2-1「狐尾と夢の始まり」
その地は、一本の大樹が作り出したと言い伝えられている。
煌めく希望と燃える命で出来た神木、『ヴィルドラシル』。神が創世の時代に自ら作り出したとされる、『始まりの樹』。それは燃えるような紅の幹を持ち、世界を照らす黄色い閃光のような葉を茂らせ、古くからこの世界を見守って来たという。
何も無かった砂漠に、この大樹がそびえた。ヴィルドラシルは未来への願いを込め、木々を生み出し、水を作り出し、生き物たちを豊かに繁栄させた。そして、いつしか人間の町が出来た頃。自らの役目を終えたヴィルドラシルは、巨大な森の奥底へと消えていった。今はそこで静かに眠るように、ただ穏やかに世界を見守っているという。
-神木に抱かれる町 マルトン編-
*Side Fio*
「づがれだぁぁぁぁぁ……」
可愛い外見には似合わない、唸るような声を上げながら、ハーティはベッドに倒れこんだ。
あれからあたしたちは、なんとかマルトンの町にたどり着き、宿屋にやって来た。時刻はもう、4時半を回っていた。2人ともまともに歩けず、最終的にはスライムみたく地を這って進んでいたりした結果が、この大幅な予定オーバーだ。必要なさそうな荷物は道の途中に捨てたりもしてしまった。
ハーティは倒れこんでから、一寸たりとも動かない。まるで天命を全うして死んでしまったかのように、あるいは元から動いてなどいなかった、よく出来た人形のように、微動だにしていない。
彼女は静止しながらも、呼吸のような微かな声を漏らしていた。寝息。彼女は一瞬で眠ってしまったようだ。
疲労困憊の上、酷使した肉体がボロボロになっていれば、仕方ないことだが。
「まったく……」
ベッドの端の方に、掛け布団が畳んで置いてある。あたしはそれを一枚とり、彼女の体の上にそっと被せた。彼女の口元がほんのちょっと緩んだ気がした。気のせいだろうけど。
「さてと……」
この部屋は……綺麗に掃除されたテーブルに、しっかり洗ってあるベッド。鏡に棚に四角い窓、綺麗な花瓶……あ、大きなクローゼットも。
うん、結構いい部屋ね。
自分の左足を振ってみる。ハーティと違って疲労ではなかったお陰か、怪我で痛かった足も、ちゃんと歩けるぐらいには治っていた。多分、あたしは地を這う必要は無かった。
よし、それならやる事は一つ。
「仕事仕事ー!」
□Side Hearty□
黒い微睡みの中に、一欠片の明るい光が舞い込む。光は私を何かに導くように、ゆらゆらと揺れる。
光をしっかりと捉えようと、目をよく見開いた。眼前の景色はガラリと変わり、沢山の色の光が私の目に入って来た。身の回りのものは、太陽の光をその身に受けて光っているから、更にその光が反射し、目で見ることができるらしい。どうりでまどろみから覚めた直後は、明るい景色に少し目が痛む訳だ。
そういえば、さっきの一段明るかった光は?
「クゥン」
高く可愛らしい音……動物の鳴き声だ。
声のした方を見ると、小さな獣がそこにいた。50か60センチぐらいの獣は、小さくて黄色い尻尾を上機嫌に振っている。よく見ると、尻尾は光を発しているように見える。
この動物、本で見たことある!
レーネックス。自然豊かな地域に生息する、黄色い狐の一種だ。4,5匹の群れで活動する彼らの最大の特徴は、その光る尻尾。これで暗い場所で仲間を探したり、色々なサインを出し合ったりしているそうだ。
そして夜を照らせる彼らは、よく宿や店を営む人々に飼われ、明かりとして頼られているらしい。この子もその一匹だろう。赤く丸い首輪をしている。檻には入っていないけど、飼い主さんとの信頼関係が深いのか、逃げたりする気配はない。
目の前のレーネックスは、私が起きたのに気づいたのか、こちらに歩み寄って来た。
何故かフィオさんは出かけてて、部屋には私とこの子だけ……じゃあ!
「あの……さわさわして良いですか?」
レーネックスはもう一歩近づいて、尻尾を縦に振っている。
じゃあ、遠慮なく! さわさわ……凄い、柔らかい! 綿毛みたいな毛が気持ちいい! 夜までさわさわしたい! 毛布みたいに抱いて寝たい!
「ただいまー……あれ、何してんの?」
「ワタゲモウフ!」
「は?」
無意識に変なこと言っちゃった……。ちょうどフィオさんが戻ってきて、ドアを開けたらしい。
「あ、ケツヒカリ触ってたのね」
「ケツ……レーネックスですよぉ」
「ああ、そんな名前だったの」
フィオさんはそう言い、彼女用のベッドに腰掛けた。その手には一枚の紙を握っている。
「フィオさん、それは?」
「これ? 別に。明日言うわ」
何だろう……何か書かれていて、メモのようにも見える。
「それより、早く行くわよ。あんまり遅くなると混んじゃうだろうから。もう6時回っちゃってるし」
「行くって、どこへ?」
フィオさんは立ち上がり、言った。
「すっごく良さげなとこ!」
*Side Fio*
戸を開けると、湯けむりの登る大きな広間が姿を見せた。辺りのランプには火がともり、夕日にも似たオレンジの光で、辺りを優しげに照らしている。さっきのキツネみたいな生き物がいないこういう場所では、火が唯一の明かりになる。
「うぉぉ、おっきい……!」
巨大な浴場には、既に十人ぐらいの先客が居た。それでも湯船は彼らの何倍も大きく、まだまだいけるぞと、お客を待っている。
どこの町の宿屋にも、お風呂は必ずある。だから今までの町でもおっきな浴場は見てきたのだが……。
「ここのは一段と大きいわね……初めて見たわ、こんなの」
「そうですか? 私のうちもこんな感じでしたよ?」
は?
私の……うち?
「あんたの家、宿屋なの?」
体を洗い終え、あったかいお湯に浸かってから、あたしは聞いてみた。
「違いますよ? 私は1人でか姉様とぐらいしか入りませんでしたけど、お手伝いさんたちがみんなで入ったりもしてたので、大きかったんです」
表情を見るに、冗談で言ってるんじゃないらしい。お手伝いさんって……何者なのこの子?
「じゃああんたの家、すっごい金持ちだったわけ?」
「えっと……そうなんでしょうか。多分そうだと思います」
「じゃあ……誘ったあたしが言うのもなんだけど、こんなとこにいたらまずいんじゃない?」
「え?」
「え、って……金持ちの家のお嬢さんが急にいなくなったりしたら、大勢で探すに決まってるでしょ? あっちからしたら超大変だろうし……あんたが親に許可とって出かけたってんなら別だけど……そんな感じでもないんでしょ、実際?」
「……探さないですよ、きっと」
ハーティは静かに言った。夕日が沈みつつあるからか、あたりは急に一回り暗くなった。穏やかなランプの光が、どこか物悲しく見える。
「昼間話しましたよね? 神授を授かれなかったってお話。私のうちはコロコ家……ヒーラーの名家なんです。なのに私がヒール系どころか、何も授かれなかったから……私は要らないって。だからきっと探さないです」
「そう……」
それしか言えなかった。他に何を言えばいいか分からない。
あたしは昔から親がいなかったから、ずっと普通の子が羨ましかった。ましてや大きな家に住む金持ちなんて、天と地ほどの差を感じてた。まるで違う人種みたいだって。
でも、違うのかもしれない。ハーティみたいな子だって、深く悩むことがある。道は全然違っても、それぞれが押しつぶされそうな程、重荷を背負ってる。
多分、この子じゃなくたって、みんなそうなんだ。細い道の上で孤独に押しつぶされて、悪意に足を引っ張られ、押し寄せる不安から逃げながら生きてる。
でも……この子なら。
翼を広げて、孤独な人間の道の上に降り立てるこの子なら。
胸の奥から人を抱きしめてあげられる、この子なら。
「ハーティ!」
あたしは強く名を呼び、言った。
「たとえヒールが無くたって、あんたなら治せるところがある!」
そして、自分の胸を強く叩いた。
『心』を。
「あんたはきっと……『心のヒーラー』になれる!」