって思うと、耐えられなかった」
でもさ──ユイナちゃんは息を吸った。
「今はこう思えるんだ。『2人は僕のこと、死んでも守りたかったんだ』って。大切なものだったんだって。ステラもきっと、みんなにとってそうだったんだよ」
「あーしが……大切……」
「そ! フィオもなんか言ってやりな!」
「え、あたし……!?」
ユイナちゃんに振られて、フィオさんは返答に困ったように数秒考えた後、うんと頷いた。
「ま、理不尽な運命よね。なんで自分がこんな目に、って思うでしょ? 正直」
「……うん」
「わかる。あたしね、半年虫と草だけ食って生きてたことあるの。人生で一番どうしようも無かった時期」
なんだかそんな話を、ある時笑い話としてされた気がする。生まれつき独りだった彼女の、苦労と絶望の絶えない旅のお話。その話をステラちゃんに、また笑いながら話したのだ、彼女は。
「でも、何でとか誰のせいとか考えてもしょうがないのよ。だって過去は変えられないんだから」
「フィオっち……」
「だから代わりに笑いなさいよ。同じ絶望なら、楽しみながら乗り越えた方が良いんじゃない?」
『真っ当に生きられないなら、せめて楽しく生きる』。初めて会った時、彼女が言っていた。その言葉がずっと、彼女の心の芯になっているんだ。
そっか。みんなそれぞれ、違った絶望を抱えているんだ。ステラちゃんもユイナちゃんもフィオさんも……私も。
「でも、あーしは笑って良いのかな……笑えるのかな」
「笑えます」
私がそう言うと、彼女はようやく私と目を合わせてくれた。バラバラだった私の言葉が、今ようやくまとまった。
私では、彼女の絶望を分かってあげられないだろう。
「どんな絶望の底にいても、私が……私達が、絶対にあなたを笑わせます。笑えるようになるまで、私は絶対諦めません」
だけど、絶望に寄り添うことは私にも出来るんだ。それが心のヒーラーなんだ。絶望を許さず、何が何でも希望を届けようとし続けることが。
「好きなものの話をいっぱいしましょう。美味しいものをみんなで食べましょう。あっ、みんなで寄り添ってコソコソ話をしながら寝るのも楽しいんです」
私に出来ることは、きっと大したことじゃない。だけど、何も出来ないわけじゃない。
「だから……お願い。もう少しだけ、諦めないで生きて」
「……ハー、ちゃん……」
涙を浮かべる彼女の瞳は、いつのまにか輝きが戻っていた。
「まるで、ここから全員生きて出ようとしているような物言いですね」
人形の可愛らしく、恐ろしい声が響いた。
「そんな友情くだらない……大人しく、1人を犠牲にすれば良いのに」
「いいえ。誰も犠牲になんてしません」
「そんな都合の良い結末、あり得ないのです」
「あり得ます。何が何でも、私達が実現させます」
ステラちゃんはきっと大丈夫。だから、次は彼女を止めるんだ。
「不可能も理不尽も不幸も、全部壊して幸せにする……それが、心のヒーラーなんです!」




