1-3「決意、そして旅は始まる」
□Side Hearty□
辛い。汗が流れる。一歩踏むたび、細い足に重圧がかかる。
遠ざかる背中。待って……行かないで。
だって……私……。
「……そんなに速く歩けないですぅ……!」
待って……フィオさん、速い……。
「ほら、速く。日の入りまでにマルトンに着けなくなっちゃうわよ」
無慈悲にもフィオさんは、そのままどんどん歩みを進めていく。
「それは……そうですけど……」
もう1時間は歩いたのに……。凄い、フィオさん。
「やっぱりダメね、ずっと町の中で暮らしてたような子は」
「ごめんなさい……」
ダメダメ。付いて行かせてって頼んだのは私なんだから。私が頑張らなきゃ!
……でも、もうちょっと休ませてくれないかなぁ……。
*Side Fio*
意外と付いて来れてるな……。時折後ろを振り返りながら、あたしは思っていた。
手も足もほっそい子だし、すぐバテると思ってた。でも、ウダウダ言いながらも、結局はスイッチ入れて、一生懸命歩き始める。歩き疲れてるな、と思ったら、また奮って歩き出す。
……なんか、ちょっとヤケになってる子供みたい。
ちょっと面白くなってきたかも。あとどのぐらい付いてこれるんだろう。
「よし。ここの崖、登るわよ」
「ふぇぇ!?」
予想通り、ハーティは叫んだ。
無理もない。あたしが登ろうと指差したのは、20メートルはありそうな高い絶壁なのだから。
「あの、回り道は……」
「ダメよ。回り道したら、多分10分ぐらいかかる。それより、この崖を登った方が早いわ」
普段はこんな事はしない。家も身寄りもないのに、町の近くでもないこんなところで危険なことをして、もし大怪我でもしたら非常にまずい状況になるからだ。
でも、登れないわけではない。あたし自身は、だが。
「さ! 行くわよ!」
「はぃぃ……」
ハーティもしぶしぶ、登る覚悟を決めたらしい。
そうそう、それでいいの。あんたがどれだけやれるのか見たいのよ、こっちは。
さてと……一見登るのは無理そうな岩場だが、そこら中に窪みがある。こういうところを登っていけば、このくらいの崖は簡単に越せる。これぐらい、今のあたしにはどうって事ない。旅の中でもっと高くて険しい壁だって登ったことあるんだから。
「フィオさんん……!」
って、まだ一番下の方にいるし……。ホント街のお嬢ちゃんは……。
「そっちのリュックに、ピッケル入ってるでしょ? それ使いなさい」
言うと、ハーティはリュックを開けてガサゴソしだした。そしてすぐに、中からピッケルを取り出す。そして、「よーし!」と一言、登り始めた。
あたしのやり方をよく見てたのか、しっかりと窪みに足を入れる。両足が壁にのったところで、ハーティはピッケルを勢いよく振った。
……そして、両手でそれに掴まってぶら下がった。
「よいしょ! これで合ってますか!?」
「逆に聞くけど、それで合ってると思う根拠は何なのよ……」
7,8メートル上空から、ずっと下の天然バカを見る。かなりレアな景色だ。ふふ、結構思ったより面白い絵面じゃない。
「えぇぇ……登り方教えてください……」
「はぁ……」
まあ、見たいものは見れた。付いてくるのは全然構わないけど、なんかずっとあたしが世話焼くことになりそうだな……。
とりあえず、降りるとするか。手足を少しずつ下の方へ、と……。
「しょうがない……ちょっとそこで待っ……てっ」
何かが滑った。あれ……あたしの手? あ、足もじゃん……落ちてる、ちょっとこれやば
足が痛い。その拍子にか何なのかは分からないが、突然の事だった。闇の中から、目が覚めたのは。
あれ? 確かあたし、『やばい』って思って、その直後に急に意識が消えた。なんとなくだけど、思い出せた。
ハーティが登れないのを見て遊んでたら、あたしが落っこちてた。なんか……童話の悪者みたいだな。童話ぜんぜん読んだこと無いけど。
そっか……バチが当たったのか。
足はどうなったんだろう。片足だけど、かなり痛い。歩けなくなってたり……分からない。分からないけど、少し動かすだけでもすごく痛い。
視界には白い何かが広がっている。それは時々ゆらゆら、ふわふわと揺れる。あ、体もだ。あたしの体も、ちょっと揺れてる。
……あれ? 何で?
「あ、フィオさん! 良かったです……起きたんですね!」
ハーティの声だ。すっごく嬉しそうだけど、ちょっとうるさい。
「……あれ? あたしのこと背負ってる?」
「はい。背負ってますよ」
どうりで揺れるわけだ。
「……とりあえず降ろして。もう大丈夫だから」
痛みのない右足を地に着けて、なんとか立てた。ただ左足が痛い。
「ごめん、ちょっと肩貸して」
「はい」
「あれからどうなったの?」
「えっと……フィオさん、落ちてから気を失っちゃって。私、フィオさんと荷物を抱えて歩いてたんですけど……ごめんなさい、崖登れなくて、奥の緩やかな坂道から遠回りしてきちゃったから、まださっきの崖の上ぐらいです。あれから1時間ぐらいは経ったんですけど」
「え……1時間も、荷物全部持って歩いたの?」
ハーティは黙って頷いた。その顔には、一粒の汗が流れている。
それだけじゃない。腕も足も震えてる。
「待って。ちょっと休むわよ」
「え、でも急がなきゃ……」
「急がなきゃじゃない! あんたもうボロボロじゃない! とりあえず座って!」
半ば強引に押し、ハーティを座らせる。あと荷物! あたしは片足のケンケンでハーティの背中に回って、荷物を取り、適当に置いた。
「ふう……ほら。あんたの足、もうパンパンじゃないの」
「ダメですよ。急がなきゃ……」
「なんでそんなに急ぐのよ……」
さっきまでは、ゆっくり歩いてくださあい、なんて言ってたのに。
「……だって、私がモタモタしてるせいで、フィオさんが怪我しちゃったから。私、もっと頑張らないと……」
「……違うわよ」
まだ気づいてなかったんだ……。
なんか、胸がチクチクする。やけに大きな何かが、心の奥からあたしを責め立てるような感じがする。何やってたの、あたし……。
「あたし、あんたで遊んでたの。あんたが登れない登れないって騒ぐの、ちょっと面白そうだなって。だからこんな風にバチが当たったの。それだけよ」
言ってる自分が嫌になってくる。人で遊んでたんだ。それも、怖がる女の子で。ホントにただの悪者でしかない。
「フィオさん」
ハーティはそう言うと、そのままあたしに一歩近寄ってきた。
怒られるな……流石にこの子でも怒るだろう。あたしのこと心配して、足がパンパンになる程無理して、結局あたしは遊んでただけだって言うんだから。
「……悪い子は、お仕置きですっ!」
「へ? わっ!?」
ハーティが突然、あたしの額に指を当てたと思ったら、そのまま強く押してきた。もうちょっとで倒れるところだった……。
「何よ、いきなり」
「えへへ。私の姉様がよくやってたんです。私がいけないことしちゃった時に」
そう言ってまた、あどけない笑顔を見せる。
「こうやって、人の悪い部分をやっつけるって、姉様が言ってました。だからフィオさんが私で遊んだのは、これで許してあげます」
「あんたねえ……」
おかしい。何で!? 何でこんな寛容なのこの子!? 恨みとか怒りとか無いの!?
「あんた、損しかしてないのよ!? なんでそんな簡単に許しちゃうの!」
「え……損ばっかりじゃありませんよ?」
「嘘。損しかしてない」
「違いますよ。私、今日フィオさんと出会ったことが、なによりも得……いえ、幸せなことでした」
ハーティはまっすぐにあたしの方を見る。そして、また続けた。
「フィオさん、言ってましたよね? 『真っ当に生きれないなら、せめて楽しく生きる』って。フィオさんにとっては言い慣れた言葉かもしれないですけど、私、あの言葉を聞いた時、感動したんです。胸はまっすぐに突き刺さって、でもそれは痛くなんかなくて……むしろ、新しい夢を見せてくれたんです。フィオさんにとってはどうでもいいひと時のことでも、私にとっては、人生を変えてくれるような、凄く大きな瞬間だったんです」
『私は』。ハーティは語り続ける。
「今日、神授を授かる日で。本当は、ヒール系の神授が欲しかったんです。私の手で、沢山の人を救うのが夢だったんです。でも……私、何も貰えませんでした」
「何も……?」
「はい。地の底に落ちたような気分で、なにもかもどうでもよくなっちゃって……。そんな時に、フィオさんが現れてくれました。フィオさんの言葉が、私にまた光をくれました。だから……フィオさんがちょっと悪いことをしたって、私はフィオさんを信じ続けます。私に信じる道をくれた人だから。私を救ってくれた、かけがえのない人だから」
何で。
何でこの子は、綺麗事みたいな話を、瞳を輝かせて、馬鹿正直に全力で語るの?
何でこの子は、こんなに人に甘いの?
何でこの子の言葉は……こんなにも強く響いて、あたしの心を動かすの?
「ハーティ……」
気がつけばあたしの両手は、彼女の白い手に触れていた。
「……ごめんね」
「はい」
そう言って、ハーティは微笑む。まっすぐな彼女の返事を聞いて、あたしは思わず涙をこぼしかけた。
夕日が西に沈んで行く。今日という日が終わる。
だけどあたしの心は、むしろ始まりを感じていた。
目の前のちっぽけな女の子が、世界の『何か』を変える……そんな、おっきな予感を。
目の前が、真っ暗だった。泣いていた私に、赤い光が射した。私も誰かのために、そんな光になりたいと思った。
真っ暗闇にいる人の元へ射してあげる光に、なりたいと思った。
私は、誰かの心の光になりたいと思った。
そして、私は__ハーティ・コロコは、そんな人間に、これからなるんだ。
-神に嫌われたのかヒールを授かれませんでしたが、代わりに心のヒーラーを目指して旅、はじめました-